西内啓「統計学が日本を救う」(2)

  
 以下、第二章「貧困との戦いとしての社会保障論」を見る。わたくしにはこの本では本章が一番面白く、教えられるところも多かった。特に幼児教育の重要性ということについてはじめて知るところがあり勉強した。
 本書が立つ前提は、「今の時点で不経済な財政であっても、将来の日本人の生活に何のリスクももたらさないのであれば問題ない」「少子化であっても、日本経済と社会保障制度が持続的に回り続ければ問題ない」ということであると著者はいう。生活保護制度は怠け者を利するといった俗論があるが、歴史を経ての様座な試みを結果をみたうで得られた教訓として、生活保護、年金、医療保険を組み合わせた現行の社会保障制度がベストであるとい合意ができあがってきているとして、歴史の経緯を、イギリスでの制度の例にとって簡単に示している。
1)エリザベス救貧法:1601年成立。これはその当時の町に浮浪者があふれているということからの治安の悪化への対応として成立した。貧困者を労役場でごくわずかな賃金で働かせた。いわゆる劣等処遇の原則であり、もしも最低賃金で働くひとよりも多くをそういう貧困者に払ったら、まじめなひとは誰も働かなくなるという発想である。しかし、そのような劣悪な待遇でひとを働かせることは困難だった。
2)ウイリアム・ヤング法とスピーナムランド制度:1795年。勤勉であるにもかかわらず貧しいものには、在宅での救済をあたえる、とした制度。もしも最低限生きるために必要な収入が勤勉に労働しているにもかかわらず得られない場合には、その差額を救貧税から提供する、というものである。この制度も失敗した。どうせ国が補償してくれるならと、事業者が賃金を下げたからである。そうであるなら労働者も真面目に働かなくなる。しかし、通常は貧困者の保護よりも、犯罪者の収容のほうがコストがかかるのである。
3)1909年最低賃金法。1911年国民保険法:ウエッブ夫妻によるナショナルミニマムの考えにもとづく。
 これらの展望のうえにたって、著者は「社会保障制度」こそが現行最良の貧困対策である、とする。
 それでも高齢化の進行などによって、制度の維持が困難であることが予想される場合にはどうしたらいいのか? そこで著者は「パブリックヘルス」という概念を示す。これは日本では通常、公衆衛生を訳される。健康を害する真の原因を統計学を駆使して考えていく学問である。
 チャドウィックの「サニタリーレポート」:1833年。これは「大英帝国における労働人口集団の衛生状態に関する報告」が原題で、都市部に住むものの悲惨な健康の現状を報告したものである。それによれば、当時、生まれた子どもの半数が五歳までに死んでいる。30軒に一軒にしかトイレがなく、一軒に10家族が住んでいる。彼らの死亡時の平均年齢は、上流階級で45歳、商人階級で30歳、労働者階級では20歳であった。この現状に対して衛生状態の改善を図ることが、如何に効率的で価値のある投資であるかということが以後示されることになった。
 これを日本の現状に応用するとすれば、救貧法→公衆衛生という発想の転換である。おきたことに対策を打つよりも予防のほうが効果的であるという視点である。病気が貧困をつくるのではなく、貧困が病気をつくる。当時のイギリスでも病気は貧困の原因であったが、その病気は劣悪な衛生環境がつくっていた。
 それでは、日本における貧困の原因は何か?
 2千人の女性の10年にわたる追及の結果では、最終学歴について、中卒のものは短大卒以上のものにくらべ約4倍弱、高卒で2.5倍貧困状態に陥る可能性が高かった。未婚女性は既婚女性にくらべ4倍弱、(配偶者と?)離別死別の経験があるものはないものにくらべ6倍弱、貧困におちいる可能性が高く、子どもが3人以上いる場合にも5倍弱であった。西内氏はこれを「低学年で計画性に乏しい妊娠と出産を経験したシングルマザー」という像にまとめている。
 さらにその他のデータもくわえて、「本人あるいはその親の低学歴、無計画な妊娠、離婚、非正規雇用家庭内暴力、社会からの孤立、うつ病などの精神疾患などが女性の貧困のリスクファクターである、とまとめている。
 そこでこれらにたいする対策として西内氏が提示するのが「幼児教育」である。
 具体的には、1960年代からアメリカで行われてきている「ヘッドスタート」と呼ばれる低所得者層の幼児向けの就学プログラムである。その具体例として示されているものでは幼児だけでなくその親も教育の対象となっている。幼児に対しては少人数教育で読み書きを教え、親に対しては子どもへの接し方を教育する。ここではコントロール群もおかれて、40歳までの追跡比較調査がなされている。結果は、幼児教育群が6歳でIQが高く、19歳で留年や中退が少なく、27歳で自分の家を所有している確率が高く、生活保護受給者も少ない。40歳で逮捕歴が少なく、所得も、有職率も、貯蓄率も高かった。本書で知ったのだが、これはIQの向上によるのではなく、「非認知能力」と呼ばれる「長期計画を立てる」「感情を制御して他人と協働する」といった能力の向上によるのだそうである。この非認知能力が高いと、学歴が高く、賃金が高く、望まない十代の妊娠が少なく、犯罪率も低い傾向があるのだそうである。これは同時に社会にとってもメリットがあるものであることは容易に見てとれる。
 この幼児教育はそれほど費用がかからずに効果がえられるものである。一方、現在においてもっとも費用がかかっているのが、高齢者への対応である。
 著者が示すそれへの対策:高齢者も働くこと。仕事をしている高齢者のほうが幸せ感が強く、健康状態もよい(死亡率が4割低い)。

