岩田健太郎「新型コロナウイルスの真実」(1)

 奥付では2020年4月20日刊になっているが、先々週から書店には並んでいたように思う。「あとがき」の日付は3月23日。出版を急いだため、口述したものから文章を起こしたものらしい。
 「はじめに」、第一章「「コロナウイルス」って何ですか? 約35ページ。第二章「あなたができる感染症対策のイロハ」 約30ページ。第三章「ダイヤモンド・プリンセスで起こっていたこと」 約60ページ。第四章「新型コロナウイルスで日本社会は変わるか」 約55ページ。第五章「どんな感染症にも向き合える心構えとは」 20ページ弱。「あとがき」からなる。
 ここから見てとれるように、新型コロナウイルス感染とその対策の一般論についての記述は最初の70ページほどで、本書の著者が岩田氏でなければならなかった理由は第三章以下にある。そしてダイヤモンド・プリンセス号での氏の経験が第四章を書かせることになるわけであり、第五章も「どんな感染症にも向き合える心構えとは」も、そのタイトルから受ける印象とはいささか異なり、日本社会はこれからどのように変わらなければならないかについての氏のささやかな提言をふくんでいる。
 つまり、本書は日本論、日本人論という色彩を色濃く持っているのであり、岩田氏が本書を書こうとした動機もそこに根ざしているのだろうと思う。
 さて、雑誌「Voice」の最新号は、総力特集「どうする! コロナ危機」と題されていて、ここでも、新型コロナウイルス感染をきっかけに露呈されてきた日本の問題を指摘する論も多く、新型コロナウイルス感染拡大防止への日中韓の対応の差にそれそれぞれの国の歴史の反映を見る論もあった(日本では政府からの強制や強要がなく、呼びかけやお願いにとどまっている(躊躇鈍重の日本))。
 さらにこの「Voice」では、たまたま別に「韓国の教訓」という企画も組まれていて、小倉紀蔵というかたが「後手後手」「いきたたりあったり」「ぐずぐず」の日本を果断の韓国や台湾と比較して論じている。氏は日本のやりかたを帰納的な世界観であり、経験主義的な現場主義であるとし、それは戦後ずっと日本政治や日本社会の欠点とされてきた官僚主義、前例主義、事なかれ主義の表れであるともいえるし、法治主義、手続き絶対主義の枠内でのやりかたであり、平時の社会の安定には寄与してきたともいえるとしている。要するに日本社会は独裁的な政権が私権の蹂躙や強権の発動をする社会にはなりたくないと思っているのだ、と。
 しかし、これは何も日本だけの特徴ではなく、イギリスもそれに近いとし、ヨーロッパ大陸的な理性主義的人間観にそれは対立するのだといって、ヒュームの名をあげる。氏は、それを群島文明と呼んで、普遍主義、理念主義、本質主義、超越主義などを基盤とするヨーロッパ大陸主義と対比させている。この大陸的な演繹主義は日本の歴史においてはただ一度1930年から1945年の間に実現し、日本人はそこでの悲惨な記憶を絶対に忘れないだろうという。
 本書で岩田氏が述べていることは、官僚主義、前例主義、事なかれ主義、手続き絶対主義のために新型コロナウイルス感染流行への対応がさまざまな局面で後手にまわっている日本の現状の問題点の指摘と批判であり、それに代替する、もう少し普遍主義的なやりかたへの転換の提言ということになるのかと思う。
 そもそも科学は普遍主義への傾斜を持つ。医学があるいは医療が科学に属するか?といえばそれはそれで大問題であるが、本書での岩田氏の論はさまざまに考えさせるものがある。以下、稿を変えて、論じていくことにしたい。

新型コロナウイルスの真実 (ベスト新書)

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VOICE(ヴォイス) 2020年 5月号

VOICE(ヴォイス) 2020年 5月号

  • 発売日: 2020/04/10
  • メディア: 雑誌