橘玲「「読まなくてもいい本」の読書案内(2)ゲーム理論

 
 第3章はゲーム理論なのであるが、わたくしはゲーム理論が苦手で、「囚人のジレンマ」とかの話を読むと、たしかに理屈ではそうかもしれないけれども、実際の人間の行動を決めるのは義理と人情のほうでしょうという気がしてしまう。
 しかし、本書はゲーム理論が適応される実例として、1962年10月のキューバ危機の話から入っていて非常にわかりやすい。
 キューバ危機といっても、もうわからないかたも多いかもしれないし、わたくしにしても本書ではじめて知った部分もたくさんあるので、以下少し内容をかいつまんで示すことにする。
 まず、1962年当時、東西冷戦という状態があった。東とは社会主義圏で西は資本主義(市場経済体制? 民主主義体制?)の側。具体的にはソ連アメリカ。
 広島と長崎に投下された原爆は、核兵器の脅威を世界中に知らせた。ソ連核武装しないとアメリカに支配されると考えた。アメリカはソ連の上をいくために、水爆を開発した。双方が水爆という最終兵器を手にいれると、今度はミサイル開発競争になった。1959年にはICBMが実戦配備され、世界は核の傘で覆われることになった。1962年にはソ連アメリカも世界の大半を破壊するに足る核とICBM保有していた。ソ連のミサイルはヨーロッパや日本も標的としていた。
 この状態を「相互確証破壊」と呼んだ。どちらかが先制攻撃をしても、核による報復をまねき、最終的には双方が完全に破壊されることが確実な状況を指す。ゲーム理論では「現在の戦略をどちらも変更する余地がない」ことを均衡とよぶ。これは均衡である。
 キューバ危機は双方がシグナリングに失敗したことで均衡が揺らいだ。シグナリングとは、ゲーム理論で「相手に自分の意図を(言葉でなく)シグナルで伝えること」を指す。たとえばポーカーで自分の手札がいいようなふりをして相手を降ろさせるとか(もともとゲーム理論フォン・ノイマンがブラフといったことをふくむポーカーゲームを数学的に分析することを目的に開発したものだった。
 スターリンの後継者となったフルシチョフスターリン批判をおこない、「雪どけ」を演出していた。しかし1956年にはハンガリー民主化運動を弾圧して、ソ連の傀儡政権をつくった。
 1961年のケネディが大統領になったときの米ソ間の問題は、アメリカの裏庭であるキューバでおきた革命と、ドイツのベルリンのあつかいだった。ベルリンは核戦争という世界最終戦争の引き金をひくものとなることがおそれられていたが、1961年のフルシチョフによる、西ベルリンを壁で囲い込み東側から分断するという奇策により、それは回避された。
 1959年のカストロらによるキューバ革命に対しては、フルシチョフは米国の軍事介入を黙認するというシグナルをおくった。ハンガリーに戦車を送り込んだ以上、米国がキューバに軍事介入してもおあいこということである。しかし、当時のアイゼンハワー大統領は、正規軍の介入はせず、亡命キューバ人を傭兵として送ってカストロを倒すという陰謀に走り、ケネディ就任時にはそれが覆せない既定路線となっていた。1961年4月のキューバ人傭兵の上陸作戦は3日で撃退されてしまう。この作戦の失敗をみて、フルシチョフケネディを弱虫(チキン)とみなすようになった。もともとアメリカとの友好関係をのぞんでいたカストロも急速にソ連への傾斜を強めた。
 当時、トルコへの中距離弾道弾の配備をアメリカは進めていた。とすれば、それはソ連キューバ核兵器を配備しても米国が容認するというシグナルとフルシチョフは解釈した。
 ケネディは「キューバへの核兵器の配備は認めない」と繰り返し表明していた。しかしフルシチョフケネディは「チキン」なのだから、極秘裏に配備してしまえばなにもできないと思った。既成事実をつくってしまえば勝ちと考えた。
 一方、ケネディはこの危機に際し、国民にテレビ演説し、ソ連キューバに極秘裏に核ミサイルを配備しようとしていること、それを米国はみとめないとし、キューバにむかうすべての艦船を「隔離」すると宣言した。海上封鎖といえば戦争行為だが、「隔離」という曖昧な言葉を使うことで同時にアメリカからは紛争を拡大する意思はないことも表明した。そうして下駄をフルシチョフ側にあずけた。
