8月15日

 毎年8月15日は「終戦記念日」として、各地で行われる様々な式典が報道されている(今年はウイルス感染拡大防止のため大分、規模が相当縮小されたらしいが)。しかし、「終戦記念日」というのはまことに奇妙な呼称であって、それだけみれば、単に戦争が終わったことを記念する、あるいは忘れないようにしようというだけのことである。
 本来であれば8月15日は、「終戦」ではなく「敗戦記念日」でなければいけないはずであるが、「敗戦記念日」というのも、これもまた変で、「戦争に敗れたことを記念する」ということになれば、そこには臥薪嘗胆、今度こそは負けないぞというニュアンスだって含まれてこないとは言えない。
 8月15日は「玉音放送」が流された日であり、ポツダム宣言受諾は8月14日、降伏文書調印式は9月2日であるから、本当の「終戦の日」ではないわけであるが、それでも8月15日を「終戦記念日」とすることに多くの日本人が異を唱えない、あるいはおかしく感じないということは、「玉音放送」が当時の日本人にいかに強いインパクトを与えたかということであり、また天皇という存在が昭和20年8月15日の時点においていかに大きなものであったかということでもある。だからこそ日本国憲法でも天皇制は残ることになった。
 つまり「終戦記念日」というものには、新しい日本が始まることとなった日、そのことを寿ぐ日というニュアンスが根底に色濃くあることを感じる。戦前の日本と戦後の日本、それを分かつ日が8月15日であるという意識がわれわれにはあって、この日が新しい日本の出発の日となったという思いが、ことさらこの日を大きなものとしている。
 「終戦記念日」に語られるのは、戦地の悲惨であり、銃後の生活の苦労である(もっと言えば飢餓、そこまでいかなくても空腹)。そしてまた、戦後の時間の経過とともにそれらの悲惨を経験したひとが高齢化していくことにより、その体験が語りつがれなくなっていくことへの危惧も語られる。
 しかし戦争の悲惨というのが75年以上も前にわれわれがおこなった戦争の体験から言われているのであれば、それからもう3/4世紀の時間が過ぎて、戦争の形態というものが当時とは大きく様変わりしている現在においては、ただ当時の悲惨を強調することの説得力はこれから急速に失われていくことは避けられないものと思われる。
 「終戦記念日」がわれわれに教えてくれていることは、われわれは自分の力では戦争を終結させることができず、終結のためには、天皇の言葉という力を必要としたということである。それゆえに「日本国憲法」でも天皇制を排することができなかった。
 そしてもう一つ、われわれが曲がりなりにも戦争を終結させることができたのは、広島と長崎への原爆の投下という事実があり、それによる筆舌につくせない惨禍をわれわれが経験したということの帰結でもある。
 もしも、この原爆投下ということがなかったとしたら、われわれははたして戦争を終結させることが出来たであろうか? というのは考えても詮無い歴史上のイフであるが、われわれのこころの奥底のどこかに、戦争を終わらせるためのきっかけをあたえてくれた《アメリカ軍による原爆投下》に感謝するというような心情がいささかでもないものか、それは難しい問題であるように思う。
 原爆忌での報道をみると、それは愚かな戦争をはじめたわれわれを懲罰するために、天上から降ってきた神の下した鉄槌のような扱いのように感じることが時々ある。よくいわれることであるが、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」というのもとても奇妙な文で、「安らかに眠ってください。」と呼び掛けるのはわれわれ日本人であろうが、そうであれば「過ちは繰り返しませぬから」もまた日本人の言葉であるはずで、原爆投下もまた、われわれが犯した過ちということになる。どういう過ちか? 愚かな戦争をはじめて、いくら配色農濃厚になっても、それをいつまでも止めることが出来なかったという過ち。
 加藤典洋氏の「敗戦後論」によれば、連合軍当局から日本憲法草案が提示されたとき、日本の憲法草案検討作業の場の日本の閣僚たちに検討のためにあたえられた時間はわずか十五分であったという。これは原子爆弾という当時存在した最大の権力によって日本に有無をいわせず押し付けられたもので、「国際紛争解決の手段として武力を行使することはしないと宣言する憲法が、原子爆弾という当時最大の「武力による威嚇」によって押しつけられた」ということになる。当時、たとえば美濃部達吉氏の考えた憲法改正案第一条というのは以下のようなものであったという。「日本帝国ハ連合国ノ指揮ヲ受ケテ 天皇之ヲ統治ス」
 いうまでもなく、加藤氏は押し付けられた憲法だから反対、自主憲法をつくれという方向のひとではなく、この憲法は素晴らしいものである。だから、もう一度、われわれの手で選び直せというきわめてまっとうな主張をしたわけであるが、右からも左からも文字通りボコボコに叩かれた。
 「敗戦後論」の冒頭は1991年におきた湾岸戦争において出された文学者たちの《戦後憲法の「戦争放棄」の条文》を根拠とする反戦著名声明への違和感から始まっている。「そうかそうか、では平和憲法がなかったら反対しないわけか。」
