本棚の整理(1) 吉田健一

 最近、小さな書庫を確保することができ、いままであちこちに分散して収納されていた本の一部をようやく一か所に収納できるようになった。といっても、四畳半くらいのスペースの三方に本棚を床から天井まで作り付け、本棚の奥行を25センチくらいにして、収納した本の手前に文庫本くらいはおけるようにしただけのもので、壁の一面に500冊ほど、三面全部で1500冊ほどの収納がやっとだから所蔵している本の1/3から1/4が収まるだけである。とはいっても、比較的関心が高い本が背表紙が見える状態で一か所にまとまっているというのは精神衛生上は悪くない。
 それで、そこに所蔵された本を少し点検してみることにする。
 第一回はわたくしの教祖というか神輿である吉田健一
 さっと数えて120冊くらいの吉田健一関連本があった。といっても目についた限りの文庫化された健一本はすべて持っているつもりなので(買ったのを忘れて2冊買っているものも少なからずある)、それは当然単行本などと重複しているから著書としては70~80冊だろうか?
 まず昭和43年頃刊行(つまりわたくしが21歳ごろに刊行)の原書房版「吉田健一全集」(どういうわけか全10巻のうちの7巻だけが欠けている)がある。わたくしはこの全集で吉田健一に親しむことになった。この全集では「英国の文学」と「東西文学論」を除けば(この全集には「文學の楽み」は収められていなかったように思う)、主に随筆に親しんだ。
 この原書房版の全集は吉田氏が「ヨオロツパの世紀末」でブレイクして一部に贔屓筋を持つ異端の物書きから多くの読者を有する正統に位置する作家へと変貌する前に出ている。したがって、わたくしが親しみはじめた当時の吉田健一のイメージは随筆家であった。「文句の言ひどほし」「不信心」「三文紳士」などに収められた文章には随分と多くのことを教えられた。たとえば「三文紳士」の「母について」「満腹感」「乞食時代」「貧乏物語」「家を建てる話」・・・。「文学概論」はその当時はよくわからなかった。この全集の解説は全巻を篠田一士氏が単独で書いていて、この解説にも当時は随分と影響された。たとえば、「大人が読んで、少しもおかしくない、安心できる文学者―それが吉田健一の身上なのである」といった類の文章である。後に少し書くように、今ではこれは少し違うのではないかと思うようになっている。
 死後出版の集英社版「吉田健一著作集」では、1・3・5・14・15巻と補巻1・2を持っていた。主に年譜などを参照したいと購入した記憶がある。
 同じく死後出版の新潮社版「吉田健一集成」は、2・3・5・7・別巻があった。これも主に年譜とかを見たいと思って買ったのだが、集英社版の著作集にしても新潮社版の集成にしても、そこに収められている解説とか月報とかが面白く、それを読むためにだけでもそろえておいたほうがよかったかと今になったは思う。けれども、出版当時はまだこちらは若くてで経済的な余裕がなく、さすがにそういう酔狂なことはできなかった。集成5巻の月報に収められた丹生谷貴志氏の「獣としての人間」という解説文は、わたくしが今まで目にしたなかでは最高の吉田健一論だと思っている。
 わたくしが原書房版の全集で吉田健一を読みだしたころの吉田氏は「余生の文学」とかを出していたころで、もう書きたいことはない、後は繰り返しだけだ、などとあまり意気があがらないことを書いていて、それから先に「ヨオロツパの世紀末」以降の大量の執筆があるなどとは想像もできなかった。ということで、「ヨオロツパの世紀末」にびっくりして以降の氏の著作はすべて持っているのではないかと思う。
 ちょっと変わったところでは、昭和25年刊のラフォルグ「ハムレット異聞」(「ハムレット」「サロメ」「パンとシリンクス」の翻訳と吉田氏のラフォルグ論を収める)と昭和23年刊のペイタア「ルネッサンス」の翻訳をもっている。いずれも神田の古書店でみつけたもの。前者は定価90円、後者は130円となっている。前者は後ろの扉に1300という鉛筆書きがある。おそらく古書店のつけた値段であろう。わたくしがまだ学生の時代だから50年くらいまえである。汚い壊れかけたような本であったが、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで買った記憶がある。
 この「ハムレット異聞」は若き日の大岡信氏らをふくむ何人かのひとを熱狂させたらしく、その記憶が後年の大岡氏をして、再刊を予定していた「ユリイカ」に吉田氏が連載するテーマは「ヨオロツパの世紀末」しかないという提案をさせることになったらしい。もっとも大岡氏の思い描いた「ヨオロツパの世紀末」と実際に吉田氏が執筆した「ヨオロツパの世紀末」の世紀末はまったく違ったものであったと思うけれど。
 あと、ちょっと特殊な本としては、限定版の小澤書店刊行「ラフォルグ抄」がある。わたくしが持っている本は「限定1200部刊行 本書はその290番」とある。皮装の立派な本である。限定版ではないが、同じ小澤書店から出た「定本 落日抄」も立派な本である。背が皮装になっている。小澤書店からは「ポエティカ 全二巻」という別の豪華本も出ているのだが、昭和50年ごろに各巻5200円というのでは買えなかった。当時は、こういう本を出す小澤書店というのはお金持ちがお道楽に採算を度外視してやっているのではないかと思っていた。それで、この小澤書店が倒産したと聞いたときには少し驚いた。そしてさらに後年、その小澤書店店主であった長谷川郁夫氏が「新潮」に「吉田健一」の連載をはじめたときはまたびっくりした。吉田健一に入れあげて倒産した出版社はいくつかあるようで、「吉田健一」で同じく倒産した垂水書房店主の天野亮氏のことを描く長谷川氏の筆は沈んでいる。
