池澤夏樹氏の本から

 今日、買ってきた池澤夏樹氏の「いつだって読むのは目の前の一冊なのだ」に中村哲さんについて論じている部分があった(p55~)。もっともその項は中村氏と似たような経歴のポール・ファーマーというアメリカの医者を紹介した「国境を越えた医者」(T・キダー)という本を主に論じていて、中村氏はその対照として言及されている。
 池澤氏は書く。「中村哲という医師の名をぼくたちはアフガニスタンの戦争を通じて知った。/ 医療から井戸掘りまでという彼の支援活動は約二十年前に始まっていたのだが、アメリカが見当違いな攻撃でアフタにスタンに注目が集まって初めて、中村氏とペシャワール会のことが広く使えられた。」
本当にそうで、わたくしもまたアフガンの戦争を機に中村氏の名前を知った。そしてアフガンとかサリバンとかが報道の関心からなくなっていくとともに、中村氏のことを忘れ、氏の死によって、中村氏がアフガンの地でずっと活動を続けていたことを知った。
中村氏の「医者井戸を掘る」も論じられるが、池澤氏はこういう本は「自分で書いたのでは限界がある」という。どうしても多角的な視点に欠ける、と。
本書では「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束」という澤地久恵氏が聞き手となって中村氏の活動について書いた本も紹介されていて、この本は知らなかった。
 そこにこう書かれている。「中村と一緒に働いていた伊藤和也が「現地で亡くなった時、日本のジャーナリズムは一斉に「危ないから、皆、引きあげろ」と合唱した。しかし、彼らの活動がその時まで五人の殉職者を出していたことを報道していない。その五人は日本人ではなく、現地の人々だったから。(二〇〇三年秋にイラクで奥克彦大使と井ノ上正盛一等書記官が殺された時、一緒に犠牲になったイラク人運転手の名を日本のメディアはほとんど報道していなかった。・・)」 今回の中村氏の死においても同じである。
 海外で航空機事故などがあると、まず報道されるのが日本人搭乗者の有無である。今までまったく報道されることなどなかったアメリカのプロバスケット・ボールに日本国籍の選手が加入すると連日報道である。イチロー選手が米大リーグに加入したときもそうだった。これはアメリカに戦争で負けたコンプレックスの屈折した表れなのだろうか? 9・11の時、まだ十分な情報がない時、テレビでそれをみていたあるわたくしより10歳くらい上の男性が「よくやった! やったのは日本人か?」と叫んだと、その方の奥様があきれ顔で語っていた。
 アフガンで医療活動をし、井戸を掘っていたのが日本人でなければ、おそらくわれわれはその活動にまったく関心を抱かないだろうと思う。
 明治から昭和前期までのほうがまだ日本はまだ今よりは開かれていたのではないだろうか?
 

いつだって読むのは目の前の一冊なのだ

いつだって読むのは目の前の一冊なのだ

  • 作者:池澤 夏樹
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2019/12/01
  • メディア: 単行本