碩学ピーター・ゲイの書いたモツアルト論ということで読んでみた。
基本的にモツアルトの伝記であるが、そこに適宜ゲイのモツアルト賛歌が挿入されるというような構成である。とにかくゲイが音楽好き、モツアルトの熱烈な賛美者であることだけはよくわかる本である。
しかし、この本でモツアルトについて何か新しいことを教えられたかというとそうではないように思う。むしろゲイがいかに博識かということのほうに印象が残る感じである。
巻末に付された三浦雅士氏の「モーツアルトは我らの同時代人」という文章もまた熱のこもったもので、三浦氏もまたモツアルトの大讃美者であることがわかる。天才・奇跡・・・。しかし三浦氏はモツアルトを「遊戯する十八世紀の宮廷人」とみる立場をとらない。では「ロマン派」とするのかというのが難しいところである。
ゲイの論はモツアルトと父との葛藤を描くことに多くのページを割いているが、三浦氏はここにフロイトの理論の援用をみている。そしてゲイの論にはポパーの名前などはどこにもでてこないにもかかわらず、ポパーについての批判を展開している。文化史家というのは多かれ少なかれ精神分析的観点を採用せざるをえないのだとしている。「歴史は科学であるよりも文学である」として、文学の理論として精神分析ほど有効なものはない」と三浦氏はいう。
臨床の精神医学においてフロイトの精神分析の方法はほとんど一顧だにされなくなっているといっていいと思うが、文学の現場においてはまだその影響は強く残っているようである。村上春樹さんの小説にもそれは強く感じられる。春樹さんは河合隼雄さんの信奉者であるようだし。
確かにモツアルトは天才であり、音楽の一つの頂点を極めたことは間違いないと思うが、しかしどの芸術分野においても一切の夾雑物を含まないでいるとそれは次第に枯れていってしまうことになるので、ベートーベンという奇人が音楽の分野に非常に多量の夾雑物を持ち込んだことが西欧のクラシック音楽を大幅に延命させてきたのだと思う。しかしベートーベンの魔法の威力もそろそろ尽きけているように思えるが・・。
確かゲイの名前を最初に知ったのは山口昌男氏の「本の神話学」でだったと思う。山口さんというのは何という物知りと驚嘆したものだが、そこにはゲイの「ワイマール文化」への言及もあり、山口さんが広い意味でゲイの学統につながるひとであることがわかる。この山口さんの本で「書痴」という言葉が使われているが、ゲイも山口氏もつくづくと「書痴」の系列のひとなのだと思う。わたくしは高校時代に山口氏に「日本史」を習った人間なのであるが、手塚治虫とか(まだそれほど有名ではなかった)白戸三平について語る氏がそんな偉い人であるとは毛頭思わなかった。
この「本の神話学」においても「精神分析学と歴史学の交錯」ということがいわれている。 つくづくと文科系の学問へのフロイトの影響ということを感じる。

- 作者:ピーター・ゲイ
- 発売日: 2002/06/24
- メディア: ハードカバー

- 作者:山口 昌男
- 発売日: 2014/01/17
- メディア: 文庫