N・フィリップソン「デイヴィッド・ヒューム」

デイヴィッド・ヒューム:哲学から歴史へ

デイヴィッド・ヒューム:哲学から歴史へ

 
 書店でたまたま見つけた本。副題の通りで、哲学者としてではなく歴史家としてのヒュームを論じたもののようである。
 わたくしがヒュームに興味を持つようになったのは、一つには吉田健一が「ヨウロツパの世紀末」などで、18世紀を代表する文明人としてヒュームを描いていたこと、もう一つはわたくしが唯一理解できるように思える哲学者であるポパーが、帰納の問題を論じるにあたってヒュームを仮想敵にしていたこと、さらには渡部昇一氏が「新常識主義のすすめ」に収めたかなり長いヒューム論「不確実性の哲学 ― デイヴィッド・ヒューム再評価 ― 」で紹介していたヒューム像が面白かったことなどによる。
 渡部氏の論は、最初の章が「『英国史』の著者」というタイトルである。そこで氏は「ヒュームと言われて、彼が『英国史』の著者であることを知っている人はどれほどいるであろうか」と書いている。わたくしももちろん渡部氏のこの論を読むまでは知らなかったし、渡部氏にしても「英語学史」という本を書くときに参照したいろいろな本に、例文としてヒュームの『英国史』がとられていることが多く、人名辞典で確認して、この『英国史』の著者が哲学者のヒュームと同一人物であることを知ったと書いているくらいである。
 このフィリップソンの本でも、『英国史』はヒュームが生きていた時には、そのもっとも売れた本である(今日ヒュームの主著とされている「人性論」は、ヒュームが生きているときにはごくわずかなひとにしか読まれなかった)にもかかわらず、現在では哲学者からも歴史家からもほぼ無視され、1894年からあとは1983年に復刊されるまで絶版状態になっていたと書かれている。
 渡部氏の論は1979年に書かれているから、1983年の『英国史』復刊前であるが、ここ数年、古書の「英国史」の値段が急騰していると書いている。1894年刊の本であろう。英国でヒューム『英国史』の人気が再燃しているというのである。1983年の復刊はそれによるのであろう。
 フィリップソンのこの本は「人性論」の著者ではなく「英国史」の著者としてのヒュームを論じたもののようで、そのキーワードは「文明」であるように、流し読みしたところでは感じる。そして「文明」の敵の大きなものの一つは宗教であるとされているようである。
 20世紀に多くの人が予想したのとは異なって、21世紀になって宗教はむしろ復権してきているのかもしれない。とすれば、われわれは再び野蛮のほうに退行していっていることになるのだろうか?