ノーベル医学生理学賞

 報道によれば、今年のノーベル医学生理学賞C型肝炎ウイルス研究関係の3氏に決定したようである。肝臓病を臨床の主たるフィールドとしてきた人間であるので少し感想など。
 C型肝炎ウイルスが同定されたのは1989年のことで、それに成功したのはカイロン社というヴェンチャー企業であるということであった。その報を聞いたときにまず感じたのが、臨床研究もついにビジネスの対象になってしまったのだなということであった。
 B型肝炎ウイルスが特定された後でも、相変わらず輸血後肝炎は頻繁におきていたので、当然、B型肝炎ウイルス以外に輸血後肝炎をおこす未知のウイルスが少なくとも一つ以上は存在することは明らかであったわけであり、世界中の肝炎研究者がその発見をめぐって覇を競っていた。もちろん日本でもそうで、わたくしの周囲にも、その競争に参加している先生もいた。しかし、長年肝炎の研究にたずさわっていた基礎医学臨床医学の分野の人間からではなく、明確にビジネスとして未知のウイルスの発見に挑戦し、それに成功した企業が出たということが、時代が変化したことを思わせた。
 このウイルスの同定が臨床的にきわめて意義深いものであったことは明らかで、まず検査試薬が開発されることにより、輸血後肝炎はほぼ発生することがなくなり(このことによって、輸血後肝炎を起こすウイルスはB型、C型の二種だけであることも明らかになった)、その後のウイルスの増殖様式に解明により種々の治療薬が開発され、現在では2ヶ月間の飲み薬の服用によりウイルスを根絶されることがほぼ100%可能になってきているのであるから、これが受賞に値する立派な業績であることは論をまたない。
 カイロン社C型肝炎ウイルスを特定という報が聞こえてきてしばらくすると今度はその発見者が、「ひょっとすると自分はノーベル賞がもられるかも」と思ってビジネスの世界を出て、研究者生活にはいったというような話がきこえてきて、人間というのはそういうものなのかなあという感慨をもった。
 今回の3名の受賞者の内のホートン氏はカイロン社出身とあるからおそらくはわれわれの耳にはいってきたのは氏の話であったのかもしれない。
 ブランバーグがオーストラリア抗原を見出したのが1964年で、これは後にB型肝炎ウイルスと関連することが明らかになり、1976年にノーベル賞を受賞することになるわけであるが、発見から10年ちょっとである。一方、C型肝炎ウイルスの同定は30年以上前のことであるので、わたくしもカイロン社のエピソードのことなどとっくに忘れていた。
 おそらくこれが受賞対象になったのは、最近のC型肝炎治療薬の劇的といっていいような開発の進展との合わせ技ということでもあり、それで30年という時間を要したのかもしれない。
 わたくしが臨床研修をはじめたのは1973年、まだB型肝炎ウイルスではなくAu抗原という呼び方が普通だった時代で(研修医として受け持ったまだ20代の女性の肝硬変患者がAu抗原陽性であるという検査結果が届いたときの驚きをいまだに覚えている)、それからほぼ50年前、B型肝炎も経口剤でコントロール可能となり、C型肝炎も経口剤でほぼ100%根治可能という時代になった。これからの肝臓医は何もみていけばいいのだろうかという話をよくきくようになった。もちろんアルコールによる肝疾患はある。しかしアルコール依存症の治療は敗北の歴史であり、その専門家もかなりがアルコール症の治療にさじをなげてゲーム依存に向かおうとしている。後は生活習慣病である。肥満による脂肪肝の一部が進行して肝硬変から肝癌にいたることがある。しかし、肝疾患の主な原因はB型C型の肝炎であったことは間違いない事実で、それが臨床のフィールドからほぼなくなって、あとはお酒をやめましょうとか痩せましょうといった生活指導しかないということになると、臨床肝臓病の分野は随分と地味で人をひきつけない分野になっていくのではないかと思う。
 臨床にたずさわってそろそろ50年。ちょうど、いい時期に臨床肝臓病にかかわったことになるのかもしれない。