2017年

 
 何かを読んでいて、今年がロシア革命から100なのだという指摘があって、はじめてそのことにきがついた。それほどそのことに触れる言論がすくなかったということなのであろう。
 わたくしは1947年生まれであるからロシア革命から30年で生まれているわけである。ソ連邦の消滅が1991年だから、わたくしが44歳のときにソ連がなくなったことになる。そしてソ連の消滅からもう26年がたとうとしていることになる。
 わたくしが生きているうちにソ連が消滅するなどという予想だにしていなかったので、あれよあれよという間にあっけなくソ連が崩壊していまったのをみて心底驚愕した。ベルリンの壁の崩壊というのはまだ理解できる気がしたのだが、まさか、ソ連までが消滅するとは信じられない思いだった。
 そしてまだ中国は残っていて、そこには中国共産党があり、北朝鮮もあってそこも社会主義の国のはずである。朝日新聞朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)という表記をしなくなったのはいつのことだっただろうか?
 わたくしが中生学から高校生のころ、社会主義とか共産主義とかいう運動は貧困についての思想であると思っていて、貧困をなくしていこうとする運動のどこが悪いのかが判らなかった。社会主義とか共産主義に真っ向から反対するひともたくさんいたからである。そのうちに社会の体制をかえることによって、人間を今ある存在とは別のものに変えていくという考え方に反対するという立場のひとが社会主義とか共産主義にも異をとなえているらしいということがわかってきた。社会主義などに反対するひとはどうも人間についてぺシミスティックな見方をとっているように思えた。
 大学にはいると周囲には学生運動というものがあり、それは日本共産党系、反=日本共産党系にわかれているらしいことがわかってきた。反帝反スタなどということばもあり、反帝は反アメリカ、反西欧、反スタは反スターリン主義であるから、反ソ連あるいは反=既成の社会主義国ということだったのであろうと思う。本当の社会主義というのは既存の社会主義国の体制とはまったく異なるものであるとする立場である。
 その内に大学紛争(闘争)というもの渦中にまきこまれることになり、社会主義青年同盟とか革命的マルクス主義者同盟とか、周囲のあらゆる運動体が社会主義とかマルクス主義を名乗っていた。しかし、これらか社会主義とかマルクス主義とかとどのように関係するのかは少しもわからなかった。おそらく現状にノンということ、それをマスクス主義とか共産主義とかの名でいっていたのではないかと思う。
 マルクス主義の厄介な点はそれが経済理論に基づくものでもあるということで、ソ連の崩壊時、計画経済体制と市場経済体制の対立の中で、市場経済体制の優位が証明され、それがソ連の崩壊につながったという説明が少なからず見られたことである。マルクスが掲げた理想がまちがっていたのではなく、ただその理想を実現するための手段として想定した経済体制が間違っていたのだという方向である。今の中国にしても、経済体制は市場経済体制の方向に梶をきっているらしい。
 つまり経済運営の体制としても市場経済体制以外の選択肢はないということはほぼすべてのひとが一致するところとなっているということであるらしい。しかし、そのことによってマルクス主義に内在する《体制を変革することにより人間をいまとはことなったもう少しましな存在に変えていく》ということへの可否の議論が避けられてきてしまったのではないかと思う。
 おそらく護憲とか立憲主義とかいう人々は、1945年の時点で、その当時の現実をはるかに凌駕する理想がそこで提示されたという思いがあり、マルクス主義に内在していたはずの人間変革への思いにつながる何かをそこに見出しているのであろう。
 反=マスクス主義にはどこかペシミスティックな人間観が内在している。そういう方向の人間観にどうしてもなじめないひとというのはある一定程度の数いて、もう少し人間というのはましなものだという思いを捨てられないということがあるのだろうと思う。
 本当はソ連の崩壊の後、そういうもっと根源的な人間観についての議論だなされるべきであったのだろうが、25年以上たっても、そちらの議論はまあり深まっているようにも思えない。1991年からあとの日本は失われた10年とか20年とかで自信をなくしてしまったということもあるのかもしれない。
 しかし、ロシア革命から100年、いまだマルクスの亡霊は世界をさ迷ってると思うのである。
 「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している──共産主義という妖怪が」がというのはあまり変わっていないのかもしれない。