山崎章郎「ステージ4の緩和ケア医が実践するがんを悪化させない試み」(新潮選書 2022年6月 新潮選書)

 山崎氏の本は以前「病院で死ぬということ」(1990年 主婦の友社 後に文春文庫 1996年)を読んだことがある。緩和ケア医療をおこなっている方で、1947年生まれとあるからわたくしと同年齢である。
今回これを読んでみようかと思ったのは、わたくしが氏とほぼ同じ病気の状況にあるからで、すなわち《大腸癌ステージ4で治療中》という共通点である。

 しかし、正直、困った本だなあというのが読後の感想である。

 まず氏の病気の経過を。
 2018年に腹部症状から大腸癌ステージ3を発見され腹腔鏡手術。手術は成功。術後再発予防のため経口抗がん剤であるゼローダを開始。しかしその強い副作用に悩まされる。何とか服薬は続けたが、半年後のCTで両肺に1cm径くらいの転移が複数みつかる。ゼローダは無効であったわけである。それで通常であれば、次にはステージ4の標準治療である皮下にポートをいれ、そこから定期的に抗がん剤を点滴していく治療にいくことになるが、氏はそれを断る。ゼローダの副作用があまりに強かったためである。
 そして、以後、副作用のない治療法を探っていく。まず試みたのが免疫療法。従来の免疫療法に免疫チェックポイント阻害剤を併用するもの。保険採用ではないので非常に高額。しかしこんなに高額な治療を(自分が緩和治療をしている患者さんのほとんどは希望しても経済的に継続していけない治療を)自分がしていることに罪悪感を感じ、若干の効果はあったらしいが1クールで中止。
 しかし問題はそこではないだろうと思う。現在の標準療法にくらべ有効性が低いから保険採用されていないという事実に論及しないのはフェアではないと思う。

 一般論として「がんの増殖を抑制できれば、がんとの共存は可能である」という。その通りで、抗がん剤とはまさにこの目的で使用されているのではないだろうか? しかし、氏は、「辛い治療、副作用で苦しみながら死にむかう患者さんも、少なからずいる。」として、「抗がん剤による治療は選択したくない患者さん」を対象に、「DE糖質制限ケトン食」「クエン酸療法」「丸山ワクチン」・・さらに「少量抗がん剤治療」などを提言し、今後、副作用のない「がん共存療法」を完成させていきたいとして本を結ぶ。
 氏の提唱する治療法に副作用がまずないことは間違いないと思う。だが、ここまで読めばわかるようにこの本の論拠は「自分はある抗がん剤でとんでもない副作用に苦しめられた」という氏自身の経験だけなのである。(一例報告)

 ということで、こんどはわたくし自身の一例報告をしてみる。
 2020年後半から何となく調子が悪かったが、その年に亡くなった母の相続の問題などがあり、経過をみていた。
 しかし、どうにも調子が悪いので、2020年の年末に血液検査。そこで強度の貧血が見つかりそのまま入院、輸血、内視鏡検査。それで二指腸潰瘍が見つかる。しかし潰瘍壁が固いなど、どうもおかしいとしてⅭTもとった。年末のため結果は年明け。年明けのCT検査報告書は「大腸癌・肝転移・・・」。
 さらに検査が必要ということで東大病院消化器外科に1月5日から23日まで入院。(検査よりも食事が不味いのがつらかった。)
 その最終診断結果は以下の通り。
 横行結腸癌:十二指腸浸潤 肝転移(右葉に2ヶ) 肺転移?(微小結節 良性の可能性大?)

 横行結腸癌の十二指腸浸潤というのはかなり珍しいらしく東大病院でも年に一人あるかないからしい。この浸潤が十二指腸潰瘍をおこし貧血の原因になっていたと推定された。
 肝転移はまったく症状はなくCTで指摘されるのみ。
 以後、東大消化器内科で、原則2週ごとの外来化学治療を現在まで継続中。すでに30回位を継続している。
 治療の効果:大体3ヶ月に一度CTで経過を見ているが、退院後最初のCTで原発巣が半分くらいに縮小していた。「ふーん、抗がん剤ってこんなに効くこともあるのだ」と思ったが、その後は原発巣の径は増大もせず、縮小もせず、そのままの大きさで経過している。
 通常の血液検査は、現在は軽度の肝機能異常(胆道系酵素の軽度の上昇)のみ。癌マーカーであるⅭEAは入院当初の15位から今は7~8で横ばい。
 おそらく化学療法治療を受けているものとしては、ややいいほうの経過なのだろうと思う。
 実は、去年7から8月にかけ腫瘍が縮小したので、手術できるかもという話がでてきた。手術は《原発巣切除、膵頭十二指腸切除、肝転移切除、肺転移?切除》という医療関係者ならわかるようにまあとんでもない大手術で、東大でも初めての手術といわれ、ゲッと思ったが、ICG検査という肝臓解毒機能の検査が悪く、手術に耐えないということになり、めでたく?化学療法継続ということになった。
 
