今日入手した本 松岡正剛「国家と「私」の行方」

18歳から考える国家と「私」の行方 〈東巻〉: セイゴオ先生が語る歴史的現在

18歳から考える国家と「私」の行方 〈東巻〉: セイゴオ先生が語る歴史的現在

18歳から考える国家と「私」の行方 〈西巻〉: セイゴオ先生が語る歴史的現在

18歳から考える国家と「私」の行方 〈西巻〉: セイゴオ先生が語る歴史的現在

 「18歳から考える」という本を68歳のわたくしが読むのもいかがなものかという気もするが、知らないことがたくさん書いてあるので読むと面白いのだから仕方がない。たとえば「コーヒーハウス」や「カフェ」の歴史、また紅茶の歴史。「溜まり場」ということを松岡氏はいうのだが、吉田健一用語では「社交」だろうか。
 本書は「編集」という観点から歴史を見るというものらしいが、松岡氏のいう「編集」という概念がまだ100ページほどしか読んでいないところでは今一つピンとこない。歴史というのは「事実」の集積ではなく、史観というものなしにはなりたたないというのであればあまりに平凡であるので、むしろシュールリアリズム的な一見無関係と思われることを結びつけることで何か新しい見方がでてくるというような方向なのかなとも思う。
 わたくしは骨の髄まで西欧的な見方に毒されている人間だと思うので、もっと大きな視野からものをみている本に接すると皆面白く感じるということがあると思う。例えば、オスマントルコのことなどほとんど何も知らないのである。