本日の朝日新聞の朝刊の川上弘美さんの文

 本日の朝日新聞の朝刊に川上弘美さんが「生きている申し訳なさ」という文章を寄せている。

 東日本大震災から10年の時間が経過して、最近、テレビなどでも多くの番組が作られているが、それに関連した寄稿である。
当時は当事者だと思ったが次第に傍観者になっていったということを書いたもので、大変良い文章だと思ったが、それでも微妙な違和感も残った。
  困ったことに、書いている川上さん自身が読んでいるひとに生じるだろう違和感をちゃんと先取りしている。この文に、「自意識過剰である」とか、「お前は自分を何様だと思っているのだ」という批判がくるであろうことを予測していて、文章に書き込んでいる。
 小林秀雄がどこかで書いていた「らっきょうの皮むき」という言葉を思い出す。自分というのを掘り下げていくと最後には何もなくなってしまうぞ、というような意であったと思う。
 「ポルトガルで暮らしている人が、まったく知らないペルーの人を愛しなさいなどという―これはバカげた話で、非現実的で危険です。こういう精神が行くつく先は、危なかしく怪しげなセンチメンタリズムです。・・われわれは、実は、直接知っている相手でなければ愛せないのです。(フォースター「寛容の精神」) 
 われわれは日本人というだけでお互いにわかったような気になってしまうのだと思う。もしも地震が10年前に韓国の沿岸でおき、日本にもある程度の被害はもたらしたが主として韓国に甚大な被害をもたらしたとすれば、もうそれは今の時点では忘却されていただろうと思う。
 日本人という同胞意識がわれわれの目を曇らせている側面があるのではないかと思う。
 9・11のことをもう我々はまずもう思い出さなくなっている。

 

フォースター評論集 (岩波文庫)

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