読んで来た本(8)K・ポパー(1)

 ポパーを読むようになったのは前稿で書いたように村上陽一郎氏を通じてであるが、すぐにポパーは科学哲学という狭い領域におさまるひとではないことがわかってきた。

 ポパーの著作は「客観的知識」や「推測と反駁」などの主著も持ってはいるが、全部は読んでいない。「歴史主義の貧困」「開かれた社会とその敵」も同様。繰り返しよんだのは「果てしなき探究 知的自伝」で、最初の「岩波現代選書」がぼろぼろになってしまったので、岩波同時代ライブラリー版、岩波現代文庫版までもっている。
 それ以外では「より良き世界を求めて」であろうか? 様々な講演を収めたもので、そのためか読みやすい。
 たとえば、「書物と思想、ヨーロッパ最初の本」では、氏のいう「世界1」「世界2」「世界3」が簡潔に説明されている。「世界1」は物理的意味での物体の世界。「世界2」とはわれわれの人格的、主観的体験、希望、目標など思考の世界、ここまでは客観と主観という範囲に収まるであろうが、「世界3」というのがポパーが晩年に唱えた独特の考えかたで、われわれの思考がアウトプットされたもの、人間の精神作業の産物の世界を指す。つまり、われわれが文書を書いたり、絵画を描いたり、音楽を作ったりすることで作成され世界は、単なる個人の主観の産物ということではなく、その作品は人間の精神が生み出した世界であるが、ポパーによれば、世界2は世界1と世界3との相互作用で発展するということである。印刷術の開発の結果として書物というものが出来てくると、書物間の競争がおきるのだ、と。
 「文化の衝突について」という章では、次のようなことが言われている。
 ヨーロッパ文明の特徴と起源とは? それはギリシャ文明に起因する。それは地中海東方における文化との衝突から生まれたのだ、と。しかし、このような衝突はいつも流血と破壊をもたらすのではなく、時には実りゆたかな発展へのきっかけにもなるのだ、と。ギリシャ文化もローマ人との衝突を通じてローマ人に引き継がれた。そのギリシャ文化も、アラビア文化との衝突のあとのルネッサンスで復興した、と。
 
 ポパーは、西洋文明は多々非難さるべき点をふくむとはいえ、人類史上、もっとも自由でもっとも正しく、もっとも人間的で、もっともよいものであると思われると主張する。(ただし、自由は法によって制限されなければならないが。)

 争いのまったくない世界は人間の世界ではなく蟻の世界である。

 だが問題は残る。ナショナリズムという問題である。もっといえば民族国家というイデオロギーの問題である。すなわち、国家の境界線は民族が入植している領域の境界線と一致すべきであるという要求である(民族というのは国家によってつくられたものであるのに・・・)。
 ヨーロッパの住民は民族の移動の結果として生まれた。原住民、それ以前の移住者との衝突のすえに生まれた。
いたるところで、スラブとドイツの同化の痕跡が残っている。ドイツの貴族の多くはスラブに由来する。
「西側は何を信じているのか」という章が現下の状況では一番問題であろう。

「正しいのは誰か」ではなく「、要求されるのは「客観的真理への接近」であり、「予言者のポーズをとらないこと」であるが、ドイツの思想家はしばしば予言者のポーズをとって来た。
 啓蒙はイギリスの知的風土から来た。
 啓蒙家は決して人を説き伏せようとはしない。他者の批判や反論を待つ。なぜなら数学といった限られた分野を除いてはいからる証明もないことを知っているから。
 イギリスもヨーロッパも宗教戦争を経験している。寛容というのはその苦い経験に由来している。
 この議論はまだソ連が存在していた時代になされているが、共産主義という「宗教」に対し、ヨーロッパの基礎は「多数の理念」を持っていることにあるとしている。理念の多様性と多元主義
 しかし、合理主義は伝統なしにはありえない、と。

 最近のテレビを見ていると、現在のロシアの政治体制をロシアの人々が圧倒的に支持をしているように見えるのは官製の情報しか与えられていないからだということがいわれている。
 しかし、われわれもまた非常にモノトーンな情報しか与えられていない。何だかゾロアスター教善悪二元論の世界に戻ったみたいである。西側の最大の理念が多様性にあるとすれば、今、それが大きな危機にさらされているように思う。

 「文藝春秋」の今月号(五月特別号)に岡部芳彦氏の「ゼレンスキー「道化と愛国」」という文が掲載されている。
 それによると、ゼレンスキー氏は1978年のまだソ連が健在な時代にウクライナ東部に生まれたのだそうで、東部地区はロシア語を母語とするひとが多く、ゼレンスキー氏も大統領になってからあらためて、ウクライナ語を学びなおしたのだそうである。
 19歳くらいから主に政治風刺をする劇団を作り、主としてロシアで活動していたのだそうである。
 しかし2014年のロシアのクリミア占領を期に、ロシアから出入り禁止を言い渡され、それを期にウクライナに活動の場を移したのだそうである。
 当時、ウクライナ汚職が蔓延し、議会では議員同士が殴り合う政治的後進国で、それへの民衆の失望感がゼレンスキー氏を大統領に押し上げた一つの要因らしい。
 さて、この氏の経歴ひとつだけみても、現在の事態を単純化してみることが危険であることがわかる。西欧は多様であることによってその優位性を示せるのだから、今の西欧はロシアと五十歩百歩の状態になっているのではないかと危惧する。

 さて、ポパーはもちろん科学哲学者でもある。本稿では西欧の擁護者としてのポパーをみてきたので、次は科学の方法論を論じるポパーをみていきたい。