 村上春樹湾岸戦争のときにアメリカにいて、ずいぶんときつかったことを回想している。「日本人の世界の理屈と、日本以外の理屈は、まったくかみ合っていないというのがひしひしとわかるんですね。・・・自衛隊は軍隊ですよね。それが現実にそこに存在するのに、平和憲法でわれわれは戦争放棄をしているから兵隊は送れないんだと、これはまったくの自己矛盾で、そんなのどう転んだって説明できないです。・・・これはやはり日本にいたら気付けなかったことだと思うのです、理屈ではわかっても、ひしひしと肌身には迫ってこなかったんじゃないか・・・それと同時に、いまの日本の社会が、戦争が終わって、いろいろとつくり直されても、本質的には何も変わっていない、ということに気がついてくる・・・近代の日本を戦争に導いたものというのも、そういうずるさ、あいまいさではないですか」 これは河合隼雄との対談での発言であり、河合氏はそのずるさは必ずしも否定すべきではないと対応するのであるが・・。
 昭和16年12月の開戦は、明治以来、日本が国是としてきた「西欧世界の利権に自分達も参加させてくれ!」という方向を放棄して、「西欧世界は西欧世界で勝手にやってくれ! もう西欧世界との付き合いにはとことん疲れた。われわれはアジアのほうでやっていくから、それを認めてくれ!」というはなはだ後ろ向きのものであったのではないかと思う。開戦の時に多くの国民が感じたという解放感、頭上に重くのしかかっていたものが消えて、霧が晴れたような清々しい感じというのは、西欧というわけのわからない魑魅魍魎の世界との付き合いからもう解放されるのだという思いに由来するのではないだろうか。そして、8月15日の敗戦において、今度は、もう世界の基準から降りる。日本は世界に参加するだけの成熟をまだしていない国だったのだから、戦争というような世界の標準からは降りる、大人の世界のことは、他の国々にまかせる。ただ今は子供の世界の甘い夢想のように思えるだろうことが、どこか遠い未来においては、やはり人類の理想だったのだと理解される日が、ひょっとすると来るかもしれない。それに希望をつないで、もう少しわれわれの生き方、行き方を黙認して見ていてほしいというようなそういう気持ちで来た。
 しかし戦後75年がたったが、いまだに世界は変わっていない。それどころか、漠然と世界がその方向に進んでいるように思ってきた西欧啓蒙の方向がいたるとことで否定され、露骨な力の誇示が前面にでた世の中へと世界が逆行していることを感じさせる事象が目立ってきているというのが、今われわれが感じていることではないかと思う。
 だから、終戦記念日というのもますます内向きになり、後ろ向きになってきて、積極的な方向の見えないものとなってきているように感じる。わたくしの父は軍医として南方の島に送られ何とか生き残って帰ってきた。晩年の父は日本社会党の党員だったのではないかと思う。様々なニュースをみて、戦争のへ匂いを感じる、きな臭いものを感じるというのが口癖だった。多分それは自分の筆舌に尽くしがたい経験がそうさせたのだろうと思う。
 おそらく父の戦友であったのであろう矢数道明という方が書いた「ブーゲンビル島 兵站病院の記録」という本には、父は第二次編成第七六兵站病院将校名簿に内科医の一員として名前があがっている。戦後、父は小児科医であったが、戦地において小児科医などはなんの役にも立たないわけで、それで内科医なのであろう。この本によれば、第七六兵站病院は南方第十七軍司令部直属の部隊として、つねに軍司令部と共に第一線から離れた後方勤務に従事したとあり、比較的平穏な後方兵站病院の記録とあるから、第一線の野戦病院などと比べれば苦労はまだ少ない状況であったのであろうが、それでも、やはりそれは父としては人生最大の筆舌に尽くしがたい経験であったのであろう。しかし、父はその経験についてはわたくしには何も語らなかった。
 後10年もすれば、自分自身の体験としての戦争経験を語れるひとはほとんどいなくなるであろう。今の若い方に終戦記念日などといっても、わたくしが若いころにきいた明治維新という言葉に感じた感覚に近いものなのかもしれない。われわれの世代にとって、明治以前は過去あるいは歴史であって、明治以降が現在につながる。とすれば、今の若いかたにとっては、戦前までの日本はすでに過去あるいは歴史に属するのであり、戦後の日本こそが現在につながるのかもしれない。
 かりにコロナ騒動が収束の方向にむかっていたとしても、来年以降の終戦記念日の式の規模が縮小していくことは避けられないのではないかと思う。

敗戦後論 (ちくま学芸文庫)

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天皇の戦争責任

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ブーゲンビル島 兵站病院の記録(オンデマンド版)

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  • 作者:矢数道明
  • 発売日: 2001/09/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)