与那覇潤 「平成史 1989-2019 昨日の世界のすべて」(文藝春秋 2021)(8)第6章 身体への鬱転 1998-2000 第7章 コラージュの新世紀 2001-2002
何だかなかなか進まないので、今回は2章をまとめて5年分。
与那覇氏は、1999年は「言語から身体へ」の転換が動き出した年であったという。すなわち「何が語られているか?」から「誰が語っているか?」へ。この年都知事になった石原慎太郎と自死した江藤淳。前者が肉体、後者が言語。
江藤氏という人は人間として今一つ成熟していないというか、情緒不安定というか、氏が晩年に勤めていた大学で職場をともにしたひとは、とにかくあまり一緒に働きたくはない人といっていた。氏の代表作は「成熟と喪失」であると思うが、実際の氏は、そこで描かれた孤独なカウボーイのように母に捨てられた感情が一生ついてまわり、それが夫人への過度の依存に転化していったというというようなことがあったのかもしれない。
それに対して石原慎太郎は肉体の人で、氏の都知事当選は身体の勝利を意味したとされているが、いきなりそこから宇多田ヒカルの話になるので混乱する。「First Love」なんて聴いたこともないからから、このあたりもパス。
さて江藤氏は60年安保で挫折して転向?したわけだが、要するに子供の遊びとしての政治ごっこに辟易し、もっと成熟した大人による政治を希求したということになるのかもしれない。
現実の政治をするのではなく、自分たちが掲げる政治目標の正しさに自分で陶酔することが「政治」の目標になるという倒錯である(これは最近の「国葬」反対運動にも強く感じる。そういう反対運動によって「国葬」が中止になる可能性など少しも信じてはいないが、「国葬」に反対するほど意識の高い自分をアッピールする機会にはなる。そういうのは決して政治運動ではなく、単なる「自己満足」運動だと思うのだが・・・)。
ここから小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」に話が移るが、これも読んでいないのでパス。
それで、話は柄谷行人氏の方へ。しかしここでも論はすぐに当時大バッシングをうけた加藤典洋氏の「敗戦後論」にうつり、さらに東浩紀のデビュー作、「存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』(新潮社 1998年)へとうつっていく。「存在論的・・」は持っていないが、「郵便的不安たち」(朝日新聞社 1999)は持っていた。しかし、あまり読んだ形跡はない。
少し読んだ形跡があるのは「東浩紀コレクション」という講談社から2007年にでたなんだか変な装丁の4巻本である。こいうものがそこそこ売れていたのだから、このころまでは、まだ「ポストモダン」も現役の思想だったのかもしれない。
「存在論的」とは「固有なもの」に迫ろうという考えかたで、ハイデガー―柄谷路線を指し、一方、「郵便的」とはデリダに由来する、「固有なもの」を否定し、《メッセージが誤読される過程》に創造性を見出すやりかたなのだそうである。もうベタな精神分析は死んだ!としたのだという。
わたくしが文系の人が書いたものを読んでいて時々感じるのは、フロイトは人間にかかわる真理を発見したとおもっている方が少なからずいるのではないかということである。理科系の分野に携わる人であれば、われわれは決して真理に到達することはできない。われわれが知り得ることの出来るのはすべて《仮説》までである、というのは当然の前提となっていると思うのだが、文科系ではまだまだそうなってはいないようである。
さて話題は飛んで、福田和也氏の「作家の値打ち」へ。ワインの品評のように、文学作品も点数で評価しようという試みである。わたくしもちょっとみてみた記憶があるが、石原慎太郎氏の作が最高位にランクされていて、それはないだろうと思った。
福田氏は執筆に4~5年かかった労作「奇妙な廃墟 フランスにおける反近代主義の系譜とコラボラトゥール」(国書刊行会 1989 ちくま学芸文庫 2002)でデビューし、それを江藤淳に見出されて世にでた人である。コラボラトゥールというのは、先次大戦においてナチスに加担したフランスの文人をさす。
文庫本でも500ページをこえる大著であるが、文庫本での「解説」を柄谷行人氏が執筆している。そこで柄谷氏は「福田氏が考えていることを理解できるのは私のような人間であって、いわゆる保守派の人たちではないという確信を抱いていた」といったなかなかのことをいっている。そしてまた「ラカン、フーコー、ドゥルーズ、デリダなどはもっぱらフランスから来た思想であるが、しかし数学的体裁や記号論などをのぞけば、戦前の反近代主義、日本でいえば「近代の超克」の運動の再現であった。なぜなら、みなハイデガーを重視していたではないかというようなこともいっている。T・S・エリオットもエズラ・パウンドもアクション・フランセーズから強い影響を受けていた、と。日本でも、西田幾多郎や京都学派などについては、戦争イデオローグであったことを無視して評価するか、戦争イデオローグであったということだけで、何も考えずにその業績は無視されるのだ、と。
