一般人

 最近、ネットやテレビをみていて、なにより不愉快なのが、「一般人」という言葉である。それの対になるのは「有名人」? そして「有名人」とは現在ではテレビに出てくる人ひとを指すのではないかと思う? テレビに出るなどというのも一つの仕事であって、それこそ「一般人」の人がしていることとなんら変わりないことであるはずなのだが、かれらは特別人であって、そうであるならあらゆることに独自の見解を持っていることを期待されているので、それに応えて、ぺらぺらと(へらへらと)滔々と(だらだらと)見解を述べる。わかりません。そのことについては、特に見解はありませなどという人はいない。
 最近の北海道の船の沈没事件にしても、「お気の毒だが運がわるかった」という以上の意見がでるはずもないのだが、「誰が悪い。体制が悪い。」と滔々と意見を述べている。

 誰かテレビの世界に出ている有名人が、普通のサラリーマンと結婚すると「一般人」と結婚したと報道される。そもそも結婚というのはプライヴェートなことだから、報道されること自体がおかしいと思うのだが、テレビに出ている人達はマスコミに報道されることが命であるらしいので、嬉々として出てきて「新しい命を授かりました。暖かく見守っていただければ」など言っている。

 もう60年くらい前に父がテレビにでていたことがある。昼のワイドショウというやつで、そこに「育児の相談コーナー」というのがあって、テレビ局のすぐの病院に小児科医として勤めていた父がひっぱりだされたらしい。驚いたのは夏休みで帰省などすると、地元のひとから父は「神様扱い」というのは大袈裟にしても、「大名医」あつかいなのである。テレビというのは本当におそろしいと思った 。

 テレビを「総白痴化」といったのは大宅壮一だったと思うが、われわれはどんどんと白痴化しているのであろう(白痴という言葉が変換されない・・・言葉狩り!)。

きみのみじめさは
内部に 大河をもっていないということに
尽きる
・・・
山あいの川が
見えはじめた
どこまでも 川はあった
自分のため だけに 流れている
ほんものの 川だった

・・・
テレビをきらっていては
生きてい行けない
(きみがじいっとがまんして
テレビを見る練習をした一刻一刻)
日本中がテレビを囲んで 放心している。
・・・

「川と河」 飯島畊一詩集 バルセロナ」部分