松岡正剛「国家と「私」の行方 西巻」 第11講「アメリカの資本主義と大衆の力」

 
 この上下二巻(東西2巻?)の本をぱらぱらと見ていて、第11講で、たまたまゲーム理論のことがとりあげられているのが目についた。年末に橘玲さんの「「読まなくていい本」の読書案内」でのゲーム理論についての論をみたばかりであったので、それとくらべて考えてみたいと思う。
 第11講は「アメリカの資本主義と大衆の力」というタイトルでありゲーム理論だけがとりあげられているわけではない。ゲーム理論は戦後のある時期(今でも?)アメリカ国防戦略部隊のなかで非常に流行した、という文脈においてとりあげられている。
 ソ連との対抗のため、国防戦略部隊では、安全保障を1)奇襲攻撃論、2)ゲーム理論、3)オペレーション・リサーチとシステム分析の3つの視点から分析したのだという。橘氏の論で「相互確証破壊」(MAD)と呼ばれていた奇襲した側も報復を受けてしまうので結局は奇襲には踏み切れないといういわゆる恐怖の均衡論は、当時のソ連の秘密主義のためにアメリカからはソ連の戦力が十分には読めないという理由によってうまくいかなかったと、松岡氏の論ではされている。そこでアメリカがとったのが、たとえ相手がどんな兵力をもっているにせよ、それをはるかにうわまわる兵力をアメリカがもっていることを示すことによってソ連を牽制して、そのことを抑止力にしようとする方向(ゼロサムゲーム)であったと松岡氏はいう。それを示していた上で、限定爆撃を段階的にエスカレートしていうのがその戦略であった。松岡氏の本によれば、1962年のキューバ危機はケネディが限定爆撃型のエスカレーションによってフルシチョフキューバに核ミサイルを配置することを阻止した成功例であるとされている(橘氏の本ではかなり偶然にも助けられたもので、危ない綱渡りであったが、しかしとにかくもケネディフルシチョフも合理的な人間ではあったので危機が回避されたとしていた。それに対してカストロは非合理な選択を受け入れる人間、つまり場合によっては世界が滅びてもかまわないという人間であったように書かれていた)。そして橘氏の本でも松岡氏の本でも、ここでの成功が結果としてべトナムの泥沼へと道を開いてしまったという見解では一致している。
 アメリカという国家自体がゲーム理論が好きなのだと松岡氏はいう。なぜなら自分たちがいちばん理性的でかつ合理的と信じているから。しかし、その論は相手もそこそこに合理的でなければ成立しないのである。
 ゲーム理論には「情報や知識を、相手も同じレベルで認知できる、あるいはそうなるべきである」であると思いこむ、合理主義者が陥りやすい陥穽がある。大国のゲーム理論に対してゲリラやテロがでてくるのはそのためである、と。9・11のような事態はゲーム理論からは決して予測されることはないのである。さらに「ヒトラーの狂気」のようなものを持つものが一人でもゲームに参加してくると、その他のゲーム参加者が合理的で理性的であればあるほど、かえって危険が増ことも、ゲーム理論は教えている。
 さて、ここから松岡氏の論は自由主義リベラリズム)のほうへと進んでいく。特に冷戦後期の新自由主義を問題にする。サッチャーレーガンの「新自由主義」を論じて、その理論的支柱をハイエクフリードマンらのシカゴ学派にもとめていく。このあたりの松岡氏の論にはちょっと理解しづらい点がある。ハイエクフリードマンをほぼ同質の経済理論家として論じているように見えるからである。わたくしからは、ハイエクは思想家の列に属するひとであるが、フリードマンは何だかマッド・サイエンティストの系列の人のように見えてしまう。松岡氏によればシカゴ学派は「人間の判断や行動は必ずや合理的に説明できるはずだ」としているというのだが、これこそがハイエクが批判した「理性への過信」なのではないだろうか?(フリードマンには、松岡氏のいう合理性への過信があると思う。) 渡部昇一氏の「不確実性時代の哲学 デイヴィッド・ヒューム再評価」(「新常識主義のすすめ」所収」によれば、ハイエクノーベル賞受賞講演は「知りもしないことを知っているという態度をとること」(邦訳題名は「科学知識がもたらす危機」)というタイトルのもので「ハイエクは現代の経済学が、数学的に処理できるものしか科学的と見ず、それを経済の全体として錯覚する傾向があることを指摘し」「本質上知り得ぬもの、コントロールしえぬものを、把握しうると考え、したがって政治が価値などをコントルールできると考え」ていることを批判しているのだという。渡部氏はハイエクはヒュームの徒であるとし、「人知の限界」を知る陣営の人であるとする。ハイエクが批判したのは、マルクス主義が「科学」の名において政治が価値を支配する行き方であったはずである。