ということで筋金入りの「文学者」である福田氏が「作家の値打ち」のような本を書くということは、もう文学の世界はいやになったという宣言もあったのであろう。事実、氏はその後、文学の方面ではまともな本をかいていないと思う。
「作家の値打うち」が出た2000年に、アマゾンが日本に上陸し、また2ちゃんねるが始まっている。Twitterも日本には2008年に来ている。
さて、p234に小泉首相がらみでどういうわけか、エンニオ・モリコーネの名前が出てくる。「マカロニ・ウエスタンなど、殺伐とした西部劇のスコアが本業」という註がついているが、これではいくらなんでもモリコーネさんに失礼だと思う。現在の映画音楽の分野の巨匠の一人とでもしなくてはいけないのではないだろうか? 「ニュー シネマ・パラダイス」「ガブリエルのオーボエ」・・・。「ニュー シネマ・パラダイス」の有名な旋律は息子さんが作ったものらしいが・・。
さて日本ではヨーロッパと違い、ヨーロッパにおいては志向された「現実化した中道左派」の方向が、日本では希求されなかった。右が「自民党+公明党」で固定し、左は「最左派の野党としての共産党」が定着した。日本共産党はソ連・中国の両共産党から独立する独自路線をとっていたにもかかわらず、冷戦の終結時にうまく舵をきって転換することができなかった。それは、大東亜戦争時、幹部のほぼ全員が拘束されていたため、非転向、妥協の拒否こそが党のモラルとなってしまっていたからである。
与那覇氏は、ベトナム戦争で共産側が完勝した1975年は「社会主義への移行が人類史の必然であり、それを止め ようとする資本家の断末魔のあがきがファシズムだ」というような歴史像が説得力を持ちえた最後の時代だったという。
わたくしが不思議だったのは、サイゴン開放の後、ベトナムからの報道がばったりと途絶えたことである。天国になったはずのベトナムからはどういうわけか、ボートピープルが逃げ出し、中越間に戦争がおき・・、一体なにがおきているのか? まったくわたくしにはわからなかったが、それまでも胡散臭く思っていたベトナム反戦運動の化けの皮が剥がれて来たのだと感じた。
当たり前かも知れないが、「ベトナムに平和を!市民連合」などという組織もあっという間に解散してしまい、あれだけ応援していて、ようやく解放された戦後ベトナムの復興に今後応援協力していくなどという話もどこからも聞こえてこなかった。要するに、ベトナム戦争までで左側のプロパガンダの賞味期限が切れたのだろうと思う。
さて、p235に護憲派として大塚英志氏の名前がでてくる。わたくしが大塚さんの本で一番よく覚えているのは「物語の体操 みるみる小説が書ける6つのレッスン」(朝日新聞社 2000 朝日文庫 2003)である。その第三講で、蓮實重彦氏の「小説から遠く離れて」が紹介されている。そこで蓮實氏が、井上ひさし「吉里吉里人」、村上龍「コインロッカー・ベイビーズ」、丸谷才一「裏声で歌へ君が代」、村上春樹「羊をめぐる冒険」などが同一のプロットでできていることを指摘してことが紹介されている。みな《天涯孤独の主人公が誰かに依頼されて宝探しの旅にでる。》話のヴァリエーションだというのである。丸谷氏の小説がこれにあてはまるかは微妙だと思うが(「エホバの顔を避けて」や「笹まくら」の孤独な文学青年路線、政治から兵役から「逃げる」小説・・「だめだらめておれはとけてゆくちひさな」・・から、市民を主人公とする小説への転換を図ったのが「たった一人の反乱」であり「裏声で・・」だったと思うが、時代はすでに丸谷氏の先にいってしまっていたと思う。それで「裏声・・」がこの蓮実氏の図式に当てはまるのだろうかについて、わたくしは疑問に感じる。丸谷氏は「たった一人の反乱」とか「裏声で歌え」というのが世相をとらえたもので、それゆえ流行語になることを期待していたのではないかと思うが、「面従腹背」とか「個人がひとりひとり起こす反乱」とかの穏健路線?はもはや時代に遅れていたとわたくしは思っている。)「コインロッカー・・」もいわれてみれば蓮実氏の図式に当てはまりそうな気がする。
そして、恥ずかしながら、実はこの本で蓮実氏の名前を初めて知った。何だか偉そうなものいいをする、上から目線の人だなあと思った。
これで第6章までが終わったので、次も「第7章 コラージュの新世紀 2001-2002」 「第8章 進歩への退行 2003-2004」の4年間を一緒にしてみていく予定。60ページもあるが・・。