 副作用:一番は手先・足先の痺れと知覚鈍麻で、細かい作業がしづらい。字を書く、ボタンをかける、パソコンの打鍵などが特に困る。しかし副作用で辛くて動けない、食べられないなどいうことはおきていない。治療中、一時的に口内炎などが起き、だるくなるが、副作用は比較的軽いほうなのだろうと思う。
 なお、最近、下腹部痛が時に生じるようになったが、普通のレントゲンでは問題なし、血液検査も問題なし。近々CTをとる予定。横行結腸の口側が長く腫瘍による通過障害が続いた結果、軽度の腸閉塞症状をおこしているのだろうということだが、食事を控え気味にしただけ既に現在では痛みは消失している。

 山崎氏が提言する治療のうち、丸山ワクチンについては、氏は1例の有効と思われる患者さん以外には有効例を経験していないとしているが、わたくしもご家族から希望があればすべて応じてきたが、有効と思われる症例は経験していない。

 中井久夫氏が「臨床瑣談」(みすず書房 2008年)で丸山ワクチンの具体的入手法を紹介し、一時、随分と話題となった。これを求めている人が実に多くいたわけである。駄目で元々という需要もあっただろうが、大きな副作用がなく他の治療法との併用可という点が大きかったのではないかと思う。山崎氏の提唱する「がん共存療法」もまず副作用はないだろうと思う。ホメオパシーだって副作用はないはずである。
 問題は《標準的な治療法を選択しないひとに「がん共存療法」を薦める》している点で、では「標準的な治療法を選択しないひと」というのがどういうひとなのかということである。標準治療をおこなったが副作用が強く継続できなかったひとであれば問題ないと思う。
 しかし氏の本では、暗に標準的な抗がん剤治療をするなといっているように読める。それも自分の抗がん剤治療で経験した過酷な副作用という一例のみを論拠にして。

 現在の標準的な大腸癌化学療法によって、それ以前は1年未満であったステージ4の予後は2~3年に延長している。
 もしもその延命プラス2年というという数字に意味があると考えるならば、抗がん剤治療を選択せず、「DE糖質制限ケトン食」「クエン酸療法」「丸山ワクチン」・・さらに「少量抗がん剤治療」などを薦めることには問題はないのだろうか?
 もちろん、氏のいうように抗がん剤治療には高価であること(わたくしの場合は月10万円くらい)などをふくめ多々問題はあるのはいうまでもないのだが・・。

 山崎氏はキュブラー・ロスを通じて緩和ケアの道に進んだ人である。緩和ケアあるいはターミナル・ケアは非常に大事な医療分野であると思うし、その点において、山崎氏に敬意を表するものであるけれども、この分野のかたに時に感じるのは死というものを過度に特別視しているのではないかということである。ロスは晩年、死後の世界を語るひとになってしまった。
 人が生まれ死んでいくということは特にどうということのない当たり前の出来事である。そこをなるべく苦痛なく過ごせるようにとすることは医療の大切な課題である。しかし、癌という病に対しては、われわれは長い敗北の歴史の中からようやく少しはそれを克服できることもある状況になるまでにはなって来ているわけである。(ムガジー「病の皇帝「がん」に挑む」 人類4000年の苦闘」(早川書房 2013年))
 わたくしは内科医であるが、内科の理想は手術などという野蛮なことはせずに薬一粒で病気を治すことである。いまのがんの医療はそれとはまだほど遠いところで足踏みしているが、もう百年くらいすれば、癌も一粒の経口剤で治る時代が来るのかも知れない。
 山崎氏のこの本は何だかそのはるか手前で白旗を上げてしまっているように感じられる。
 いま抗がん剤治療の分野でもっとも先端をいっているのは血液系の悪性腫瘍であろう。これはもともと手術不能であるから、薬で治すしかない。そして、現在この分野では根治が当たり前になってきている。わたくしの身内でも悪性リンパ腫での根治例を経験している。半年の入院が必要であったし副作用は激烈であったが、そして後遺症も残っているが・・。また友人にも根治例を経験した。
 身内の場合リツキシマブ(リツキサン)という薬が一番効果があったと思っている。この薬の開発以前であれば、根治は期しがたかったかもしれない。
 わたくしもベバシズマブ(アバスチン)という薬を使用している。この・・・マブというのはモノクロナール抗体(m・・ab)のことで、この系統の薬はみなべら棒に高価である。しかし従来の抗がん剤にしばしばみられた吐き気や倦怠感といった副作用はない。もちろん、大腸癌の場合この薬のみで根治が期せるわけではなく、他剤との併用であり、他剤の副作用は当然ある。しかし、この薬を含む大腸癌の化学療法が、現在のところは他の癌の化学療法に比べれば比較的有効な成績であることには、この薬も貢献しているらしい。

