(池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」 「漂流 日本左翼史 理想なき左派の混迷 1972―2022」 講談社現代新書(2022) (6)

 p211から「過激化する新左翼」の章になる。
 p223に佐藤氏が「新左翼の活動が一線を越えた、ある意味で荒唐無稽とも言える先鋭化をしていった」のは「京大全共闘の滝田修の思想にあったと考える」としている。「滝田は、革命のためには既存党派とは別に「パルチザン」革命の正規軍とは異なる民衆自身による別動隊を組織してゲリラ闘争をしなければならないと説いていた」のだそうである。この思想?が結果的に高揚していた全共闘運動を暴力的な路線に外らし、それを衰退と解体に導いた、と佐藤氏はいうのだが、これは逆で、全共闘運動が行き詰まったので、暴力的に暴発するしかなくなっていったのではないだろうか?
 事実として、1969年に「共産主義者同盟赤軍派」が結成される。しかし計画した「大阪戦争」「東京戦争」は不発におわり、さらなる行動の準備のため、大菩薩峠で訓練していたところを察知され、53人が検挙される。それで日本一国での革命は無理と判断し、国際根拠地論に転じ、社会主義国家で赤軍派メンバーの軍事訓練をさせ、鍛えたうえで世界各地に送り、武装蜂起させ「世界同時革命」を実行することを目指した。その根拠地として当初はキューバを考えたが距離的に困難と考え、最終的に北朝鮮を選んだ。それで1970年3月に「よど号ハイジャック事件」がおきた。
 このハイジャック事件で覚えているのは、メンバーが声明?を出したことで、その中で「われわれは明日のジョーである!」といったところがあったことで、心底「馬鹿か!」と思った。「漫画しか読んでいないのか?」 とにかくこの辺りの話はすべてマンガである。わずか数十人の人間が世界革命をおこす??
 北朝鮮の指導者たちは彼らの主張を荒唐無稽として全く相手にしなかったとあるが、当然であろう。北朝鮮の指導者のほうが現実をよくみていて、よっぽどまともである。第一、ハイジャックメンバーは反スターリン主義を掲げていたのに、北朝鮮スターリン主義国家であることも知らなかったわけである。俺たちが改宗させてみせると思っていたのかもしれないが・・。
 だから、こういった動向など本書に記載する必要などないと思うのだが、そうもいかないのは、これが後の連合赤軍事件、浅間山荘事件、日本赤軍、テルアビブ空港乱射事件などに繋がっていくからであろう。
 別に「京浜安保共闘」から連合赤軍が生まれてくる。しかし「山岳ベース事件」で仲間同士で殺し合うという事態がおき、さらに官憲の追及を逃れる過程でおきたのが、あさま山荘事件である。これらの事件によって学生の運動は社会の支持を完全にうしなって下火になっていった。
 しかし、1972年5月30日、ロッド国際空港で岡本公三らによる、銃乱射事件がおき、26人死亡、73人が重軽傷という事件がおきている。犠牲者の多くは一般人旅行客である。を
 さて佐藤氏はいう。哲学・思想の分野では新左翼に優れたものがあったのは間違いないが、政治的には全く無意味な運動だった。
 池上氏は1968年のパリの5月革命はフランスを変えた(女性の地位向上など)が、日本の運動はそういうものを残せなかった、と。
 佐藤氏は「マルクス主義への敬意は1960年代のうちはまだ相当に強いものがあった」という。しかし1970年代はまた左翼の堕落の時代であったとしている。新左翼の運動は現代から振り返れば「ロマン主義」の一言で括れる、と。
 さて佐藤氏は同志社大学の学生部長であった野本真也教授から以下のようにいわれたと書いている。「政治には「大人の政治」と「子供の政治」がある。君たちがしていることは「子供の政治」だ。これは君たちを鍛えるし、悪いことではない。しかし、民青や中核派、あるいは統一教会は違う。これは「大人の政治」で、大人が組織的目的のために子供を利用する政治だ。われわれは教育的観点から君たちをそういう「大人の政治」からは守らねばならない。」 統一教会の名前がここに出てくるのが大いに考えさせられるが、統一教会が紡いでいる物語は何とも稚拙で、これを信じるひとがいるのが信じられない。マルクスが紡いだ物語というのも統一教会ほどではないにしても、今から見ればかなり稚拙なもので、かりに全共闘運動の高揚と挫折ということがなかったとしても、それを信奉するものは減少の一途をたどったのではないかと思う。
 全共闘が先鋭化していったことについて佐藤氏は「そういうもの」としかいいようがないという。革命運動においてはより過激なほうがより正しいとなってしまうから。それはそうかも知れないが、そもそも「革命運動」というものの有効性を信じるものが今どれだけいるだろうか?」
 そして佐藤氏は過激化を防ぐためには「官僚信じる化」することだ、という。現代の政治は官僚化しないとできないのだから、と。しかし日本共産党などまさに官僚化した組織なのではないだろうか? かつて佐藤氏は官僚として権力の内部にいた人だからそう考えるのだろうか?
 ここまでで「激動 日本左翼史」が終わるのであるが、一応、1972年から2022年までをあつかう「漂流 日本左翼史」もみることにする。