 ソ連の艦船は公海上を航行しているので、「隔離」は国際法違反である。しかし、米州機構の緊急会合がそれを全会一致で支持したことで正当性がなんとか確保された。国連事務総長ウ・タントアメリカがキューバに軍事侵攻をしないと約束することでミサイルの撤去をフルシチョフにもとめた。ウ・タントの提案はフルシチョフにとっても渡りに船だった。核戦争を避ける全世界の願いにこたえてミサイルを撤去するという大義名分ができた。
 と、ここで一件落着のはずだったのだが、暗転する。
 その翌日、フルシチョフからの新たな書簡がアメリカに大混乱を起こすことになる。「ソ連がトルコの内政に干渉しないと約束するので、トルコにあるアメリカの核ミサイルを撤去せよ」というものだった。
 実は原子力潜水艦に核ミサイルを搭載できるようになったため、トルコのミサイル基地は無用の長物であった。しかしトルコはソ連に対する抑止力の象徴として、その存続を求めていた。ソ連の要求に屈すればNATOが崩壊するおそれもあった。
 悪いことに、キューバのミサイル基地を偵察していた機が戻ってこない事態がおきていた。
 米国の対応は、それへの報復はせず、フルシチョフからの新たな書簡は無視し、ソ連からのキューバからのミサイル撤去提案は受け入れて、水面下で3年以内のトルコのミサイル撤去を提案するものだった。
 キューバへの偵察機は撃墜されたのだが、偵察機が侵入しても発砲するなというソ連からの指示があったにもかかわらず、侵入の事実をソ連に報告しても連絡がとれなかった現地のソ連指揮官が独自の判断でおこなった行動だった。
 フルシチョフは、この撃墜を意図的なものとアメリカがうけとれば、アメリカは報復攻撃をするかもしれないと考え、キューバからのミサイル撤去はやむなしと判断した。これにより危機は去ったが、その後明らかになった情報により、カストロアメリカの植民地になるくらいなら自国を核の戦場にしてもいいと考えていたことが明らかになっているし、米ソの首脳も全面核戦争に突入して人類が滅亡する事態も視野に入れていたことも明らかになっている。つまり本当に1962年10月に、人類は存亡の淵にたっていたわけである。
 これらの経過を橘氏ゲーム理論の言葉で説明していく。
 A)シグナリング:言語でない手段で相手に自分の意図をつたえていくこと。
 B)コミットメント:ゲームをする相互間で「相手に、自分がどのような行動をとる人間であるかという評価を作り上げる」こと。例:「どんな犠牲をはらっても実行するタイプ」 「強い手のときにしか勝負しない人」など。
 このキューバ危機での事態はシグナリングとコミットメントの失敗として理解できると橘氏はする。これが人類を掛け金としたポーカー・ゲームであったのだというのである。
 第二次大戦後しばらくは科学と合理性への信仰の時代だった。第二次大戦でファシズムを倒したのは科学の力であると信じられていたからである。第二次大戦中にオペレーション・リサーチというやり方がでてきたし、何よりも原爆の威力があった。
 ゲーム理論フォン・ノイマンによるが、彼はコンピュータの父でもあり、超人的記憶力を持つ天才とされているが、アインシュタインゲーデルなどとは異なり、社交好きで品のないジョークを飛ばす、ゲームやおもちゃに目がない俗人だった。53歳でがんで死んだ。
 ゲーム理論では「自分も相手も現状より多くを獲得できない状況」を「均衡」と呼ぶ。これがゲーム理論での最適の状態であるが、1)均衡は平等とは異なる(むしろ不公平なことが多い)、2)均衡がみんなにとっての最善とは限らない(囚人のジレンマ、など)、3)均衡は複数ありうる、ことが問題となる。
 これをキューバ危機に応用してみる。米国・ソ連ともに「攻撃する」「攻撃しない」の二つの選択がある。攻撃を選べばおそらく相互が滅亡する。それなら先制攻撃すれば自分が生き残って相手だけ滅亡する。しかしそれはできないことが「相互確証破壊」で証明されている。相手も滅びる前に攻撃する余地があり自分だけ生き残ることはできない。とすれば、「どちらも攻撃しない」が「均衡」解である。「核の恐怖による平和」である。
 映画「理由なき反抗」で描かれたような「チキン・ゲーム」で考えてみる。双方崖にむかって車を走らせて、崖ぎりぎりで車から飛び降りたほうが勝ち。双方飛び降りそこねて崖から落ちるのが最悪。相手より先に飛び降りてしまうのが、その次に悪い。一番いいのは相手より後で車を飛び降りて生き残ること。
