(7)食いしんぼう

 

 人間は食つてゐなければ死んでしまふのだから・・食ひしんぼうでだけはありたいものである。嫌でもしなければならないことは楽しんでやれた方がいいに決つてゐて、食ふのが人生最大の楽みだといふことになれば、日に少くとも三度は人生最大の楽みが味へる訳である。

 「酒」と「煙草」のつぎは「食べ物」。ということで「煙草」と同じく随筆集「三文紳士」の「満腹感」という文から。この「満腹感」は吉田氏のエッセイの中でも逸することのできないものの一つだと思う。主として戦争中から戦後すぐにかけての食糧難の時代を描いたものである。
 たとえば戦争中、「あの頃の我々は数字で言つて、どの位腹を減らしてゐたのだらう。もしさういふ計り方があるとすれば、零下何十度と言つた感じの数字が出て来るに違ひない」というところから、「満腹感」という言葉が導かれる。「満腹」ではなくて「満腹感」であるのがみそで、本当は満腹などではないのだが、何となく満腹になったような気にさせることを目的にしてつくられた雑炊食堂という国営?の施設のことが書かれている。
 今日、満腹感などというと、ダイエットしているひとが、食べるのを我慢して、お腹がすいていても満腹であるように思えるための様々な工夫といった方向で使われるのかもしれないが、人類の歴史の99%は飢えの歴史なのであり、飽食の時代などというのはまったくの例外なのであるところにもってきて、戦争中はさらにひどいことになっていたわけで、そこで国民を慰撫するために政府だか軍部だかが雑炊食堂というのを作ったということらしい。そこで食べさせるのが「大きな丼におじやのやうなものが入つて湯気が立つてゐ」というもので、これは「我々から集めた一食五勺の米に、政府の足し米を幾らか混ぜて、同じく特配の味噌だの、大根の切れつぱしだの、丸干しだの、凡そ色々なものをごちやごちやに入れて煮たもの」というしろもので、水分で量だけ多くみせているのだから、真面目な人間はそんな所に行かなくなったということだが、吉田氏は一軒二杯で四軒はしごをしたことがあると書いている。「当時の日本政府認可の雑炊を八杯食ふとどんな気持になるか、これはちよつと筆紙に尽し難い」とある。八杯食べたというのは吉田氏一流の法螺かもしれないが六杯くらいは食べたことがあるのかもしれない。
 戦後しばらくして、少し時代がよくなったときも、「昔、昼飯は蕎麦屋に入つて天ぷら蕎麦を食べることに決めてゐた時代があつて、当時は五杯までなら楽に食べられたものである。それで戦後に蕎麦屋が方々で復活して、昔の懐しさで天ぷら蕎麦を注文して見たが、五杯どころではなくて二杯目がやつとだつた。昔の方が天ぷらが多くて、蕎麦が少かつたのではないだろうか」と書く。吉田氏は食いしんぼうで量の人なのである。
 われわれの寿命は急速に伸びてきているが、これは別に医療の進歩によるのではなく、栄養状態の改善によるらしい。そしてついに飽食の時代になり、医者は毎日患者さんに酒を呑むなとか煙草を喫うなとか食べ過ぎるなとか言っている。煙草は栄養改善には寄与しないし、酒もまた同じであろうが、腹一杯食べると幸福に感じるというのは狩猟採集時代にわれわれの祖先の遺伝子にしっかりと組み込まれた、生得のものらしい。そして現在と未来を秤にかければ現在をとるというのもまた狩猟採集時代を生き延びるため必要な知恵としてわれわれに組み込まれている。食べたいものを我慢するというのはよほど理性が勝ったひとでないとできない苦行ということになる。栄養の改善で寿命が伸び、一方で糖尿病も増えるという時代になって、しかも超高齢化社会になって必ずしもわれわれが幸福でもないとするならば、我慢しないで食べたいだけ食べるというのはなかなかいい選択肢のようにも思える。酒も煙草も寿命を縮めるのであれば、大いに推奨という路線だってありそうである。それに医者はどう答えるか。「死ねればいいですよ。でも寝たきりになったらどうするんですか? そうなっても知らないよ! はい、間食はなし。お酒は一日五勺まで。」 そして一方では、90歳を過ぎても毎年しっかりと健康診断を受けているかたもいる。
 健一さん晩年は酒は呑むが、食べ物は「美味しいかどうか、見ればわかる」といってほとんど箸もつけないという仙人のような生活だったらしい。最後の入院のときもギネスしかのまなかったという。しかし若いときには大食らいであったらしい。ある時、酒の飲み過ぎで潰瘍から出血し、胃の切ってから小食になってしまったらしい。今なら潰瘍は切らずに治せる病気になっている。そうであれば、一生、大食らいでいられたのにと思うと、ちょっと気の毒である。