橋本治「知性の顚覆」(4)

 
 「近代の顚覆」の第2章は「大学を考える」というタイトルである。ではあるが、大学一般が論じられるのではなく、橋本氏の経験した「大学闘争」についての議論が終始展開される。ところでそれについて氏は「私自身はそれがどういうものか分からなかったので、大学闘争のなんたるかという話は出来ない」と書いている。
 橋本氏に「ぼくたちの近代史」という本があって、そこに「東大闘争の話」という章がある。わたしが今まで読んだなかで、この橋本氏の数十ページくらい、東大闘争というものをわかりやすい書いているものはないように思う。氏によれば、それは「大人は判ってくれない」ただそれだけの運動で、では何を判ってもらいただっていたのかというと「“大人は判ってくれない”と言って僕達がドタドタ叫んでいる、そのことを判ってほしい!」ということだったのだという、何だか身も蓋もない話である。「ぼくたちの近代史」は1968年前後という時代を語ろうとしているわけであるが、この「近代の顚覆」で橋本氏が問題にするのはもっぱらその闘争のスローガンであった「大学解体」である。
 橋本氏は1948年生まれであるし、わたくしと同じく一年浪人しているので、おそらくわたくしの一学年下で、駒場の2年生の時に「東大闘争」を経験しているだろうと思う。
 さて橋本氏は「大学へ行きたい」という気がなかったのだという。勉強が好きなわけではなく、たまたま入試に通っただけの人間であった。とすれば大学で学生をやっているのは欺瞞的ではないかと自分で思ったのだという。では何で大学へ行ったのか? ただ働きたくなかっただけ、と。高校を出ていきなり社会人になるのなんていやだから、大学へ行って時間稼ぎをしようと思っただけなのだ、と。それは欺瞞的である。なのになぜ大学を辞めなかったのか? 二十歳を過ぎた橋本氏は勉強が好きになってしまっていたであるからだ、と。で「お願いだから今大学を潰さないで。もう少し待って。そしたら大学から離れるから」というような変なことを考えていたのだ、と。

 自分のことを考えると、勉強が好きではなく学問をしたいというような気がまったくなかった。わたくしが通学していた学校(麻布中高)は、おそらく卒業生全員が大学受験をするような学校で、中学にはいった瞬間からどこの大学にいくか(いけるか)ということは話題にはなっても、大学にいくかいかないか?ということはまず問題になることはなかった。しかし、どういうわけかわたくしは学問をする気はさらさらないにもかかわらず、大学にいくことを自明としているのはおかしいのではないか?欺瞞的なのではないか?という気持ちが確かにどこかにあった。というのはわたくしは中学から高校あたりまでは小説家になろうかなどと思っていたので、小説家になるのに別に大学にいく必要はないし、いくとしたら文学部だろうが文学部というところで学問をする気はまったくなかった。それでなんとなくもやもやしていたので、高一くらいで志望を医学部に変更すたことで大分気持ちは楽になった。医者になるためには大学にいくことが必須であったから。
 今から考えてもなぜそんなことでくよくよしていたのだろうと思うが、思うに、白樺派トルストイ主義とでも呼ぶべき何かの影響だった可能性がある。この白樺派トルストイ主義というのは現在はまったく力を持たないものであると思うが、わたくしが中高を過ごした昭和30年代にはそうではなかった。いまでもトルストイは「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」を書いた大作家であるが、晩年の博愛主義のようなものは老作家の錯乱くらいに思われているのだろうと思う。白樺派にいたっては武者小路実篤などもうだれもよまないだろうけれど、わたくしの中学・高校時代にはまだ読んでいるひとがたくさんいた。そしてわたくしの中1のときに60年安保があったわけであるから、わたくしの中高時代の1960年代というのもわけのわからない時代だった。

