考える人 2016年夏号「特集 谷川俊太郎」

考える人 2016年 08 月号

考える人 2016年 08 月号

 尾崎真理子という方を聞き手にした谷川氏のロング・インタヴューがある。読んで「ヤな奴だな」と思う。例えば、佐野洋子さんについて。
 「佐野さんは不公平だと思ったんじゃない。僕は佐野さんのいいところを全部吸収したからね。僕からは吸収するようなものは、なかったんだよ。ぼくのいいところというのは、佐野さんにとっては、別にどうでもいいことだったと思うんだ。・・僕は反省しちゃうほうだから。あと、どういうときがが幸せ?、と聞かれて「ニュートラルな状態」と答えたら、信じられないと驚かれたし。・・僕は全然、相手がいなくても、ひとりで成り立つちゃうから、そういうちがい、大きいよね。わたしがいても淋しいでしょう、あんたは、と言われたことがある。自分がいなかったら淋しいと思いたいけど、それと関係なく淋しい人だと思っていたんじゃないの。」
 こんなにわかられてしまったら困るだろうと思う。橋本治の「「三島由紀夫」とはなにものだったのか」は、三島由紀夫という自分のことは自分が一番よく知っているという砦を守ることに一生をかけたひとを描いて、知識人の不幸を描いたものだったのだと思うが、谷川氏は自分が変わることを少しもおそれていない、にもかかわらず自分のことにしか関心がなく、ひとりだけで成り立ってしまう人間という、三島由紀夫とは別種の不幸な知識人の典型像であるように思える。「ヨーコさんの“言葉”」で、「ゆるやかに崩壊していった家庭を営みながら、私は一冊の絵本を創った。一匹の猫が一匹のめす猫に めぐり逢い子を産み やがて死ぬという ただそれだけの物語だった。「100万回生きたねこ」という物語が、私の絵本の中で めずらしくよく売れたことは、人間が ただそれだけのことを 素朴にのぞんでいるのか と思わされ、何より私が ただそれだけのことを願っている 表れだったような気がする」と佐野氏は、書く。 こういう素朴さというのは谷川氏にはなくて、というか女性に特性なものでもあるのかもしれなくて、それをもちろん進化生物学といった観点から説明することも可能なのであろうし、「佐野洋子はものすごく嫉妬深い人で」ということもふくめても、そうであるにしても、やはり男は女に勝てないのだなあと思う。それだからこそ、男は知性というものを磨いて女に対抗しようとするのだと三島由紀夫はいうのだが、たとえ、谷川氏が「数学なんて二次方程式で押しこぼれていた」ひとであるとしても、やはり知性のひとだと思うのである。