本棚の整理(3) 三島由紀夫

 三島の本もそれほど多くは持っていない。(単行本25冊くらい。短編全集6巻。文庫本10冊で、計40冊くらい。) わたくしが大学2年の時に三島がもう死んでしまったためで、晩年の「豊穣の海」4巻とか、「太陽と鉄」といったものは刊行当時に入手しているが、それ以外はさかのぼって単行本を購入したり、文庫本で読んだりであるので、読んでいないものも少なくない(「金閣寺」や「午後の曳航」なども読んでいない)。
 読んだ範囲で面白いと思うのは、「美徳のよろめき」とか「永すぎた春」とか「美しい星」とかいった方向のもの、あるいは「愛の渇き」、「豊穣の海」でいえば「春の雪」と「奔馬」。しかし、三島としてはそういうものだけでは満足できなかったはずである。というか、そういう作品を書いていただけでは、日本の文壇からは決して本流とはみなされなかったわけで、だから「仮面の告白」とか「金閣寺」とかが必要になった。また「鏡子の家」が書かれることになった。あるいは「豊穣の海」では「暁の寺」が書かれなくてはならなかった。
 本当は「愛の渇き」の路線でずっといけばよかったのだろうが、そういうものだけでは、作り物を書く人、もう少し極端には、大衆小説作家とみなされてしまうことになっただろうと思う。だから「仮面の告白」の様な作を名刺代わりに書いて提出することが必要になった。「自分へのこだわり」というものがどこかにない作家は日本では信用されないのである。「豊穣の海」でも第一巻と第二巻は明らかに作り話であるが、「暁の寺」でそれまで狂言まわしであった本多繁邦が「認識の不毛」という命題を背負って物語の表にでてくることによって、はじめて「本物」の文学の列に加わることができるようになる。日本では文学を書くということが倫理的行為となってしまう。「作り物」の話を書くというだけでは「男子一生の仕事」たりえないのである。
 周到な準備のもとに書き降ろしとして出版された「鏡子の家」が評価されなかったことが、その後の三島に決定的な影響を与えたといわれるが、最初わたくしが二十歳くらいで読んだときは面白いとおもったこのニヒリズム研究とでもいった小説はその後読み返せばやはり失敗作である。登場人物のすべてが作者に動かされていて、作者の手つきが露骨に見えてしまう。ボクサーの俊吉、画家の夏雄、俳優の治、会社員の清一郎はのちに「豊穣の海」で夏雄が松枝清秋に、俊吉が飯沼勲に、そして清一郎が本多繁邦になっていったのだと思うが、石坂洋二郎的な戦後民主主義的明るさへのアンチたることをめざしたのであろう本書は、その後の氏を規定していったのだろうと思う。(渡部昇一「戦後啓蒙の終わり・三島由紀夫」(「腐敗の時代」所収)
 わたくしは三島の一生を考える場合、氏が東大法学部を出たということが決定的に大きかったのではないかと思っている。文学部を出ればよかったのである。東大法学部は官僚養成機関である。将に「実」の世界である。それなのに自分は文学という「虚」の世界にいる、という引け目を氏はずっと感じていたのではないかと思う。そして氏は「絹と明察」をめぐる裁判で有田八郎氏に敗訴した。東大法学部をでているのに裁判に負けたと世間は笑っているのではないか、というような過剰な自己意識があって、今に見ていろ、世間をあっといわせてやるとずっと思っていて、それが氏の最期に繋がったのではないかと思う。氏は最後まで文学は虚であるという思いがあって実の世界への引け目を感じ続けていたのではないだろうか? だから、氏の最期は氏としてはじめての実の行為だったのだと思う。
 11月15日の氏の最期のことはよく覚えている。内科診断学の授業が午後にあって、例によって午前の講義はさぼって、昼ごろ大学にいって何か食べようと食堂にいったら、テレビで「盾の会、自衛隊に乱入、三島由紀夫自殺」というテロップが流れていた。別に大して驚かなくて、ふーんと思った。三島が世間をからかうためにやっていた「盾の会」の会員が、愚かにも三島の冗談を真にうけて自衛隊に乱入した。それを知った三島は責任をおって自殺した、というのがまず第一に頭に浮かんだことだった。しかし、テレビをみているとどうも三島も一緒らしい、ことがわかった。それで、縦の会の会員に「先生! 立ちましょう!」などといわれてつきあったといいのが次に考えたことだった。とにかく「盾の会」などというのを三島が真面目にやっているとは少しも思っていなかったのである。これで「豊穣の海」も未完で終わってしまったな、とも思った(その年の4月から「新潮」に「天人五衰」の連載がはじまったばかりだった。その連載開始の号を本屋で立ち読みして、「あれ? 変だな」と思ったことを思い出した。当初「月蝕」という題が予告されていて、それにくらべて、「天人五衰」という題名は何か弱弱しい感じで、しかも巻頭からいきなり転生した主人公がでてくるのである。予告では本多繁邦が転生者を探し回る話だった。しかもその主人公がとても物語を支えられるとは思えない冴えない人物なのである。しかし、そんなことはすぐに忘れていた)。家に帰って、夕刊を読んで、三島がその日の朝、「天人五衰」の最後の部分のを編集者にわてしていたという記事を読んで、「何か、女々しいじゃないか」と感じた。「文学よりもっと大事なものがある!」ということで死んだはずなのに、作品を完結させることにもこだわった、というのは何か清々しくないように思った。
 松浦寿輝氏の「不可能」は事件で死に損なって生き残った三島が吉田健一のようになっていくとでもいった趣の小説である。
 三島というひとは日本の文学風土の犠牲になったのだと思う。ヨーロッパにでも生まれていれば、高踏派の作家・劇作家の一人として天寿をまっとうできたのではないかと思う。

美徳のよろめき (新潮文庫)

美徳のよろめき (新潮文庫)

美しい星 (新潮文庫)

美しい星 (新潮文庫)

愛の渇き (新潮文庫)

愛の渇き (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)

豊饒の海 第一巻 春の雪 (新潮文庫)

豊饒の海 第一巻 春の雪 (新潮文庫)

腐敗の時代 (PHP文庫)

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不可能

不可能