ここではあまりプライヴェートなことは書かないようにしているが、本年は95歳になる母の介護の問題が表面化してきて、また身内で心臓弁膜症で手術するものがでたりで、例年とは少し違う一年になった。その他にもいろいろあるのだが、いずれにしても必ずしも心穏やかとばかりはいかないことになってしまった。それで年初からはじめた「吉田健一の50の言葉」も18回くらいで頓挫したままとなっている。吉田健一については春風駘蕩といった気持ちでないとどうもなかなか書く気にならないというところがあるようである。それでも年があらたまったらまた書き継いでいこうかと思っている。
そのほか鹿島茂氏の「ドーダの人、小林秀雄」も中断したままとなっている。これは本当は吉田健一のお師匠さんである河上徹太郎について考えてみたいというつもりでもあったのだが、肝心の河上さんがでてこないうちに中断している。これもまた時期をみて再開したい。さらにいえばムカジーの「病の皇帝「がん」に挑む」の感想も数年来中断したままとなっている。これもぜひ再開したいと思っている。
最新号の「考える人」に政治学者の苅部直氏が「本居宣長、もう一つの顔」という文章を書いていて「本居宣長と吉田健一」を論じている。「「江戸時代」と十八世紀のヨーロッパ」。一見、まったく異なる世界には、意外な共通点が見いだせるのではないか。優雅、礼節、自由、寛容・・・ 近代的価値の輝きを国学に探る」というのが惹句になっている。これは「「文明」との遭遇」という連載の第7回ということなのだが、連載の以前の分は読んでいない。この連載は「西洋の「文明」の受容に至る前史を徳川時代の思想史にたどろうとする」ものらしい。ここで苅部氏は江戸の文明を吉田氏の文明論と結びつけようとしていて、「日本の古典21 新井白石・本居宣長」という現代語訳の本の訳を吉田健一と河上徹太郎が担当していることを糸口にしている。
「日本の古典21」は「ヨオロツパの世紀末」の2年後くらいの刊行で吉田氏の円熟期のものなのだが、この仕事は旧来の年譜では触れられていないことからわかるように氏の仕事として重視されてきていないと思うし、長谷川氏の本でそれを知ったときにも、ああ、そんなこともしていたのだと思った程度で、特にそれ以上感じるところはなかった。長谷川氏もこの仕事を河上氏との師弟の仕事ということ以外にはさして重要視はしていないようであった。
吉田氏が担当したのは本居長宣の「秘本玉くしげ」であるが、これは政策提言書であるので政治にかかわるものである。その最初は宣長は身分について論じていて、その当時、身分ということがあまりに重々しいものになりすぎていることを指摘している。
吉田氏は文明社会には身分というものがともなうとしたひとで、だからウッドハウスのジィーヴスものなどを偏愛したのであろうが、氏の小説にでてくる下宿人あるいは間借り人と婆やとの関係というのもジィーヴスものの変形なのではないかと思っている。身分というものはあるがお互いがそれぞれを尊重する、それが文明であるとした。吉田氏によれば、文明社会であった江戸は明治期に野蛮化するのであるが、それは明治期に輸入した西洋が野蛮時代の西洋であったからというのが「ヨオロツパの世紀末」の一番根っこのにある視点である。
苅部氏は「もののあはれ」論を寛容論と結びつけようとしている。このあたりは吉田氏の18世紀ヨーロッパ論とも重なるのだが、吉田氏は文明人はお互いをいたわるとしたわけだから、要するに江戸時代の日本は文明社会であったということをいっているわけである。
わたくしには吉田氏とはおよそ異なる出自である渡辺京二氏が「逝きし世の面影」などで江戸礼賛のような方向にいたるのが大変おもしろいことに思われる。しかし渡辺氏のどこかに見え隠れする共同体への志向は吉田氏にはみられない。吉田氏はいつでも「個」のほうにいたひとなのである。渡辺氏もまた西洋に骨の髄まで冒されているひとだから、いうまでもなく個の人であるのだが、それでも共同体への希求を捨てられない、そういうねじれが氏の魅力になっているのだと思う。
おそらく渡辺氏はD・H・ロレンスの系列につらなるひとなのであり、吉田氏はフォースターの系列のひとである。ロレンスは西洋の異端であり、フォースターは正統の人である。
というようなことも、また年が明けて機会があればゆっくりと考えてみることにしたい。

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