 キューバ危機もケネディフルシチョフを代表とする米国とソ連の間でのチキン・ゲームだった。では、チキン・ゲームでの均衡は? それを示したのがナッシュによる「ナッシュ均衡」である。ナッシュは、それによるノーベル章受賞よりも統合失調症で苦しみながらそれを克服した姿を描いた映画「ビューティフル・マインド」のほうで有名かもしれない。
 相手よりもがんばって車にいて後から飛び降りるほうがましということは米国もソ連もともに考えている。つまり米国とソ連とそれぞれの最適解があり最適解が二つあることになる。そうだとすれば、「核の恐怖による平和」を破って「チキン・ゲーム」をはじめてたこと自体が悪いことになる。
 そもそも「核の恐怖による均衡」よりも「核の廃絶」のほうが望ましいことは自明ではないか? しかし核兵器を廃棄するコミットメントの手段がないのである。相手が密かに隠し持っていたら終わりである。
 ゲームの理論はポーカーの分析からはじまったのだが、安全保障や国際関係の分析に抜群の威力を発揮することがわかった。孫子からマキャベリクラウゼヴィッツまで何でも分析することが可能である。
 さらにまた生物学や進化論でも抜群の切れ味を示すこともわかってきた。自己の遺伝子の複製を最大化する戦略の研究に応用可能なのである。社会生物学論争も、そういう“機械”論的な見方をどうしても受け入れられないひとがいるからこそおこった。
 しかし経済学ではそれほどの切れ味は示せなかった。というのは人間はゲームの理論が想定するような合理的行動を示すことが多くないからである。複雑な経済取引は農耕時代以降にはじまったので、進化論的にそのまま対応はできない。
 ここで情報の非対称性という問題がでてくる。これがあるとゲームの理論をそのまま経済行動に応用できなくなる。そこで情報の非対称性を理論に組み込む経済学ができノーベル経済学賞を受賞した(スティグリッツら)。
 そこに経済学自体を根底からくつがえす「行動経済学」がでてきた(カーネマン&トベルスキー)。人間の不合理な選択もまた進化心理学で説明できる。「非合理性」は「利益を好み損を嫌う」というプログラムがわれわれに組み込まれていることに由来する。ゲームの理論は人間がつねにスロー思考をするという前提をもっている。人間は多くの場合、直感によるファスト思考で行動する。
 とすれば、進化論的には合理的だが数学的には不合理な行動をする人間を想定する「行動ゲーム理論」がでてくる。これによりゲームをくりかえせば人間は誤りから学習してナッシュ均衡にいたることが示された。行動ゲーム理論社会学文化人類学歴史学などもとりこんでいく。ミクロ経済学はそれにより洗練されていくが、しかしマクロ経済学は科学ではない。だから経済予測はあたらないのである。
 
 わたくしは進化心理学は進んで受け入れるし、タレブの本を通じて知った行動経済学にもとても魅了された。面白いことにタレブはポパーの信者でもあって、わたくしもまたポパーの信者である。しかし、どうしてもゲーム理論にはなじめなくて、それはそれがいかにも数学的、しかも損と得という観点からの数学でしかない点にあったように思う。下世話にいえば、損して得とるということだってあるじゃないかとでもいうことだろうか? もちろん洗練されたゲーム理論ならば、そういうことだってちゃんと説明できるのだろうが、それでも損か得かというのは必ずしも経済的なことばかりではないはずである。
 今の若いひとがジェームス・ディーンを知っているのかどうかわからないが、こちらは「理由なき反抗」はみていて(というか「エデンの東」も「ジャイアンツ」もみなみている)、チキン・レースの場面は覚えている。そこで賭けられていたものは、「仲間からの尊敬」あるいは「チキン(弱虫)とみられない」といったことで、一部のひとにとっては「馬鹿にされる」ということが最大の問題であるようである。しかし、アメリカとソ連が「馬鹿にされない」といった面子をかけて、結果として人類滅亡の淵までいっていたというのは、馬鹿げてもいるし、不可思議なことでもある。
 しかし、最近のギリシャの問題にしても、昨今の中国や北朝鮮の行動にしても最後はそこに帰着してしまうのかもしれない。「一寸の虫にも五分の魂」ということもあるし、「鶏頭となるも牛後となるなかれ」ということもある。「誇り」あるいは「顔を立てる」という問題は大変な問題である。フクヤマの「歴史の終わり」もそういうことを論じていたような気がする。
