ベルリンの壁
ベルリンの壁が崩壊してから30年になるらしい。
わたくしが今72歳だから、42歳の時のことだったわけである。
ひとの物心がつくというのが何歳くらいであるのかわからないが、少しものを考えることをするようになるのが小学校上級か中学初年あたりであるとすると、物心がついてからの約60年のうちのちょうど半分の時期にベルリンの壁の崩壊があったことになる。
ベルリンの壁が壊されるのを報道でみていて、かつてヨーロッパの価値観を経験した人たちというのは弱いのだな、本当の強権を発動して弾圧を続けることができないのだな、といったことを感じた。しかし、この時点でもまさかそこから2年ほどでソ連が崩壊するとは思ってもいなかった。
ソ連にゴルバチョフがでてきた時の日本の(世界の?)知識人たちの高揚感というのは大変なものがあったように記憶している。ようやくソ連にも西欧的価値観を持ち、西欧と対話できる人物がでてきたというような期待感であった。しかし、亀山郁夫氏と沼野充義氏の対談(「ロシア革命100年の謎」)を読んでいたら、「ゴルバチョフのように公式の場に奥さんを同伴してでてくるようなひとはロシアにおいては政治家として全く信用されないのだ、その点だけでもゴルバチョフは(ロシアにおいては)政治家として失格なのである」というようなことがいわれていた。
現在のロシアはロシア帝国の復活であって、現在のプーチンはなにがしかロシア皇帝のイメージを背負っているのであろうと思う。ゴルバチョフというひとには皇帝のオーラというようなものは少しも感じられなかった。
わたくしは、ベルリンの壁の崩壊をみてもソ連の崩壊を少しも予見できなかった人間だったので、自分が生きているうちに東西対立という構図がなくなることがあるだろうということはまったく頭に浮かぶことさえなかった。
それでソ連があっという間に自壊していく様子をみて、ただ呆然とした。水爆とミサイルを多数保有してアメリカと対峙している軍事大国が、その軍事力によって強圧的に政権を維持することがどうしてできないのかよくわからなかった。少なくともそれまで衛生国を軍事力によって支配することはできていたわけである(ベルリンの壁はほころびかけていたのだとしても)。
ベルリンの壁崩壊の2年後にあっけなくソ連が崩壊したときは、少なくとも知識人の間では、それならば、マルクス主義というのは何だったのかという一大議論が澎湃とわきおこるであろうと思った。
しかし、わたくしから見ると、それはほとんど起こらなかった。なにかみんなそんなこと自分にはわかっていた、という顔をしていたように思う。要するにマルクス主義は経済を基礎とする理論で、マスクスの時代にくらべると経済規模が現在ではまったくかわってしまった。市場の規模が拡大し、それがある一定の限度をこえると計画経済的なやりかたで運営することはもはや不可能となり、市場原理で(つまり資本主義的な行き方で)運営するしかなくなるのだ、というのである。経済運営体制の問題に議論が矮小化されてしまい、ソ連の崩壊はほとんど歴史の必然であって、共産主義による経済運営はテイクオフのある時期にだけ適応する過渡的な役割以上のものを果たすことはできなかったのである、といった方向の議論がほとんどだったように記憶する。
東欧の崩壊後、フクヤマの「歴史の終わり」のような西欧の勝利と同時に「末人」の跳梁跋扈する「気概」を欠いたテクノロジーだけが世界を覆うという方向と、それに対するハンチントンの「文明の衝突」といった方向がでて、結果的にはハンチントンが正しかったことになるのかと思うけれど、それでもトランプ大統領の登場のようなこともまた30年前に予見したひともいなかったであろうと思う。一寸先は闇である。
ロシア革命はフランス革命の嫡子であるか鬼子であるかは議論があるとしても、フランス革命がなければおきなかったものである。社会の仕組みを変えることによって人間をかえていこうとする試みである。
それを考えれば、何かの体制の変革によって人間をかえるという試みへの疑問あるいは反省がベルリンの壁崩壊からソ連崩壊の時期に真剣になされなかったように思えることは今でも不思議でならない。
そして、ベルリンの壁の崩壊の後、われわれはもう少し文明の方向へといくことを期待していたのではないだろうかと思う。だが、たとえば、今、香港でおきている事態である。現在の香港での事態がが、将来から振り返ると大きな分岐点であったということになるのかもしれない。しかし一寸先は闇である。未来のことは誰にもわからない。
地球の温暖化というのがこれほど大きな天候の変動をもたらすということは、少なくともわたくしは全く考えてもいなかった。プラスティックというようなものが生態系にこれからとんでもない災厄をもたらしていくらしいが、それだって対策はいつも後追いになっていくような気がする。
わたくしが若いころ、地球上の人口は爆発的に増えて遠からず、食糧は欠乏し、余った人間が海に落ちることが真剣に憂慮されていた。先進国がどこでも少子化と人口の減少に悩まされるだろうなどということをいっていたひともまずいなかったように思う。
後からみると、E・トッドや小室直樹のような具眼の士はいたということになるが、ソ連が近々崩壊して地上から消えるだろうなどということを、たとえば1980年ごろいえば、こいつはおかしいのではないかといった目でみられることは必至だっただろうと思う。
何しろベトナム戦争の頃、ドミノ理論とかいっていずれ東南アジア全体が共産化するだろうということをアメリカのベスト&ブライテストたちが真剣に憂慮していたのである。だからこそベトナム戦争もおきた。
ある時期、ベトナム戦争というのが東側の道徳的威権威を高めたことは間違いないだろうと思う。東欧に希望を抱くひとはほとんどいなかったとしても、東洋でのゲリラの戦闘には希望をつないでいた人は多数いたはずである。
ベルリンの壁の崩壊から30年である。それなら、これから先の30年後の世界というのはどうなっているのだろう?