東大医学部進学過程(理科Ⅲ類)を受験するということ

 報道を見ているだけでは何だかよくわからないところがあるのだが、大学受験をめぐる事件がおきたようである。
事件をおこしたとされる高校2年の学生さんは東大医学部を目指していたが、成績がいま一つになって、ここからが理解不能なのだが、それで死のうと思い、さらに意味不明なのだが、死ぬときは罪の意識を抱いて死にたいと思い、今回の犯行に及んだのだと報道されている。

 まず分からないのが、この学生さんが医者になりたいと思っていたのか? 東大医学部に合格したいと思っていたのか?理科Ⅲ類(受験時の医学部進学過程)に受かりたい思っていたのかということである。
前者なら名古屋在住の人らしいので、名古屋周辺には医学部のある大学もいくつかあるはずで、何もわざわざ東京まで出てこなくてもいいはずである。
 しかし後者の東大医学部(理科Ⅲ類)にただただいきたいと思っていたということであれば、それがよくわからないことになる。

 高校でかなり成績がいい生徒がいると、学校側で東大理Ⅲ受験を薦めるというケースが少なからずあるらしい。東大理Ⅲ合格者が出た高校というのは(特に地方においては)かなりその学校の志望者集めには効くらしいのである。
実際、そのような学校側の勧めによって東大理Ⅲを受験し無事合格したが、そこで人生の目標は達成で、そこで燃え尽きてしまい、大学で留年を重ねるというケースも(少なからず?)あるのだそうである。

 わたくしの後輩で、自称家庭教師の達人というのがいて、頼まれた学生はすべて希望校にいれてきたという(その学生さんの趣味をきき、例えば、ある歌手が好きといわれれば、その歌手の歌は全部聴くとか、なかなか大変な努力も必要らしい)。
 しかし大学にはいって暫くすると親御さんがまたやってきて、「大学にはったら全然勉強しません。このままでは進学できそうもありません。また家庭教師をしてもらえませんか?」といってくるケースが少なからずあったのだそうである。
 「僕は大学受験のプロであって、その先のことには一切責任を負えません」と冷たく突き放したのだそうであるが、そもそも家庭教師を引き受ける時点で全員に「自分は大学受験のプロなので、志望校合格のために全力を尽くすが、大学に入った後のことは責任は持てません」と釘を刺して説明はしておくのだそうである。しかしその時点では、お父さんはニコニコして「もう何々大学に合格させていただければ、後はこちらでいかようにも」などといって、大学にはいった後のことなどまったく気にもしていない親御さんがほとんどであったのだそうである。

 さて、ここで何を言いたいのかというと、一つには「臨床をやるのに頭脳は必要なのか?」ということである。
わたくしは勤務医だったが、医師会の会合などで開業の先生などとお会いすると、開業されている先生がしばしば「医者に頭はいりません。患者さんにニコニコする能力さえあれば充分です。」などとおっしゃるのである。
間違いなく、臨床をやるのに微分積分はいらない。多分、三角関数もいらない。足し算・引き算・掛け算・割り算ができれば充分であり、それなら小学校の算数の範囲である。
 統計学は医学の臨床に必須だし、そこでは高度の数学が必要とされるが、医療統計学の専門家になるのでなければ、結果を理解できれば、日々の臨床には十分である。
 もちろん、基礎医学に進むのであれば、高度の数学も必要になる。しかし、東大理Ⅲに入学した者は、ほとんどが臨床医になる(わたくしの学年は少し異常で、卒業の時点では全員が臨床医学を選択し、基礎医学の方面にいったものは一人もいなかった。(後に臨床から基礎医学に転じたものは何人もいたが)。
 医学部の講義で印象に残っているのが、とにかくノーベル賞にこだわる先生が多かったことである。東大理三志向が継続すると今度はノーベル賞にいくのだろうか?

