池田信夫 与那覇潤 「長い江戸時代のおわり 「まぐれあたりの平和」を失う日本の未来」(4) 環境―「エコ社会主義」に未来はあるか(ビジネス社 2022年8月)

 池田;ウクライナ戦争は長期的にはエネルギー政策に大きな影響を与えると思われる。欧州の電力はロシアの天然ガスへの依存を強めてきていたので、プーチンは欧州は強く出られないと踏んでいた可能性がある。今度の戦争で欧州は脱原発や脱炭素化を維持できなくなる。
 与那覇:日本の左派は2011・3・11以来一貫して原発ゼロを掲げている。しかし欧州ではⅭO2を減らすためには原発容認という動きがあり、今度のロシアからの天然ガス供給減でそれが、加速する可能性がある。
 池田:1997年の「京都議定書」で先進国のⅭO2削減目標を定めたが、欧州8%、アメリカ7%、日本は6%となった。しかしそれにはからくりがあって、この削減の起点が90年になっている。旧東欧圏は老朽化した工場から大量のⅭO2を排出していた。それを建て替えることで、すでに1997年までには8%の目標は達成できていた。これを思いついたのは当時ドイツの環境相であったメルケルさんらしい。議定書締結当時の日本のお役人は「目標は達成できないが、できたように見せるのが我々の仕事」と言っていたのだとか。(中国やロシアから削減枠を「買った」。)
欧州のエコ派は途上国は発展せず、今のままでいろと言っているようにみえる。
 池田:東京の気温は20世紀に3度Ⅽ上がっているが、このうちの2.3度は道路の舗装などの「ヒートアイランド現象」による。東京は今世紀末までにさらに2度あがるけれども、これは今の福岡になるだけ。
 与那覇:最近、妙に大型の台風が来たり、ゲリラ豪雨が増えたことを温暖化と結びつける人がいる。
 池田:IPⅭⅭはそれを断定はしていない。本気で脱炭素を目指すと毎年4兆ドルかかるという試算がある。これは世界のGDPの5%。これよりは「インフラ整備」のほうがはるかにコストがかからない。
 2019年のⅭOP25ではグレタ・トウーンベリが国連主催の会場で正式に演説したが、21年のⅭOP26では  会場にもいれてもらえず、外でデモ隊と叫ぶだけだった。極左化して国連にきられた。
 冷戦期の過去が正しく伝わっていないのは深刻な問題。チェルノブイリ原発事故の後も周囲住民の発癌は増えていないし、原子力の技術革新も日本では知られていない。

 ここら辺の話題についてわたくしはまったく無知な門外漢だけれど(ロシアが天然ガス大国であることも、欧州が大幅にそれに依存していたじとも知らなかった)この本を読む限り、原発反対という運動は、全然あさっての方向を向いていることになるらしい。
 「平和憲法をまもれ」以外の左の方々の錦の御旗が「日本は世界で唯一の被爆国」というもののように見える。以下は占領軍の巧妙な言論操作によるものかと思うが、原爆はアメリカが投下したものではなく、日本がおこしたおろかな戦争を懲らしめるために天誅としてなぜか空から降ってきたとでもいうような感じである。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という文言はどう考えても変で、「過ちを繰り返す」の主語はわれわれ日本人としか読めない。
 わたくしは広島・長崎への原爆投下に感謝している日本人は少なくないのではないかとひそかに思っている。「アメリカが原爆を投下してくれたので、われわれはようやく愚かな戦争をやめることができた、ありがとう」とでもいうような。

