自分にとっての昭和と平成

 わたくしは昭和22年生まれであるので、昭和が終わった時には42歳、平成が今年に31年で終わるとそれから30年ちょっとということになる。物心ついてから自分が自身で経験した昭和は36~37年間となるので、ほぼ平成と変わらない年月ということになるが、自分の実感からすると自分にとって大事な経験はほとんどが昭和の内にあって、平成というのは何もおきなかった時代であるような気がする。もっとも平成元年から2年あたりにあった、ベルリンの壁の撤去、東西ドイツの統一、ソ連の崩壊、EUの創設、そして日本のバブルの崩壊などを昭和の延長のなかでおきたことと考えればということであるが。
 平成になっておきたことは天変地異だけなのではないかという気がする。神戸の震災、東日本大震災原発事故・・・。地下鉄サリン事件をも天変地異というか否かは問題であるが・・・。
 バブルの崩壊は1990年(平成2年)とされているようであるが、それは後知恵で、その中にいた人間の実感としては、その当時はほんの小休止といった感じで、数年すればまた成長がはじまると思っていたのだが、案に相違して、何年たってもそうならない、それでいつのまにか時間が過ぎ、気がつけば失われた10年とか20年とかいうことになっていったように感じる。そしてわたくしにとって、平成というのは《失われた30年》といった何もなかった時代のように感じられるのである。
 バブルの崩壊後、いつまでも景気が戻ってこないことに対し、犯人捜しが随分と盛んにおこなわれた。プラザ合意がまずかったとか日銀総裁が無能であるとかいろいろ言われた。速水総裁など随分な言われようであったことを記憶している。みんな高度成長がいつまでも続くのが当然であって、それがたまたまそうなっていないのはどこかでやりかたを間違えているからだと信じていたのである。そして、そのうちにそのうちにと思っているうちにいつのまにかうかうかと30年が過ぎてしまったというのが平成という時代であったのではないだろうか?
 それではわたくしの経験した昭和というのは何であったかというと、東西冷戦の時代である。第二次世界大戦ではアメリカとソ連は連合軍であったわけであるが、それが昭和25年には朝鮮戦争で対峙している。チャーチルの「鉄のカーテン」の演説は昭和21年、わたくしの生まれる前年である。
 東西冷戦の時代、つまりわたくしが経験した昭和とはマルクス主義共産主義が現実の思想であった時代であり、平成の時代とは「え?、マルクス主義? 何かそんなものが昔ありましたなあ!」ということになった時代である。
 わたくし個人にとっての人生最大の出来事は東大紛争(東大闘争)に遭遇することになったことで、昭和43年(1968年)である。そして、この東大紛争(東大闘争)に色濃く影を投げかけていたのがベトナム戦争であったと思う。ベトナムというアジアの地で東西の対立が顕現したわけだが、それは単に東と西の争いというだけはなく、ほとんど善と悪との闘い、正義と不正義の戦いというイメージをもって捉えられていたのではないかと思う。だから東大紛争(闘争)というのも、無給医局員の処遇云々といったことにかんするものではなく、正義と悪との闘い、正義の側に立つ善なる若手医師たち(あるいは若い学生たちや若い研究者たち)対権力を持つ悪の権化たる教授たちといった図式がかなり大真面目で受け入れられていたような気がする。昨日まで佐世保アメリカの原子力空母エンタープライズの入港阻止闘争をしていたひとが今日は教授会に乱入して教授たちを拘束してつるしあげるというようなことが大した違和感なくおこなわれていた。
 当時の学生運動というのはヘルメット・覆面・ゲバ棒という扮装で投石するというスタイルであったが、ヘルメットは色分けされ、革命的マルクス主義者同盟とか社会主義青年同盟解放派とか名乗っていた。ここにでてくる社会主義とかマルクス主語というのが一体何を指すものであったのか、今となってはまったく不分明というしかないが、それが東西冷戦の構造の中でベトナムというアジアの地で現実の戦闘が行われているという背景なしには出てこないものであったことは確かなのではないかと思う。つまり、昭和20年以降の昭和の時代というのはゾロアスター教的世界観の元にあった時代なのだと思う。一部のひとは東側を平和勢力と呼び、東側の核はキレイであると言っていた。
