山田風太郎「わが推理小説零年」 伊藤比呂美「ラニーニャ」

 山田風太郎の公刊された5冊のエッセイ集には収録されなかったエッセイのなかからミステリ関係のエッセイを集めたものらしい。山田風太郎の書いたものは何でも面白いと思っているので、買ってきた。
 そう思っているものも多いかもしれないが、わたくしも、山田風太郎は近年日本の最大の作家のひとりではないかと思っている。「戦中派不戦日記」などを読んでも、またこの人、作家になったひとなのだから、当然のこととして、内部に暗いところ、狂的な部分があることことは間違いないとして、「競争心というものがサッパリない」というのもまた本当なのだろうと思う。それが山田氏の不思議な味わいにつながっているはずである。後世に名を残すとか文学賞をとるといったことにはいささかの関心もなかったのではないかと思う。
 ちらちらと読んでいたら、吉川英治の「宮本武蔵」を評して、「あの中の主人公の求道精神なるものは、実は作りものの一つの手法、テクニックではなかったのか。虚構のお説教ではなかったのか。おそらくその当時は作者もそのことをちゃんと意識して書いていたのではなかったか。ところが、それがあまりに読者の心を打って感動感激する人々が多かったものだから、あとはミイラ取りがミイラになり、人みなわが師といっていた人が、人みなの師になってしまった ― ように、私は感じるのだが、如何。」という。司馬遼太郎なども「あまりに読者の心を打って感動感激する人々が多かっものだから、人みなの師になってしまっ」て、結果、随分と窮屈な思いもしたのではないかと思う。
 山田風太郎司馬遼太郎とはかなり対照的な史観を持っていたひとだと思うが、それを伝奇小説などのなかに淡々と書いて、決して「人みなの師」などといわれることないように周到に配慮して生きたひとだったのだと思う。これが「競争心というものがサッパリない」こととどのようにかかわるのかはわからないけれども、言論の持つ力というものに決して幻想を抱くことがなかったひとであることは確かであると思う。
  この小説のことを知っていたのは、加藤典洋氏の「小節の未来」で紹介されていたからで、加藤氏のこの本からは村上龍希望の国エクソダス」、町田康「くっすん大黒」などについて随分と教えられるところがあった。この「ラニーニャ」という小説についても「この作品が小説になっているのなら、どこでなのか」というところから論じていて、この小説が何を主張しているかとか何を描いているかではなく、小説を小説たらしめるものは何かという議論の一つの例題として、これが論じられていた。
 伊藤氏はアメリカに住んでいるらしいが、この文庫へのあとがきで「わたしがアメリカに渡ったのが一九九七年二月、永住ビザを取ったのが翌年の六月、この小さな事件(伊藤氏がある小説を書いたこと)が起こったのが二〇〇〇年五月、二〇〇一年一月にジョージ・W・ブッシュが大統領になりました。その年の九月十一日に同時多発テロがありました。そしてそれから、がらがらと何ものかが崩れて、おかしくなっていきました。 /それ以前と以降とでは、アメリカは本当に変わりました。その変化は不可逆的で、以前あった大らかさや夢は(そんなもの、ほんとうはなかったのかもしれないけど)、もうないのだと、はっきりわかって、暮らしていくしかなくなった。」と書いている。
 本当にそうなのだろうと思う。たとえば、ドラッカーが「傍観者の時代」(「わが軌跡」)に描かれた「お人好しの時代のアメリカ」(1938年のアメリカ)は永久に失われたのだと思う。もっとも、このドラッカーの本の最後の章は「お人好しの時代の終わり」と題されていて、それを終わらせたものは、日本の真珠湾攻撃であったとされている。