ラジオ

 自分の記憶を遡ってみると、一番古い記憶というのはラジオのドラマ、それもその主題歌であるように思う。それが「鐘の鳴る丘」であるような気がするのだが、これは昭和22年から25年に放送されたようであるから、昭和22年生まれのわたくしがいくら何でも覚えているとは思えない。後から聞いたものが刷り込まれているのであろう。作詞:菊田一夫 作曲:古関雄二。詞のほうは見事に現実感のないもので、緑の丘、赤い屋根、時計台、そこで山羊が鳴いている。戦後まもなくの焼け野原が空想させた牧歌なのかもしれない。
 それで確実にリアルタイムに聞いたと思われるのが「新諸国物語」、とくにその「笛吹童子」。主題歌の作曲は福田蘭堂。尺八の奏者であったと思う。ちょっと調べてみたら、なかなかどうも大変な人で、結婚詐欺で食べていたような人でもあるらしく、今なら確実に文春砲の餌食である。しかし、尺八の奏法の改良には大きな貢献をしたひとらしく、もしもこのひとがいなければ、あるいは「ノベンバー・ステップス」も生まれていなかったのかもしれない。
 売春が世界最古の職業であるのなら、女をだまして金を巻き上げるというのもそれにおとらず歴史が古いのかもしれない。人間、食べるに窮したら何をしても許されるわけで、こういうのはどうもどちらが悪いということでもないような気もする。「伊勢物語の男は・・「わがせしがごとうるはしみせよ」なんぞとあじなセリフをのこし、ドン・ファンの貫禄、一個の女の流血を踏まえつつ、死ぬやつは死ね、あとふりむかず、行くさきざきに女あり、すべての柔媚なる指を食いつくし、食ってしまったものに未練は微塵もないという気合はけだし陽根の栄養学である。(石川淳「恋愛について」(「夷斎筆談」))」
 福田蘭堂は「不・くだらんぞ」のもじりであったように思う。二葉亭四迷(←くたばってしまえ)のようなものである。
 閑話休題、その次が「少年探偵団」。この主題歌の言葉がまた難しい。「勇気凛々瑠璃の色・・・」。わたくしが本を読みだしたのは小学校高学年での「怪人二十面相」からだから、存外、このラジオ番組はわたくしに大きな影響を与えているかもしれない。
 テレビが来たら、ラジオをきかなくなって、それで次はいきなり「パック・イン・ミュージック」。大学受験から大学初年の頃? 覚えているのは北山修の少し甲高い声と笑い声、それと野沢那智白石冬美のコンビの少し下がかったやりとり。野沢那智はテレビ「0011 ナポレオン・ソロ」のデイヴィッド・マッカラムの声を担当していたと思う。
 
 テレビからのスピン・オフ?でラジオなどと書いていたら、安倍さんが辞任するらしい。
 安倍さんは、本来は「美しい国」のひと「ココロ」の人なのだと思う。憲法改正にこだわるのもその美しい国に反するものとして現在の憲法があると考えるからであろう。安倍応援団もまたその路線で支持した。しかし、最初の失敗の後、捲土重来を期して、今度はアベノミクスなどといいだしたので、応援団はさぞかし困っただろうと思う。アベノミクス銭金の問題であり、「モノ」の問題で、「ココロ」の問題ではない。しかし、「美しい国」よりはまだそれはなにがしかの成果をあげた。とすると憲法改正の安倍から経済の安倍にシフトしていった。「ココロ」から「モノ」へ。
 一方、朝日新聞社は反=安倍を社是にしているのだそうであるが、それは朝日新聞の旗印が平和憲法であるからで、そうであれば、憲法改正など、断固として、許すことはできない。では朝日新聞社は経済についてはどう考えているのかといえば、経済格差のない社会、ぎすぎすした競争のない世界、みんな仲良くの方向であるように思う。(教育勅語の世界に近いような何か。)
 朝日新聞が奉る「平和憲法」というのはフランス革命のときの「理性教」なのだと思う。天皇崇拝から理性崇拝へ。なぜ新憲法戦争放棄が書き込まれたのかといえば、戦場での日本兵が強かったからなのだと思う。あんな奴らにまた鉄砲をもたせたらやばいぜ、ということから憲法第9条ができた。では憲法第1条は? 占領政策遂行にまだまだ天皇制は利用価値がある、というより昨日まで「天皇陛下万歳!」といっていた日本人を占領統治するには天皇制を利用するしかなかったからであろう。
つまり日本はいまだに“Occupied Japan”が続いていることになる。
 とすると実は安倍首相も朝日新聞社もめざす方向は同じであることになるが、それに至る手段が違うだけということになる。そして両者がともに敵とするのが、勝ったものがすべてをとるような世界、1%と99%が対立するような世界である。
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ 常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
《一旦緩急あれば》以下は朝日新聞としては困るかもしれないが、基本的には朝日新聞が希求するのは争いのない世界、みんななかよくの世界で、教育勅語の世界なのだと思う。
 しかし、アベノミクスでは救済されず、むしろその結果として沈んでしまったような人々が一部、強力な安倍応援団となっているということがある。いわゆる嫌韓嫌中の路線で、安倍氏が日本は特別だという路線をとっていると信じるが故の支持である。
 では朝日新聞はどうかといえば、こちらもまた日本特別路線をとっているのでやっかいなことになる。日本は平和憲法を持っているがゆえに世界を先導する特別な国であるというわけである。
 日本はアジアの端に位置する渺たる小国で、かじ取りを誤れば未来がないという謙虚な気持ちは右にも左にも乏しいように思われる。これは昭和のある時期、世界での5本の指に数えられる大国にようやく成り上がったと思いあがった甘い記憶が、まだ潜在的に残っていて払拭されていないということなのであろう。
 しかし、今後、新しい宰相がだれになるにしろ、美しい国路線をとるとは思えない。
 天谷直弘氏に「「坂の上の雲」と「坂の下の沼」」という論があって、日本は「坂の上の雲」をみあげている自信がない謙虚な時にはいいが(明治期、昭和20年以降の何年か)、変に自信をもってしまうと(昭和前期、また高度成長期にJapan as No.1 などといわれて天狗になった時期)すぐにだめになって、「坂の下の沼」に転落してしまうとしていた。
 安倍氏は自分が宰相となってしたいと思ったことはほとんど何も成し遂げることができなかったかもしれないが、それでも、とにもかくにも歴代宰相中最長という長期の在任をすることによって何事かをなしとげることができた人のように思う。あるいは、それこそが最大の業績だったかもしれない。
 今後しばらくは、また短命な宰相の交代の繰り返しが続くのではないかと思う。
 以上、書いても何の意味もないことは承知の床屋談義。