木村凌二「教養としての世界史の読み方」

教養としての「世界史」の読み方

教養としての「世界史」の読み方

 このようなタイトルの本は最近よく見るけれども、著者も書いているように必ずしも歴史家が書いたものではない。木村氏はローマ史の専門家であって、狭義の歴史家だであるからこそ見えるところもあるはずであると「はじめに」で述べている。
 その「はじめに」のなかに、ローマ帝国の社会は江戸時代の後期の社会と並べてみると理解しやすいという意表をつく言葉が早速でてくる。
 最初のほうに「「文明は都市」「文化は農業」と密接に結びつく」というところがある。吉田健一のキーワードの一つが文明であると思うのだが、氏は農村共同体的なもの、あるいはもっと敷衍して共同体的なものを徹底してきらった人だったと思う。典型的な都会の人だったということだと思うが、わたくしもまた東京で生まれて東京で育った人間なので農村的なもの、あるいは共同体的なものが苦手である。昔、読んだ山本七平さんの言葉に「日本ではある程度の規模の集団がうまく機能するためには共同体化しなければならない。単なる機能集団にとどまったのでは、かならず行き詰ってしまう」というのがあってずっと頭に残っている。会社であれば、本来はある利益をあげるという目標のために集まった集団であるはずなのだが、単にそれだけではだめで、極端な場合には、それぞれ働くひとに「生き甲斐」まで提供することが期待されてしまう。昨今、問題になっている東芝の問題であるとか過労死の問題であるとかは結局そこの問題に帰着してしまうのではないかと思う。
 目次をみるだけでもいろいろと面白そう話題がならんでいる。
 
C・クラーク「夢遊病者たち」1、2
夢遊病者たち 1――第一次世界大戦はいかにして始まったか

夢遊病者たち 1――第一次世界大戦はいかにして始まったか

夢遊病者たち 2――第一次世界大戦はいかにして始まったか

夢遊病者たち 2――第一次世界大戦はいかにして始まったか

 今日の毎日新聞の読書欄で紹介されていた。副題の「第一次世界大戦はいかにしてはじまったか」ということを論じている本らしい。第一次世界大戦によってツヴァイクがいう「昨日の世界」はヨーロッパから根こそぎされてしまったわけであるが、戦争が始まった当時は、すぐにでも終わる地域の紛争程度に思われていたこともよくしられている。政策決定者たちは自分たちの行動がどのような帰結をもたらすかということについてまったく理解していない「夢遊病者たち」だっとというのが大きな方向となっているらしい。随分と大部の本ではたして読むかなという気もするが、とりあえず買ってきた。
 
中井久夫集 1 「働く患者」 全11巻で刊行されるその第一巻で、同じく今日の毎日新聞の書評欄で紹介されていた。執筆年代順に収められるらしいが、単行本として刊行されたものは必ずしも収められてはいないようで「西欧精神医学背景史」とか「分裂病と人類」といった重要な著作は収録されないらしい。執筆年代順というのは便利で、中井氏の本はかなり持っているが、これもまた買ってしまいそうな気がする