大本営発表

 わたくしは戦後の生まれであるから、もちろん「大本営発表」を聞いたことはない。母の話などの伝聞、戦時期の記録などから間接的に知るだけである。それによると以下のようなものであったらしい。
 「昨年八月以降、上陸せる優勢なる敵軍を同島の一角に圧迫し激戦敢闘、克く敵戦力を撃砕しつつありしが、其の目的を達成せるに依り、二月上旬同島を撤し、他に転進せり」
 敗退でも、目的を達したので、別の目的の方に「転進」したという表現をしていたようである。

 最近のウクライナの「戦争」についてのロシアの報道についての報道をみていると、戦争における報道というのはいつでもどこでも変わりないのだな、ということを感じる。
 問題はその報道を聴いているひとが、どの程度、その報道を信じているのだろうかということである。日本の場合でも、「大本営発表」を聴いていたひとも100%それを信じていたわけではなかったようである。わが軍の被害をそのまま伝えるわけがないだろうという常識的な判断があり、報道を割り引いて聴いていたようである。
 ロシアの場合はどうなのだろう? 普通に考えればやはりある程度割り引いて受け取るのが普通だろうと思うのだが、わからないのが国民のプーチン大統領への信頼である。日本では東条英機は神ではなく単なる軍人であり、昭和天皇も作戦にはかなり口を出していたようではあるが、国民が天皇を天才的軍事指導者と思っていたということはないはずである。
 問題はプーチン大統領は大変なインテリであり、ロシアの歴史や宗教についての該博な知識と独自の見解を持つ人物であるとしても、一人の人間として常に間違える可能性を持つ存在であるということである。
 わたくしは西欧の近現代は「人間は間違える」という認識をつねに根底においてきたと思うので、それがロシアにおいても「ソ連」という「人間は真理を知りうる」という(わたくしから見ると)すでに過去のものとなった見方が否定され、われわれは真理には到達できないという西欧本流の見方へ転換しているのだろうと思っていたので、プーチン氏のような「真理を知る」と称する人間が出てきたことに驚いている。
 ロシアのひと(の多く)は自分のかわりにプーチン大統領が考えてくれているから大丈夫と思っているのだろうか? とすれば、その大本営発表も素直に受け入れているのだろうか?