 さて、橋本氏は自分自身はつねに明確で自明であるにもかかわらず、その自分が他人からは“変な奴”と思われるのはなぜかと考え、他人が自分の正当性の根拠としているものが「この二、三十年くらいの間に出来た浅いもの」でしかないということを直感したのだという。そしてその直感を説明したいとして勉強へと向かったのだという。
 「この二、三十年くらいの間にできた浅いもの」というのは何かのだろう? 二十年というスパンでみれば、戦後思想ということになるし、三十年というスパンでみれば、戦中・戦後の時代である。
 氏は日本の近代がぴんとこなくて、大学にはいって江戸時代末期の都市文化を知ってそれに共鳴するものを感じたのだという。この日本の近代というのが「戦中・戦後」なのであろう。つまり橋本氏は生理的な感覚あるいは皮膚感覚で日本の「戦中・戦後」を変である! おかしい! と感じたわけである。その氏のから見ると、日本精神とか天皇制とかいうのも日本近代の捏造だということもまたはっきりと見えた。
 しかし問題は、橋本氏はアカデミズムとの接点がないひとであるということである。日本のアカデミズム(あるいは大学社会あるいは学者社会で当たり前とされている学問の手続き)は近代の産物であり、近代の制度であるということである。
 近代が生んだ制度を使って近代を批判するということには矛盾がある。そして橋本氏が近代から継承しているものは“自分の頭で考える”ということただ一点だけなのかもしれない。そして近世とは自分の頭で考えないのが自明であった時代、自分の頭で考えるのは異常なことだった時代なのかもしれないのである。
 橋本氏は大学院の試験に二回失敗して大学に残ることを断念したらしい(最初、国文科、二度目美術史科)。英語の試験の成績が駄目だったようである。確かに、今の日本のアカデミーの世界では英語ができないということはかなり致命的なことであるのかもしれない。たとえ専門分野が国文学であっても。
 最近、刊行された橋爪大三郎氏との対談本「だめだし日本語論」は日本語論であると同時に日本語から見た日本論でもあるが、ここで示された橋本氏の知識の該博たるや、あの橋爪氏もたじたじという感じである。何よりすごいのは橋本氏の該博には大きな筋が通っていることで、知識が知識に終わらず、日本という国を理解するための強力な手段となりえているということである。こういう知識のありかたはアカデミーのやりかたとはすぐ抵触してしまう。アカデミーとはそれぞれの狭い分野の専門家の集合体であるのだから。
 橋本氏は「自分のこと」を書くのではなく、「自分の考えること」を書くのならちゃんと書くことができた、という。そして「自分の考えること」を書いたら「自分のこと」もはっきりしてきた。氏にとって大学解体とは「アカデミズムよさらば」なのであったという。
 大学闘争をきっかけにして大学(アカデミズム)を離れて、それでも学問あるいは知の分野で業績をあげてきているひとは少なからずいると思う。山本義隆氏もそうかもしれないし、長谷川宏氏もそうだと思う。渡辺京二氏は大学闘争とは関係なかったかもしれないが、やはりアカデミズムとは別のところで仕事をしてきたひとだろうと思う。養老孟司さんはアカデミズムの中に残ったが従来のアカデミズムの方向とは別の方向の仕事をはじめることになった。
 しかし山本氏も長谷川氏も渡辺氏も養老氏もやはりまだアカデミズムの影をひきずっていると思う。それと比較しても、橋本氏にはアカデミズムの影が乏しい。それが氏のユニークなところであり、他からの孤立を生む原因ともなっているのだろうと思う。
 たとえば、橋爪氏は橋本氏の「これで古典がよくわかる」について、「明治以来の国文学の伝統を相手に、ケンカを売っているような、国文学者全員に、お前らバカだ! と言っているに等しい」といっている。アカデミズムの中にいるとなかなかそういうことはいえないし、できなくなる。
 日本語はそのオリジナルの文字を持たない。日本語の書き言葉は中国語から借りた漢文である。やがてその漢字を使って日本語を表記する試みがはじまり、やがて和漢混淆文が慈円などからはじまり、そしてもう一度明治期に言文一致体の試みがされる。もともと日本語には複数の流れがあり、どれが正しいということはいえない。漢字だけの漢文と仮名だけの和文の二本立ての日本では、論理は漢文に任せてしまう。仮名の文章で理屈を追うのは難しい。仮名文字の文学は語りの言葉の文学。日本語は「意味の言葉」ではなく、「音の言葉」である。(橋本説)
 天皇というのは組織(朝廷)がないと何もできないひとである。すると「組織がある」ためには天皇が必要とされる、という倒錯が生まれる。天皇には意味がなく、重要なのは「組織を動かせる人物」(同 橋本説)このような大づかみの理解はなかなかアカデミーからはでてこない。
 橋本氏が大学院に受かって学者になった姿など想像もできないが、それは橋本氏の思考法が現在のアカデミズムの行き方とは根本的にことなっているからなのだと思う。分析的ではなく総合的とでもいうのだろうか? 全体像を描くことをつねに志向している。
 「宗教なんかこわくない!」では、宗教とは何かというとんでもない問題に平然と挑んで、「宗教とは現代に生き残った過去である」という凄い定義を提示している。宗教に劣等感をもっていない。多くの学者(アカデミーの人)は自分のしていることは人間にとって一番大事な問題にはかかわれていないという引け目のようなものを感じていて、人間の生死であるとか生きがいであるとかいうことについては自分の学問の出番はなく、哲学とか宗教とかがその答えを知っているという思いを持つものが多い。そういうものには答えはない、あるいは個々の人間が自分で答えをだすほかはないと言い切る自信がなく、どうも宗教のひとはその答えを知っている、あるいは宗教というのは通常の学問とはレベルを異にする何か"高級”で"崇高”なものであるとする"引け目”のようなものをもっていると思っているようにみえる。それがないというだけでも橋本氏の姿勢は清々しい。
 最近亡くなった渡部昇一さんも、橋本氏よりはアカデミックの側にいたとしても(英語学)やはり基本的には在野のひとだったと思う。もちろんアカデミーの中においても、様々にわれわれにとって有益なことが研究されているだろうとは思うが、どうもアカデミーの内部では"役に立つ”こと自体が低く見られる傾向があるのではないかと思う。「宗教なんかこわくない!」で、橋本氏は大乗仏教を評して、なんであんなに物事をわざわざ複雑にみなければいけないのだ、といっているが大乗仏教の世界はアカデミーなのだろうと思う。あるいは井筒俊彦氏の本も読んでいると素敵に面白いが、読み終わってしばらくすると自分の生活とは少しも関係がない話という気がしてくるというのがいかにもアカデミーという感じであった。氏はイスラーム学の泰斗であるが、氏が論じるイスラーム学は、イスラム世界で実際に暮らしているひとにはまったく関係ないものとなっているではないかという気がする。
 

ぼくたちの近代史 (河出文庫)

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精神現象学

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磁力と重力の発見〈1〉古代・中世

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ヒトの見方―形態学の目から

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これで古典がよくわかる (ちくま文庫)

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宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)

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意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫)

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