ある日の中小病院での外来

 昨日は、雨風が強い荒天ということもあったのかもしれないが、外来の患者さんが異様に少なかった。一つには先週から容認された患者さんと電話で連絡して問題なければ患者さんが指定する薬局に処方箋をファックスで送るというやりかたへの対応として10人くらいの患者さんには電話で対応したということがある。しかし、それでも少なかった。おそらく患者さんの側に現在最大の感染リスクがある場所(の一つ)が医療機関であることが広く認識されてきたためではないかと思う。
 不要不急の外出を控え、可能な限り在宅勤務が推奨されているなかで、医療機関への通勤と通院は例外であるとされている。わたくしは中央線で杉並から都心に通勤しているが、先日、自分の通勤人生ではじめて新宿-お茶の水間で座ることができた。在宅勤務の推奨はそれなりの効果はあげているのだろうと思う。
 一方、患者さんの側からみると、現在のいくつかの病院でのクラスター発生の報道をみれば、なるべく病院に近づきたくないと感じるのは当然である。現在、内科通院患者の多くを占めると思われる高血圧、糖尿病、脂質異常症の患者さんのほとんどには何ら自覚症状はないと思われる。そうであれば通院の目的のほとんどは検査をうけることと薬をもらうことである。であれば、電話で病状を確認して患者さんの地元の調剤薬局で薬を出してもらうという今回コロナウイルス対応のため一時的に容認されたやりかたはきわめて合理的である。高血圧の場合、すでに自己測定は自宅で可能である。検査についていえば、一定の地域ごとに検体検査とレントゲン・心電図などを請け負うセンターをつくれば、迅速性には欠けるかもしれないが、これまた対応可能と思われる。現在在宅勤務が推奨されているが、いわば在宅診療である。
 現在、一時的な措置として容認された電話での診療の体制が新型コロナウイルス感染の収束がなかなか見られないために長期化するようなことがあるとすると、患者さんの側につぎのような疑問が生じてくることは避けられないと思う。「今まで、毎月あるいは、二月・三月に一度、通院していたけれど、それは本当に必要だったのだろうか? 一年に一度の通院でも十分だったのではないだろうか?」 在宅勤務推奨が長期化すれば、働くひとの間で、「今まで毎日、会社に顔を出していたけれど、それは本当に必要だったのだろうか?」という疑問が生じて来ることが避けられないであろう、それと同じように。
 現在、不要不急の外出の自粛要請によって飲食店などの利用者が減るといったことで、様々な中小企業の経営が立ち行かなくなることへの懸念が多く報道されているが、実は日本の医療機関の多くも中小の零細企業である。最近、永寿総合病院とか中野江古田病院などでの新型コロナウイルスクラスターの発生が報道されている。報道でみるかぎり、その対応はきわめて拙劣であり、対応は完全に後手にまわっている。しかし、これらの病院はバックを持たない独立採算で運営されているのではないかと思う。院内で感染が確認された当初、これが報道されると、病院の経営が立ちいかなくなる。このまま数名の感染でおさまってくれないだろうかと祈っているうちに、感染がひろがってしまい、どうしようもなくなってしまった、というような経過なのではないかと、あくまでも推測ではあるが、思う。同じように院内感染が報道されている慶応大学病院、慈恵会医科大学病院や国立がんセンター病院などではそれにくらべれば、クラスター的な大きな感染拡大が今のところおきていないように思えるが、それはこれらの病院がバックを持ち、かりに新型コロナウイルス感染が報道されても病院が潰れるというような懸念を持つことなく早目の対応ができたということがあるのではないかと思う。また独立運営の病院はぎりぎりのスタッフでまわっており、不測の事態に対応できる人的な余裕に乏しかったというということも、それらの病院の対応が後手にまわることになった一つの原因であったかもしれないとも思う。
 現在、医療崩壊の危機ということがいわれているが、それは今後まだまだ増加する懸念のある新型コロナウイルス感染患者に対応できる医療機関のキャパシティがなくなってしまうということへの懸念である。しかし、不要不急の受診の抑制というそれ自体は正しい行動が続くと、多くは中小の零細企業からなりたっている日本の医療供給体制自体にもじわじわとその影響がでてくる可能性もないとはいえないのではないかと思う。
 アメリカやイタリアの医療の現状を報道でみていると、それぞれの国で抱えている医療供給体制や保険医療体制の問題点が浮き彫りにされていているように感じる。さまざまなに批判されてきた日本の医療供給体制であるが、それでもそれが存外、諸外国にくらべればまだ増しな体制であるのか、やはり根本的な対応を要する脆弱性をかかえているのかといったことがここ半年くらいのあいだに明らかにされてくるのではないかと思われる。