本棚の整理(2) 福田恆存

 福田氏の本はそれほど持っていない。新潮社の評論集7巻、文藝春秋社版の全集8巻、後は単行本(主に戯曲)5冊ほど、文庫本5冊くらいで、併せて25冊ほどである。
 福田氏はわたくしが最初に遭遇した思想家で、大学の教養学部時代に読んで圧倒された。ここで何度も書いていると思うが、読んだきっかけは吉本隆明の「自立の思想的拠点」に、「味方の陣営には碌な奴がいないが、敵側にはなかなかのひとがいる」と書いてあって、江藤淳福田恆存の名前があげてあったことである。江藤氏の本はすでに「夏目漱石」などを読んでいたが、福田氏は紀元節復活運動などという馬鹿なことをしている貧相なおじさんとだけ思っていたので、なぜそういうひとを吉本氏が評価しているのかが不思議だった。それで読んでみたのだが、一読、打ちのめされることになった。
 それで、この昭和41年ごろ刊行の新潮社版の「評論集」は繰り返し読んだものだが、中でも、第1巻「芸術とは何か」、第2巻「人間・この劇的なるもの」は何回も読んだ。また第2巻に収載された西欧の作家を論じた文章、特にチェーホフ・ロレンス・エリオットなどについての論も繰り返し読んだ。「チェーホフの恐れたのは虚無ではない―虚無の観念をすらのみこんでしまふこの平凡な常識(絶望的な虚無思想をいだきながらも、ひとはやはり三度の飯を食ふのであるという事実)なのである。」「ロマンティックなもの、メタフィジックなもの、センティメンタルなものを、なぜチェーホフは憎んだか。理由はかんたんだ。これら三つのものに共通する根本的な性格―それは他人の存在を忘れることであり、他人の注意を自分にひきつけることであり、他人の生活を自己の基準によつて秩序づけることである。チェーホフはそのことにほとんど生理的な嫌悪感をいだいてゐた。」「これでチェーホフが敵としてゐたものの正体が明らかになつた―自己完成、良心、クリスト教道徳、そしてその背後にひそむ選民意識と自我意識。ロレンスがヨーロッパの伝統たるクリスト教精神のうちに認めた矛盾もまたそれであつた。なんぢの敵を愛せよ、なんぢ自身の徳を完成するためにーひとたびこの矛盾に気づくや、チェーホフの心は執拗にその矛盾に固執した。」「ところで、問題はソーニャだよ、カチューシャだよ。つまりスラブ人といふことになる。ラスコリニコフ対ソーニャ、ネフリュードフ対カチューシャ、西欧対スラブといふことなんだ。」「われわれにとつて必要なのは不幸に対する羞恥心である。原因を探すやうでは、それが見つかつたら、大手をふつて不幸を自慢にするつもりなんだらう。」「『チャタレイ夫人の恋人』がわいせつだつて?―冗談もいゝ加減にしたまへ。あのなかでロレンスが説きたかつた福音はかんたんなことだ。男は女にとつて、女は男にとつて、魅力ある生物になれ―たゞそれだけなんだよ、いゝ教へじやないか。従ひ甲斐のある教へじやないか。愛や誠実とちがつて、これは自分も相手も苦しめずにすむ。・・人間が愛や正義や法律や論理を動員して、自他を縛らうと決心したのは、つまり男が女に、女が男に魅力を失ひかけたといふ事実を自覚しだしたからなんだ。性の魅力の恢復―人間の幸福はそれだけさ、とロレンスはいつてゐるんだよ。・・」などなど。
 福田氏を読む前、大学初年度のころにいかれていたのは吉行淳之介で、吉行氏の小説(特に初期の娼婦もの)では他人を傷つけることの警戒、他人と深くかかわることは即他人を傷つけることになるという構造への過敏な意識が目立つ。さらに、その前の高校時代に読んでいたのは太宰治で、太宰にも人間関係への過敏は明らかである。どうもそういう人間関係への意識過剰、他人を傷つけることへの恐れのようなものが自分にあることを当時は感じていて、それをスラブ対西欧という気宇壮大な大きな構図のなかで説明する福田氏の鮮やかな論法にすっかりといかれてしまったのだろうと思う。そいこうしているうちに、福田氏がいう全体感覚とか宇宙感覚というものが、本当には福田氏自身にも信じるられていないのではないかと感じるようになって(ロレンスは、それを間違いなく感じ取っていたはずである)、福田氏から距離を置くようになったのではないかと思う。たしか氏の「億万長者夫人」を三百人劇場かで見たことがある。しかし、そのあまりの演技の拙さ、ほとんど学芸会のような出来の舞台をみたことが、福田氏から決定的に離れる一つのきっかけになったように思う。
 大学紛争のあおりで入試が中止されたころに発表された庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読み、まさに福田恆存思想を小説化したものなどと思い込んだりしたのも、今から思うと微笑ましい思い出である。
 晩年の福田氏はT・S・エリオットを神輿にしていたように思うが、イギリス聖公会に帰依したエリオットとカトリック無免許運転を自称していた福田氏ではやはり勝負は自ずから明らかなのだと思う。もっともエリオットの信仰についてはいろいろと議論があるところであろうが。
 おそらく福田氏は文学者としてよりも劇作家あるいは演出家としてより、保守思想家として世に知られたのだと思うが、それはその当時の進歩的文化人というのがあまりにお粗末であったからで、福田氏が主張したことはごく当たり前の常識論に過ぎなかったのだと思う。氏の進歩的文化人をからかう姿勢がうまく表現されたのが「解つてたまるか!」であると思うが、それも進歩的文化人というものが往時の勢いを持たない存在になってしまえば、その役割を終える。進歩的文化人が論壇で力を失っていったことに、はたして福田氏がどの程度の枠割りを果たしたのか? まあ、ある程度のブレーキをかけるくらいの効果はあったのかもしれないが、福田氏がいようといまいと進歩的文化人などというのは文明開化の仇花なのであるから、早晩表舞台から消えていく運命であったわけである。
 福田氏の一番の問題は文学者でありながら文学それ自体を愛する、あるいは楽しむひとではなく、文学を思想表現の手段としてみていた点にあるのではないかと思う。
 福田氏の書いたもので一番後世に残るのは「私の国語教室」ではないかと思う。しかし、そこに書かれていることは議論の余地なく正しいのだとしても、それでも旧字旧かなで書く人間は今後そう遠くない将来に絶滅してしまうのではないかと思うので(短歌の世界などでは生き残るのだろうか?)、やはり福田氏は過渡期の人であったという思いを禁じえない。
 そういうことで、いづれ読み返すかもしれないと思って揃えた文藝春秋社版の全集もまだほとんど目を通していない。

福田恆存全集〈第1巻〉

福田恆存全集〈第1巻〉