 わたくしが何となくゲームの理論になじめないのは、フォン・ノイマンという人間になじめないこととパラレルであるような気もする。本書でも書かれているようにフォン・ノイマンは大天才というか、もうとんでもなく頭のいい人なのだが、それでも天才によく見られる変人性とか奇人性がなく、単に頭がいいだけなのである。それも数学的に頭がいいだけ。それを感じたのが昔「フォン・ノイマンとウィーナー」という本を読んだときで、ウィナーというのが面白い人であるのに対して、ノイマンは全然面白くないひとなのである。
 本書では「ノイマンは1957年、わずか53歳でがんによって死亡するが(原爆実験の際の被爆が原因ともされる)、その影響力は氏の直前まで絶大で、病院のベッドはこの天才から対ソ戦の戦略を聞こうとする国防長官や米軍幹部たちに囲まれていたという」と書かれているが(フォン・ノイマンマンハッタン計画でも大きな役割を演じた)、「フォン・ノイマンとウィーナー」によれば、死因は骨髄癌(骨肉腫? 多発性骨髄腫?)で、それが発見されて以来ノイマンは完全な精神崩壊状態になってしまい(「死」という事態は数学的にはまったく解がない状態なのである)、死の床も厳重な軍の監視常態下のおかれたが、それは精神が崩壊したノイマンが軍の重大機密を口走ってそれが外部に漏れることを恐れたためと書かれていた。ノイマンは数学や物理学のような一般的な解がある問題を解くことについては比類のない能力を持ったいたが、「自分の死」というような個別の問題についてはなずすべを知らなかったのである。「フォン・ノイマンとウィーナー」によれば、フォン・ノイマンカトリックに救いを求めたが、それにも救済されず、パニックに陥り、夜ごと恐怖の叫びをあげたのだという。「フォン。ノイマンは、生き方は十分知っていましたが、死に方は知らなかったのです」と書かれている。
 本書でいわれているように、ゲーム理論の示す対処法は「長期的には」正しいのである。しかし「短期的に」目の前にある事態への正しい対処法を示すことはできない。そして「死」というのは、それぞれのひとにただ一回しかおきないことなのである。
 本章ではEBM(根拠に基づいた医療)についても言及されている。個々人の経験にたよるのでもなく権威に盲従するのでもなく、膨大なデータベースに基づいて最良の治療法を選択していくいきかたである。そのエビデンズが、目の前にいる患者さんの疾患の治療については手術が最善の選択であるということを示していたとしても、手術が結果として死をまねいたとしたら、そのエビデンスはどのような意味があったことになるのだろう?
 ケネディフルシチョフあるいはそれらの背景にいるエリートたちの間でのゲームとしてのキューバ危機というのは、ここで書かれている事実だけでもきわめて興味深いものであるが、それでもそこでの外交というのは、メッテルニヒタレーランなどがおこなった外交とは何か根本的なところで違っているような気がする。
 ダフ・クーパーの「タレイラン評伝」では、「かつてナポレオンをあれほどまでに魅惑し、メッテルニヒの鼻をあかし、フーシュをすら出し抜いた彼(タレイラン)の知性の輝きも、フランス議会史上にいわゆる『前代未聞の議会』と呼ばれたところの、超王党派的議会の多数を構成する田舎紳士の鈍重さには、根っから歯が立たなかった。・・たとえばどんなに賢い陰謀家が計略と秘術のかぎりをつくしたとしても、救うべからざる馬鹿には、ほとんど頭が上がらないのである」とある。
 ケネディの背後にいたのは、いわゆる「ベスト&ブライテスト」の人たちである。鈍重な田舎紳士とはまったくことなる。しかし、それでも彼らもまたフォン・ノイマン的な知性の人たちであって、タレイラン的な知性とはまったく異なる存在であったように思われる。タレイランによれば、「1789年年以前に生きたことのない人には、人生の甘美さはわからぬ」のであるから、「ベスト&ブライテスト」たちもまた「人生の甘美さ」はあまり縁のない人たちだったのではないかと思うのである。
 

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