与那覇潤「繰り返されたルネサンス期の狂乱」(「Voice」令和3年2月号」

 与那覇潤さんが、雑誌「Voice」2月号に、「繰り返されたルネサンス期の狂乱」という稿を寄せている。
氏はいう。2020年最大のテーマは「知性の敗北」であった。私たちがこの知の惨状を乗り越えるために必要なのは、無責任な「未来図のプレゼン」との決別である。このままでは、2020年は後世には「知性」への信頼を完全に崩壊させた一年として記憶されるだろう、という。
 1957年にはアジア風邪のパンデミックで200万人、1968年の香港風邪のパンデミックでは100万人の死者がでている。そういう事実があるにもかかわらず(現在までのところ新型コロナウイルスでの死者は昨年末までで150万人超)、1918年のスペイン風邪(死者1億人)とのみ比較して危険性を誇張して日本のメディアは過剰対応を煽った。
 特に目新しいことではないはずの今回の新型コロナウイルス感染パンデミックがもたらした衝撃は、近代以降長く続いてきた「先進国神話」が崩れたことにあるという。自由と人権を尊重するはずの欧州諸国が再三ロックダウンを強行したにもかかわらず、膨大な死者を出したのと対照的に、中国や周辺の途上国では相対的に軽微な被害ですんでいる。

 昨年以来、専門家はさまざまな提言をしてきているが、専門家への信頼は失われていくばかりである。アメリカでは敗北したとはいえ、トランプ氏があれだけの票を集めた。

 さて与那覇氏の本論のタイトルは「繰り返されたルネサンス期の狂乱」となっている。なぜここにルネッサンスがでてくるのか? それは本論が大きく依拠しているのが中井久夫氏の「西欧精神医学背景史」(1979年)であるからである。
 中井氏によれば、ルネッサンスあるいは大航海時代以前にグローバル化していたのはモンゴル帝国や中国やイスラムとその商人達であって、ヨーロッパは後進地域であった。それが逆転する契機となったのが「アメリカ大陸の発見」だった。新大陸の銀が空前の資本力を欧州にもたらすが、それは同時に社会を流動化させた。胡散臭い「ルネサンス官僚」がパトロン達に様々な勝ち抜き策を提示した。
 その提言がうまくいかないときは、それを邪魔する裏切りもの、さらには悪魔がいるからだとした。それが魔女狩りのルーツとなったと中井氏はいっている。それと同時に当時のヨーロッパ人よりはるかに豊かな知識をもっていたイスラム教徒やユダヤ人も排斥されていった。

 与那覇氏は、このルネッサンス期の混乱が目下の世界情勢に似ているという。「私だけが解決策を知っている」と自称する《有識者》が跋扈し、移民排斥やレイシズムの機運が高まって、学者や知識人が存在感を失っていく。その典型、現代における胡散臭い「ルネサンス官僚」がたとえばトランプ政権のバノン氏であるという。
 現在進行している変動の根にあり、ルネッサンス期の「アメリカ大陸の発見」に相当するものが「中国の発見」であると与那覇氏はいう。「世界の工場」でありなおかつ「世界最大の消費市場」というフロンティアの発見である。中国には前近代的な零細企業から、ファーウェイのような欧米並みのモダンな企業、さらにはもっと進んだIT産業までがすべてそろっており、中国に注文すれば、世界最安値で何でも手にはいることになった。だが、西欧では当然デフレという弊害が出現し、製造業は衰退して、あとには口先ばかりの虚業家だけが残ることになった。
 しかし、歴史をそういう大きな目で見通すマクロヒストリーは日本ではきわめて脆弱である。そのため陰謀論が跳梁跋扈することになる。
あることを予言し、その通りになれば、自分のおかげ」、ならなければ「俺のいうことをきかない国民のせい」といった知性の片鱗もない議論がまかり通っている。
 今、知性の行使がきわめて悲惨な状況に陥っていることを自覚すること、われわれはそこから出発するしかないと与那覇氏はいう。

 与那覇氏がここで参照して議論のバックボーンとした中井久夫氏の「西欧精神医学背景史」はとにかくとんでもない本である。
みすず書房版の「西欧精神医学背景史」の「あとがき」に中井氏が、「(執筆時)私は一種の物狂いの状態であったにちがいない」とあるのは掛け値なしに本当のことなのではないかと思う。
 わたくしがこの中井氏の本で一番印象に残っているが「森」と「平野」の対立という見取り図である。「森に二十歩はいれば(権力から)完全に自由であった。」
 あるいはまた西欧知識人を支配する「無垢なる少女の神話」の話。(「野ばら」「ファウスト」・・)
 つまりわれわれが知っている(あるいは親しいものとして感じている)西欧は「西欧の平野」の明るい部分だけなのであって、「森」の奥の暗い部分ではないのでないかということである。たとえば、わたくしにはハイデガーという人がどうしても平野の人とは思えない。森のひとである。
 啓蒙主義というのは典型的な平野の思想なのではないかと思うが、「浪漫主義」というのはそれでは「森の思想」であるといえるのだろうか? あるいはアポロンディオニューソスという問題。

 わたくしはポパーの信者なので、未来を予想することは不可能であると思っている。あることを予想して、それが違っていれば、その事実を受け入れて考えを修正すればいい。ポパーフロイトの思想を、あるいはマルクスの思想を、どのようなことがおきようとすべて自説が正しいとできてしまうという点で科学ではないとしている。
 マルクスの予言は間違ったし、ケインズもまた自分の孫の世代になったら経済問題などはなくなっているだろうというようなことをいっていたらしい。

 現在日本の医療供給体制の不備がさまざまに批判されているけれども、昨年のイタリアもそうだったが、これからの少子高齢化の進行に対応するために(要するに税収が先細りになる未来に備えて)、病床配置を計画してきた結果が今であり、新型コロナウイルス感染が広がることなどだれも予想をしていなかったわけだから、そして1~2年というような短時間で病床の配置を大きく変えることなど不可能なのであるから、現在、なんでこうなった、責任者をだせというようなことを言っても、意味がないのではないかと思う。
 あらゆることには対策があるはずだ、それができていないとすれば誰かの怠慢であり、その人を糾弾しなくてはいけないのだという考え方自体が問題なのだと思うけれど、それは一般的ではないらしい。
 わたくしは20歳を過ぎてからは一貫して西欧の明るい部分、啓蒙の西欧の信者であり続けてきたけれども、まさかそろそろ後期高齢者になろうとする今になって、「暗い西欧」が跋扈する時代に遭遇するだろうなどということは予想さえしていなかった。
これが一時的なものなのか、長期にわたる変化の開始期にたまたま遭遇しているのかはわからない。いずれにしても、もともと積極的に発言するとかは性に合わない人間なので、今まで通りで通すしかないのだが。

Voice 2021年2月号

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西欧精神医学背景史 【新装版】

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