 冷戦が終焉して「歴史の終わり」が来たかといえばフクヤマの予言は完全に外れて、いままで視野にもはいっていなかったイスラム世界が表舞台にでてきて、タリバンだとか9・11だとかISだとかが話題になったし、これからもいろいろなことがおきると思うが、非イスラム世界においては平成の時代は広い意味での西欧的価値観に収斂していった時代であったように思う。
 そして平成が終わろうとする今、多くのひとが感じているのではないかと思うのが、広い意味での西欧的理念への信仰が薄れてきて、かわりにもっと土着の何か、皇帝たちの中国、帝政ロシアの過去、ヨーロッパといった抽象的理念よりも個々の国々の現実の歴史、あるいはまた白人至上主義(これもまた土着のもの?)といった方向に世界が分解していくというような方向なのではないかと思う。
 わたくしが生きた昭和の時代というのは「思想」というのがあった時代で、平成というのは「思想」がなくなった時代、みんながまどろんでしまった時代で、だからみなを眠りを覚まさせるために、時々、天災がおきて覚醒をうながすことになったのかもしれない。
 わたくしは昭和の時代を生きるうちに、広い意味での西欧的価値観を自分の方向として受け入れてきたように思う。一言でいえば、それは文明という言葉につながる何かなのだが、平成の後に時代にはそれらは旗色が悪くなり、もっと野蛮で野卑な方向が力をえていくのではないかと感じている。
 今、塩野七生さんの「再び 男たちへ」を思うところあって読んでいるのだが、この本はソヴィエト崩壊前後に書かれた文章を集めたもので、それでゴルバチョフのことも出てくる。ゴルバチョフが出てきた時の一部の日本の知識人たちの彼への期待というはとても大きなものであったことを覚えている。ようやく言葉が通じる人間がソヴィエトにもでてきたとでもいうような。そしてこれは日本だけのことではなく西欧全般で見られたことでもあったと思う。要するに西欧的価値観をわかる人間がソ連にもでてきたということである。ところが、亀山郁夫氏と沼野允義氏の「ロシア革命100年の謎」では、ゴルバチョフがロシアで不人気であったのは公式の場に夫人をつれてくるような人間であったからだといわれていた。奥さんをそういう場に連れてくるような人間はロシアでは絶対に信用されないのだろうである。
 そして今、ロシアはプーチン、中国は習近平の時代である。アメリカはトランプ大統領。ドイツでもフランスでも移民排斥派がトップになるかもしれない。どこかで流れが変わったのかもしれない。
 次の年号がどのようなものになるのかはわからないが、その時代はもう少し動きのある時代になるような気がする。近々72歳になる身ではそれを傍観していくしかないが、ものごころついてから自分なりに構築してきたものの見方や考え方とは異なる方向に時代が動いていくことはほぼ間違いないように感じている。もともと自分の思うことや感じることが時代の多数派になったと感じたことなどは一度もないのだから、それはそれで少しも構わないのだが、自分が仮想敵とひそかに考えて人たちがいつの間にか舞台から消えてしまっていた。代わって、わたくしには理解できない物の見方や考え方をするひとが主流になってきている。それは思考というより感受性とか性格というのに近い何かかもしれないので、そもそも議論の対象にすらならないのかもしれないのだが。
 しかし、わたくしのような《へたれ》がとにかくも今まで生き延びてくることができたのだから、昭和の後半も平成もいい時代であったに違いない。戦前の昭和に生まれていたとすれば、とてもそこでサバイバルすることはできなかったと思う人間として、これからももう少し、思うところ感じることを書いていきたいと思う。
 

歴史の終わり〈上〉歴史の「終点」に立つ最後の人間

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ロシア革命100年の謎

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年表 昭和・平成史 1926-2011 (岩波ブックレット)

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