 大腸癌化学療法の成績はまだまだである。しかしそれは副作用ばかりの《百害あって一利なし》のものではないという情報を併せて提示するのでないと、このような本(特に医師が書く本)としては大きな問題を残すのではないかと思う。

 38ページ以降に「抗がん剤治療の現実」という項がある。「抗がん剤が有効だった患者さんの中には、病状が改善し、落ち着いた時間を持てる人もいる。副作用も軽く、治療を受けて良かったと思う人々も少なくないだろう。それでも治癒することは難しく、そのような小康状態も含めた数か月から数年の延命効果である。」「私もゼローダで苦しんだようにつらい副作用を体験する患者さんは少なくない。」「延命された時間のほとんどが、副作用との闘いの日々に費やされてしまう場合も多いのだ。」「副作用で縮命することも、また稀ではない。」

 おそらく根本の問題は「数か月から数年の延命効果」というものにはあまり意味がないか?ということである。化学療法なしでは数か月の余命が2年程度まで延長したということに意味がないかである。
 現在の標準的治療の成績については、言葉による記述のみである。図表などでの客観的成績は一切しめされていない。このような本を上梓するのであれば、もっと客観的な数字も提示しなければならないと思う。そういう数字は量しか表せず、治療の質は示せないということかもしれないが。

 ところで、山崎氏の患者さんは半数以上が「死後の世界の存在」を信じているのだそうである。そして、「私は、特定の信仰は持たないが、死後の世界は信じたいと思っている。」「死は、その姿かたちは変わっても、永遠の消失や喪失ではなく、この世から次の世界への通過点に過ぎないのだ、と思う。」という。
 まことに失礼ながら著者は宗教についてあまり真剣には考えたことはないのではないかと思う。死後の世界の話がどうしてすぐに宗教と結びつくのだろう。
 「怪力乱心を語らず」「未だ生を知らず、焉くんぞ死を知らんや」という方向だってあるし、「語りえぬものについては沈黙しなければならない」という方向もある。

 山崎氏は大腸癌ステージ4としては明らかに良好な経過である。2019年にステージ4を宣告されてから、2022年この本が上梓されるまでほぼ元気で活動されている。既に3年である。標準治療では予後平均30ヶ月(二年半)であるからそれを既に越えている。
 氏は泌尿器科系がんの症例の自然退縮例の経験を報告しているし、わたくしも肝細胞がんの自然消失例を経験している。しかし、1例だけでは何も言えないというのは医学のイロハである。それなのに氏は自分の経過を根拠に「DE糖質制限ケトン食」と称するものを微に入り細にいって紹介している。93ページなどは自分の朝食、昼食、夕食の内容・・イワシの水煮缶、温泉卵・・を紹介し、個々のエネルギー量・タンパク量・脂質量・EPA量などを綿密に計算している。何だか鬼気迫る感じである。もう少し冷静になってもいいのではないだろうか?

 氏の経験はまだ「症例報告」の段階であって、そこから一般論に飛躍してはいけないというのは医療行為の評価のイロハであると思う。そうは言っても癌という致死性の疾患は例外として、それが許されるということなのだろうか?
 氏はすでに「第Ⅱ相臨床試験」を念頭に準備を始めているらしい。
 氏はいう。「エビデンスのない試験的・挑戦的治療であることを、十分に理解した上で参加していただきたいと考えている。しかも、費用は自己負担になる。」「だから、「がん共存療法」の1期生は、自らの命をかけ、体を張った、未来への開拓者ともいえる。だが、成功すれば、同じ様な状況にいる多くの人々の希望につながるだろう。成功しなかったとしても、未来のために自らの意思で選んだ人生であることは間違いない。」
 「成功しなかったとしても」などと簡単にいってしまっていいのだろうか?