 ところが、松岡氏はシカゴ学派に対置するものとして、フロイトユングの「闇」やカフカカミュの「非中心」といったものを挙げ、シカゴ学派を「平均合理的な個人を想定したロボット的な個人主義」であると批判する。このあたりに文系人間としての松岡氏の弱点が表れているように思う。「明るさは滅びの姿であろうか、人も家も、暗いうちはまだ滅亡せぬ」という太宰治の「右大臣実朝」だったかの言葉が思い出される。
 橘玲氏は松岡氏にくらべるとずっと理系人間なのだと思う。進化論を思考の背骨においているひとと感じる。一方、松岡氏の論は「フロイトユングの「闇」」とかいって、どこか嬉しそうなのである。人間の栄光(と悲惨も?)そこにあり!といった感じなのである。「深さ」への信仰がそこにある。(井戸の底に降りていくのが好きな村上春樹さんにもそれがあると思う。「やみくろ」(「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」である。春樹さんはユング学者の河合隼雄氏を自分を本当に理解してくれている唯一のひとと感じているようである。) わたくしが吉田健一に共感を感じる大きな理由の一つが、吉田氏が深淵とか深さといったものを拒否し続けたひとだった点にあるように思う。なぜなら人間もまた一個の動物だから! (吉田健一を論じる多くのひとが、「東京の昔」のなかの一節にとてもこだわるのはそのためなのだろうと思う。そこには氏の作のなかで例外的に「深淵」が言及されているように読めるからである。(ちくま学芸文庫版「東京の昔」では、p202〜205、p226〜229あたり))
 深さとか深淵とかに価値をおくひとは、どこかで人間は人間以外の動物と不連続な存在であるという信条をもっていると思う。それは進化論からは肯定されえないことであるはずで、ということはそこに西欧的な神様(あるいはそれに類似した何か)を裏から導き入れてくることになる。松岡氏は西欧一辺倒の人ではなく、むしろ西欧を相対化しようという人(だからこの二巻本が東巻と西巻と題されることになる)であるから、当然一神教的な世界観を相対化しようとする視点を持つひとなのだけど、「文」の価値観を「理」の上におこうとするひとのように思う。氏が合理主義を浅薄なものとして嗤うのもその故であろう。ドーキンス対グールドでいえば氏はグールド派なのである。氏はやはり「リベラルアーツ」を信じているひとなのだと思う。
 最終章の「編集的世界観を求めて」で松岡氏は中学時代までは「理科」のほうが「文科」よりもずっと面白かったといっている。高校から歴史をとても面白いと思うのようになったが、世界史が西と東でまったく割れていたこと、日本史がそれとは独立していたことに強い違和感を感じたという。氏のその後にしてきたことは、それぞれ独立しているように見えるものの橋をかけていくことの試みだったのだと思うが、「理科」と「文科」の間に橋をかけるという方向とは違ったものであったように思う。スコラ哲学とか大乗仏教とかは観念論の極地のようなものであり、一方、啓蒙主義論語の世界はそれを解毒しようとするものだったのかもしれないが、松岡氏の論はスコラ哲学的で大乗仏教的な匂いがどこかでするように思えてしまう。一方、橘氏の論はあまりに脱臭されていて何か潤いのようなものに欠けるように思える。
 その中間というのがどういう世界になるのかわからないが、二元論というはどうも議論がやせていく場合が多いように感じてしまう。

18歳から考える国家と「私」の行方 〈西巻〉: セイゴオ先生が語る歴史的現在

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村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

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東京の昔 (ちくま学芸文庫)

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ドーキンス VS グールド (ちくま学芸文庫)

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