 戦後の核兵器に反対する運動は、1954 年 3 月のビキニ環礁付近でのアメリカの水爆実験によって大量の放射性降下物をあびたマグロ漁船の第五福竜丸の乗組員全員が急性放射線症に罹患し、うちの久保山愛吉さんという方がその年末に亡くなったことから始まった。しかし、その死因は肝炎だったという話をきいたことがある。放射線障害の治療のため大量の輸血を受けたらしい。肝炎ウイルスもみつかっておらず、輸血後肝炎が多発していた時代である。十分ありうることのように思うが、久保山さんは被爆により亡くなったことになっている。
 この事件により、原水爆禁止運動が始まり、原水爆禁止日本協議会が設立されたが、59年安保をめぐり保革が対立し、保守層が離脱したのだそうである。わたくしは、当初この運動に保守系も参加していたことを知らなかった。
61年にソ連が核実験を再開すると、これに反対すべきかどうかをめぐって、今度は革新陣営内でも対立が起こり、63年に分裂する。共産党系の原水爆禁止日本協議会原水協)、社会党・総評系の原水爆禁止国民会議原水禁)である。
 わたくしは原水協原水禁の対立は単なる政治運動路線の違いの結果であって、核兵器に反対する視点からのものとはまったく思ってはいなかった。要するにソ連をどう見るか?
 また原発反対の運動も、被爆国としての「原子力アレルギー」を利用した政治運動であって、本気で原発反対と思っているわけではないと思っている(要するに、今後の日本のエネルギー問題などは一切念頭にない。だから今度のウクライナの事態を受けて、今後のエネルギー供給の選択肢の一つとして原子力を考慮せねばならない事態になると「原発反対運動」も重大な岐路にたたされるのではないかと思う。

 池田氏の東京の気温と福岡の気温の論は無茶であると思う。並行して、福岡の気温も上がるのである。さらに赤道地帯も。
 わたくしも与那覇氏のいうように、最近、妙に大型の台風が来たり、ゲリラ豪雨が増えてきたりしているのは、温暖化と関係があるのではないかと思っている。(少なくとも関係ないとは言えないだろうと思う。)
 わたくしはグレタ・トウーンベリさんという人が嫌いで、最近あまり見なくなったのをうれしく思っている。正義漢ぶっている人間は嫌いだし、大人に利用されているだけということに気づかない頭の悪さも嫌いである。要するに、こましゃくれた子どもは嫌い。

 さて、CO2対策はどうしたらいいのだろう? わたくしにはとんと思いつかない。しかし、そもそもあらゆることに対策があると考えること自体が人間の傲慢であるはずで、われわれの周りには人間の力ではどうしようもないことはいくらでもある。
 多分、地震を起こさなくすることは不可能である。原発事故も地震でおきた。福島の原発は日本でも初期のもので、なにからなにまでアメリカからの輸入のもので、アメリカは設計の変更を一切ゆるさなかったらしい。アメリカの天災といえばハリケーンである。それは上からくる。だから大事な設備はなるべく地下におく。日本では地震津波である。津波は下を襲う。それで地下にあった電源設備がやられ、電源が喪失した。
 しかし、こういう話はおそらくすべて後知恵である。

 あらゆることに対応することは不可能であるとすると、人事を尽くして天命を待つというのも一つであるかもしれない。出来る限りのことをするが、それが及ばないことについてはあきらめる。
 これは、「悠然と滅びていく」という方向も一つの選択肢とするということである。人間はいくら死ぬのがいやだといっても必ず死ぬ。(人間五十年 下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり・・)
 人間は現在の生態系に適応して進化してきた。恐竜もある時、環境の変化についていけず滅亡した。地球上から人間がいなくなっても地球はびくともしない。人間よりはるかにタフな動物もたくさんいて、気温が5度上がるくらいではびくともしないものも多くいるはずである。

 そもそも人間がいなくなれば、ⅭO2排出問題はなくなるのである。(でもないのかな? 産業が排出するⅭO2以外にも動物の呼気にもⅭO2は含まれる。)

 何だかわけわからなくなってきたので、ここまでにして、次の第五章は「中国―膨張する「ユーラシア」とどう向き合うか」 どう向き合えばいいのだろう? あまり向き合いたくないな(笑)