 ひょっとして、東大理Ⅲを志しているかたがこの記事を読まないとも限らないのでわたしの受験のことについても少し書いておく。もう60年近く前の話であるので大学受験の実態もまったく今とは異なると思うが・・・。

 1965年 現役で東大理三のみ受験して不合格。(この不合格は当然と感じて少しも驚かなかったが、その後に受けた駿台予備校の試験にも落ちたのは大きなショックだった。この試験は数回あり、次の試験では何とか下のほうに紛れ込めたが・・・)
 1966年 慶応大学医学部不合格 (一次試験には合格し、面談?(二次試験?)までは進んだものの不合格。
慶応経済学部 合格。
東大理科Ⅲ類 合格
 東京医科歯科大学にも願書を出していたが、東大に合格したため、受けず。おそらく受けていても不合格だったと思う。東大より一科目試験科目が多かったのだが(社会も2科目 東大は1科目・・現役の時は2科目だった。)、東大の受験科目にあわせ、世界史しか勉強していなかったため。
 少し、注釈をつけると、わたくしは高校1年の夏まで文科系志望で、そのため、受験で一番の得意科目は国語であった、一切国語の受験勉強はしなかったにもかかわらず、一番点がとれたのが国語だった。しかし慶応医学部受験では困ったことに、受験科目には国語がなかった。
 二浪する気はなかったので、慶応の経済は滑り止めに受けたのだが、さすがに文科系の数学は理科系にくらべればやさしく、おそらく満点がとれたのではないかと思う。社会と数学どちらかの選択だったように思うが、社会で満点をとるのは難しいだろうから、ここでは大いに得をしたと思う。

 わたくしの受験当時と今ではまったく受験の様相が違うだろうから、上に書いたことは今の受験生には何の参考にはならないと思うが(まだ当時は理科Ⅲより理1のほうが難易度が高かったように記憶している)、中学生や高校生が考える自分の進路や将来の職業選択などというのは、いたって根拠薄弱なものなのだから、将来医者になろうなどというのも、あまり思いつめないほうがいいと思う。
 しかし逆に、理Ⅲにはいることが目標となると、かりに合格してもその後が心配である。
国立大学のほうが私学より圧倒的に授業料が安いので(わたくしのころは月千円だったように記憶している)、家計に余裕がない家庭の子弟が進学できる先として国立大学という選択肢もあることは大事であると思う。しかし、東大の場合、受験難易度のもっとも高いのが理Ⅲであるというのが、どうにも腑に落ちない。東大受験は文系(文1、文Ⅱ、文Ⅲ、それぞれ法学部系、経済学部系。文学部系)、理系(理Ⅰ、理Ⅱ、理Ⅲ、それぞれ工学部系、理学部・生物学、医学系)に分かれるが、理Ⅲだけが特異で、ほぼ職業選択に直結している。勿論、医学研究者という道を選んでもいいのだが、現実には入学者の大部分が臨床医になっている。
 今度の事件をおこした高二の生徒さんは、医者になりたかったから東大理三を目指したといっているのだそうである。
 どうしてもその理屈が理解できないので、少しここに書いてみたが、やはり依然として理解できないままである。

 今、橋爪大三郎氏と佐藤優氏の「世界史の分岐点」という本(SB新書 2022年1月)を読んでいるが、その対談にこんなことが書いてある。
 橋爪:なぜ文系・理系を中学高校で分けるかと言えば、大学入試のことしか考えていないから。」
 佐藤:就活なんていうのは空虚もいいところです。大学の3回生から、そんなことに時間を、使っているなんて異常ですよ。
 橋爪:大学入試だとか就活だとか、そんなことはいくらでも取り返しがつく。
・・・
 橋爪;学生諸君がパッションを持ってないと駄目です。
 佐藤:そこで邪魔になるのが偏差値です。
 葉蹄:何かが根本的に間違っている。

 ひとのことは言えないので、一浪して東大に入った時に最初に頭に浮かんだのは、「もうこれで勉強をしなくてもいい。」ということだった。
 それで駒場の二年間、教科書は読まず、小説を読んだりする自堕落な生活を送っていたが、そこに降ってわいたのが《東大闘争》あるいは《東大紛争》である。この一年有半の経験があったので、東大にはいった元がとれたと思う。沢山の本を読み、人と議論し・・・。疾風怒涛の時だった。
 今の若いかたにはそういったものがなく、高校生には大学受験、大学生には就活位しか情熱を捧げる対象がないとすれば、どこかで歪んだ方向にいく若者がでてくるのも避けられないのかもしれない。
 そして日本の若者がそのような状態にあるということは、とりもなおさず日本の将来は絶望的に暗いのだと、橋爪氏も佐藤氏も口を揃えて憂いている。
(この橋爪氏と佐藤氏の本はあらためて単独でとりあげるかもしれない。)