楠木建氏

 勢古浩爾氏が「続・定年バカ」(SB新書 2019)で、楠木建氏の「すべては「好き嫌い」から始まる(文藝春秋 2019)」を紹介して、橘木の好悪を紹介している。
 
 それは、「賭け事はまったくやらない。競技スポーツは嫌い。テレビはみない。」「徹頭徹尾室内派文科系」「組織の上下関係がいや」「歌舞音曲が好き」「集団行動とかチームワークがテンでダメ」「フェイスブックが好きになれない。」「人づき合いが億劫なタイプ」「そもそも多くの人々との『つながり』を求めていない」「私的な友達はそう多くない。というか、ヒジョウに少ない。」

 いいなあ! ほとんどわたくしと同じである。唯一の違いは「テレビはみない」で、昨年10月で後期高齢者になる前すべての職を辞してから、やることがないので食事中などぼんやりと見ている。つくづく大宅壮一は正しかったと思う。本当に、一億総白痴化!である。

 さてこちらは、
 1)賭け事はまったくやらない。⇒学生時代に麻雀はしたことはあるけれど。
 2)競技スポーツは嫌い。⇒とにかく運動神経がゼロで、小学校から運動会が死ぬほどイヤだった。
 3)徹頭徹尾室内派文科系。⇒医者というのは理科系に分類されるのかも知れないが自分が理科系と思ったことは一度もない。室内派というか時間があれば本を読んでいたい。
 4)組織の上下関係がいや。⇒さいわい小さな病院でずっと過ごしたので、この点にあまり煩わされることがなかったのは幸いだった。
 5)「歌舞音曲が好き」⇒楠木氏はバンドなどをやっているらしいが、こちらはまったく西欧クラシック派。65歳でチェロを習うという無謀なことを始めたが、74歳で挫折。
 6)「集団行動とかチームワークがテンでダメ」⇒とにかく「一緒に何かをやる」とか「徒党を組む」とかいうのがまったく駄目というか、面倒というか、とにかく一人でいたい。
 7)「フェイスブックが好きになれない」⇒確か10年くらい前に入ったと思うが以後全くほったらかし。友達を増やしたいなどという気がさらさらないのだから当然であろう。
 8)「人づき合いが億劫なタイプ」⇒こちらも社交的などというのと程遠い人間である。わたくしの私淑する吉田健一氏は、文明の根底にあるのは社交であるといっている。わたくしは非文明人ということになるのだろうと思う。
 9)「そもそも多くの人々との『つながり』を求めていない」⇒本当にそう。面倒なのである。その点、本を読むというのは、著者のほうから、こちらに『つながり』を求めてくることがない理想の関係である。
 10)「私的な友達はそう多くない。というか、ヒジョウに少ない。」⇒本当にそう。

 ということで、楠木氏という人に興味をもったので、今、氏の「戦略読書日記」(2013年 プレジデント社)、「「仕事ができる」とはどういうことか?」(山口周氏との共著)「宝島社 2019」「すべては「好き嫌い」から始まる 仕事を自由にする思考法」(2019 文藝春秋)などを読んでいる。
 その感想などもまた書くこともあるかも知れない。