開戦前夜?

 最近、オリンピックをめぐって色々な意見が飛び交っている。そこでは今の感染状況でオリンピックが開催できるだろうかという一見科学的なあるいは客観的にみえる議論においても、その根底には日本はバカにされている、あるいは日本人の見方は無視されて、欧米の上流階級がしたいようにしているといった気分あるいはうっぷんが潜在しているのではないかと思う。何か嫌韓嫌中と似たようなものを感じる。
嫌韓嫌中は一部の方であると思うが、それが日本人のかなりに広がっているように思えて、ちょっと気になる。

 第二次世界大戦大東亜戦争?)開戦直前の日本では欧米列強にしたいようにされているといううっぷんが充満していたが、開戦とともに頭上の暗雲が一気に払われて、清々しい晴天になったような清明な気分になったといわれている。
 菅首相はオリンピックを強行にでも開催することで国威発揚になると思っているのかもしれない。一方、オリンピック中止を言っているひとの(一部?)は、それを中止させることで、日本が欧米と(あるいは中国とも)対等の一流国家で自分を貫ける気概を持っているのだということを示したいのかもしれない。

 昔、ある通産官僚の方が、日本はまだまだ駄目だと思って坂の上の雲を目ざして上っているうちはいいが、もう一流になったと思って慢心するようになるとすぐに坂の下の沼に落ちてしまうといっていた。
 わたくしは日本はアジアの辺縁の小国であると思っているので、最近の気分はちょっとあぶないなと感じている。