 ここで示されている「非認知能力」というものを不勉強でよく知らなかった。「長期計画を立てる」「感情を制御して他人と協働する」といったことがいわゆるIQと対比されている。
 さて、相関関係と因果関係の区別というのは統計学のイロハであるが、ここで示されている「幼児教育」→「非認知能力の向上」→「将来の社会的成功」という図式は、必ずしも「幼児教育」そのものの効果とはいえないかもしれないのではないかと思う。つまり教育という場の設定から生じる人間的な接触が効果を発揮したのであって、何も教育はせずただ一緒に遊ぶといったことでも同様な効果は得られる可能性はあるのかもしれない。また社会的な成功をもたらすものも、IQといったものよりも、コミュニケーション能力といったもののほうであるかもしれないことも本書でのデータは示しているのかもしれない。
 ここでわたくしが思い出すのがバロン=コーエンの「共感する女脳、システム化する男脳」(原題は「根本的な違い」)である。つまり、IQが男脳、非認知能力というのが女脳にあたるのではないかということである。バロン=コーエンの説は胎生期の脳へのテストステロンの影響を強調するものであるから、先天的で根本的な違いという方向にいくが、ここでの教育の非認知能力への影響という視点では、それは後天的にも育成可能であるということになる。
 社会生活上での成功ということが「頭のよさ」よりも「協調性」のようなものにより大きな影響を受けるのだとすると、あるいは逆から見て社会の安定はそれを構成する人々の「頭のよさ」よりも「協調性」により大きく依拠するのだとすると、われわれがめざすべき方向は協調性をもった人間の育成であることになる。そしてそのことを学問として示すのが統計学という高等数学(すなわちIQの産物)を駆使した学問なのである。
 このあたりをもっと敷衍して、IQ=理解できる、非認知能力=納得できるという方向と考えてみる。われわれにとって一番大事であるのは「頭でわかる」ことではなく「腑に落ちる」ことであることになる。「理屈」ではなく「人情」ということになる。恩田木工「かく申すもそれは理屈なり」(日暮硯)、「論よりは義理と人情の話し合い」「権利義務などと四角にもの言わず」「なまなかの法律論は抜きにして」(調停いろはかるた 川島武宜「日本人の法意識」)
 こんな風に議論を一般化していっても意味がないけれども、昨今のトランプ現象も、あるいは現在のところ日本が世界の最長寿国であるのも、こういったこととまったく無関係ではないかもしれないと考えている。最近の田中角栄再評価?もあるいは関係があるかもしれない。
 理性の世紀から感情の世紀へというと大袈裟になるかもしれないが、昨今の行動経済学の流行だって、それと関係しているかもしれない。
 しかし、いずれにしても統計学が示す日本を救う道が、貧困については旧来からの社会保障制度の維持(あるいはさらにその拡充)と幼児教育、高齢者については、定年の廃止ということであるのを読むと、いささか脱力感が生じるのも事実である。対策がそれだけなのか? そんな簡単(ではないかもしれないが)なことで日本が救われるのか? という感じである。しかも幼児教育は成果がでるのは少なくとも5年から10年先のことであるし、世界でも類のない定年制(諸外国においては、それは年齢差別とされるのでありえない規定であるとされてしまう)の廃止は、その制度がこれまたほぼ日本特有の制度である新卒四月一括採用という就職形態と表裏一体の制度であるので、日本の就業の形態の根源的な変更なしには実現できないことになるわけで、結局は言ってみただけで現実的な政策提言とはとてもいえないように感じる。つまり理屈であって「非認知能力」のほうには響いてこない。むしろわたくしにとっては、ここに示されている具体的な提言よりも「非認知能力」という視点を一つ知ったということのほうが、本書を読んだことの一番大きな成果というように感じる。
 次の第3章は医療にかかるコストの問題であるので、よりわたくしに身近な話題ということになる。

共感する女脳、システム化する男脳

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日暮硯 (岩波文庫)

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日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

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