 その長谷川氏のものもふくめ、何冊かの吉田健一論も持っている。篠田一士吉田健一論」、高橋英夫琥珀の夜から朝の光へ」、清水徹吉田健一の時間」、富士川義之「新=東西文学論」(これは吉田論は一部)、長谷川郁夫「吉田健一」、角地幸男「ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一」、そして丹生谷貴士・四方田犬彦松浦寿輝柳瀬尚紀吉田健一頌」・・。このなかでは「吉田健一頌」の丹生谷氏の論がわたくしには断然面白いと感じられる。
 文庫本は、持ち運びによく読みやすいのと、そこに付された解説を読むのも楽しみで刊行されたものはすべて揃えていると思うが、どの本も、新仮名・新漢字になっているのが困るところである。健一信者は、「文学の楽しみ」は「文學の楽み」でなくてはいけないなどと思うのである。もっとも吉田氏が単行本として刊行した本でも、新字新仮名とされているものもたくさんあるわけで(「文學の楽み」も「文学の楽しみ」だったと思う)、著作集とか集成とかが刊行されることの意味の一端は、吉田氏が原稿に書いたそのままの文で著書が収録されるところにあるのかもしれない。
 なぜ、わたくしが吉田氏にこれほどいかれたのかということを考えてみると、まず第一に、中学・高校・大学初年を通じてなんとなく自分がそうであると思っていた文学青年的なものを払拭してくれたことがあるのだと思う。文学が小説に限られるわけではないこと(むしろ文学のエッセンスは詩にあるのだということ)、また小説というのが著者の思想とか考え方を伝達するためにあるのではないことを教えてくれたということもある。小説家が小説を書くのは小説というある構造体を作ること自体が目的であって、何かの思想とか考えを伝達するための手段としてではないということである。
 そしてもっと大局的に見ると、反キリスト教、反観念論の人としての吉田健一にいかれたのだと思う。「時間」などという書物は、ひとによっては観念論の極致とみるかもしれない。また、吉田氏のことを《鼻もちならない「高等遊民」》(丹生谷氏)と見るひともいるであろうと思う。
 とすれば、丹生谷氏がいう「獣としての人間」が問題となる。キリスト教徒の犬とか観念論者の猫などというのはいない。そしてまた一方、言語を持つ動物も文学や音楽を楽しむ動物も人間以外にはいない。丹生谷氏によれば、「吉田健一はあらゆる理念を喪失して「獣」となった人間の中に十全な「人間」の姿を認める」人なのである。そうであれば、人間もまた、「他の動物と同じに「観念がないのだから、絶望もなければ希望もない生」を生きればいいということになる。
 「ヨオロツパの世紀末」を最初読んだときには、それを吉田氏のきわめて独創的な論と思ったものだが、その後次第に、そこで述べられていることはヨーロッパの知識人にとっては比較的常識的な見解なのではないかと思うようになった。吉田氏が若い時に留学したケンブリッジブルームズベリー・グループなどにとってはそれは特に奇異なものではなかったのではないかと思う。彼らが敵としたのは、たとえばヴィクトリア朝道徳の偽善であって、それは吉田健一が否定したヨーロッパ19世紀とほぼ重なるのではないかと思う。
 しかし、吉田氏の「ヨオロツパの世紀末」が日本の読書界ではきわめて大きなインパクトを持ったということは、それはとりもなおさず、日本の明治期以降の西欧受容がいかに歪んでいたかを示すことになるのではないかと思う。
 「吉田健一頌」の著者である丹生谷貴士・四方田犬彦松浦寿輝柳瀬尚紀といった人達はいづれもポスト・モダン思想の洗礼をうけているはずである。そして、ポスト・モダンの人達が否定したモダンとはまさにヨーロッパ19世紀のことではないかと思う。そうであれば、ポスト・モダン思想というのが現在から見るとほとんど死屍累々という結果となっているのだとしても、それがめざそうとした方向性については、それほど的を外したものだったとは言えないのだろうと思う。
 そして、わたくしが吉田健一にいかれることになった一端は、わたくしが従事している医療という分野では、いまだにモダンのものの見方について、ほとんどかすかな疑いすら抱いていないということがあるのだろうと思う。もう30年近く前に「吉田健一の医学論」というのを書いたことがあるが(このブログの最初のほうに収載してある)、今から思うと、あまりにもモダン一色である医療の世界への反発がそれを書かせたのではないかという気もする。
 吉田氏の翻訳であるウォーの「黒いいたづら」「ピンフォールドの試練」「ブライズヘッド再び」、ボーエンの「日さかり」といった本は、わたくしにはほとんど吉田氏の著書のように思えるのだが、ここにはカウントしなかった。しかし多くの読書人にとって「葡萄酒の色」は吉田氏の著作と思えているのではないだろうか? たとえば、そこのラフォルグ「最後の詩」、トオマス「ロンドンで一人の子供が火災で死んだのを悼むことに対する拒絶」(「・・・最初に死んだものの後に、又といふことはない。」)
 「吉田健一は文明開化だ」というのは河上徹太郎の言葉であるが、明治期の文明開化を否定して、本当の文明開化とはどういうものかを示そうとしたのが吉田氏の試みようとしたことであったのかもしれない。

英国の文学 (岩波文庫)

英国の文学 (岩波文庫)

ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫)

ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫)

時間 (講談社文芸文庫)

時間 (講談社文芸文庫)