斎藤環「ひきこもり文化論」

 十年以上前に刊行された本の文庫化。
 斎藤氏のものは「ひきこもり」にかんする本もそれ以外の本も読んでいるが、「戦闘美少女の精神分析」といったサブカルチャー方面の話はまったくわたくしには駄目で(これは東浩紀さんの場合も同じ)、斎藤氏はどちらかといえば精神分析の方向の精神科医であると思うが、精神分析というのもどうも苦手である。にもかかわらず斎藤氏の本をなにかと読んでいるのは、氏の専門とする「ひきこもり」というのがわたくしが最近かかわっている産業医療の分野で直面する問題とどこかで深くかかわっていると感じているからなのだと思う。職場で問題になるひとの一部は、必ずしも若い人とは限らないが、どこかに「ひきこもり」の場合と共通する問題を抱えているかたであるように感じるからである。
 わたくしの患者さんには「ひきこもり」のひとはいないが(そもそも「ひきこもり」のひとは病院の外来にはこない)、患者さんのお子さんが「ひきこもり」になっているひとがいて、患者さんは70代、お子さんもすでに50歳近くで、斎藤氏の本を読んでも介入すべき時期をとうに過ぎているケースと思われるのだが、父親と兄弟はすでに逃げ出し、残ったお母さん(わたくしの患者さん)とそのもう中年になった息子の二人暮らしで、その男性は自傷行為、母親への暴力といったあらゆる手段を使って母親を操作していることが話をきいているだけでも感じられるのだが、お母さんも自分が息子の最後の砦になっていることは身にしみてわかっていて、どうしても息子さんから距離をおくということができないまま、ずるずるときている。わたくしとしてもどうしようもなく、外来でお母さんの話を5分か10分ただきいているだけなのだが、もしお母さんが大きな病気になって自立が困難になったり、亡くなったという場合、このお子さんはどうなってしまうのだろう、ということをいつも思っている。
 村上龍の「共生虫」と「最後の家族」の書評も収められている。「共生虫」の面白さとそれと裏腹なかなり一元的な見方、「最後の家族」のある種の通俗性と綿密な取材による多元的な見方、それを支える小説の技法の巧者としての村上氏の多大な才能という評はとても肯けるものである。
 笠原嘉氏の「アパシー・シンドローム」の解説もある。わたくしには笠原氏の名前は「精神科医のノート」を読んで「メランコリー親和型性格」というものをはじめて知った時の驚きと鮮明に結びついているのだが、このスチューデント・アパシイとかあるいは不登校というのも、会社社会でみられる種々の問題と密接に関係しているだろうと思っている。