与那覇潤 「平成史 1989-2019 昨日の世界のすべて」(文藝春秋 2021)(9) 第9章 保守という気分 2005-2006 第10章 消えゆく中道 2007―2008

 06年9月、第一次安倍内閣発足。その直前に8月15日に小泉首相靖国参拝
  小泉政権下ではケインズからハイエクへの構造転換がおこなわれたと与那覇氏はいう。
 このころから、ポスト冷戦で軽やかになったように見えていた論壇が「重くて暗い」論調へとトーンを変えていく。
 05年 藤原正彦国家の品格』。読んではいないが、何だか日本が変な方向に行こうとしているなあ、という感じがした。
 06年夏、晩年の昭和天皇靖国神社へのA級戦犯合祀に不快感を抱いていた旨が公表される。
第一次安倍政権が短命であったのは一部のコアな保守層には受けたが、大部分の国民の関心とはずれていたから。
この当時「ALWAYS 三丁目の夕日」が流行していた。わたくしは観ていないが、昭和への郷愁を描く時代錯誤な映画だろうと思っていた。
 わたくしは、日本人は拠り所がなくなると最後は落語の世界に回帰していく傾向があるのではないかと思っているので、この映画もその変奏であろうと思っていた。自分達の理想は落語の「人情」の世界、一方、お上に期待するのは「忠臣蔵」の世界?
 与那覇氏によれば、この時代に「中間派の消滅」が進行した。「月刊WILL」が創刊され、また「老若の分裂」が目 立ってきた。
 「月刊WILL」のような粗雑な話でアジテーションをおこなう雑誌がなぜ売れるのだろう? 売れるからこそ、この系統の雑誌が陸続と刊行されるのであろうが・・。今でも書店の一番いい場所に並んでいる。
 上野千鶴子氏の「おひとりさまの老後」も売れた。この本の内容については「若者に「ふざけるな!」と思われてもしかたがないだろう」と与那覇氏は言っているが、多くの年寄りからもやはり「ふざけるな!」と思われるはずで、わたくしから見ると、これは一時の流行語でいう「上級国民」の自慢話である。もちろん、自分からは「上級国民」とは名乗ってはいないが、自分が老後に不安を持たずにいられるのは、自分の優秀な能力のおかげであり、それにより社会の上層にのぼりことができたからである。わたしのように豊かで充実した老後をおくりたければ、今からではもう遅いかもしれないが、「もっとコミュニケーション能力を磨きなさい!」というようなことなのだろうと思う。それができない人には、「朕はたらふく食っている。残念だが、君たち無為に人生を過ごしてきて何らの特技を持たずにきた蒙昧な高齢者は飢えて死んでもらうしかない!」とでも言っているようである。上野氏が女性としてまだまだ男性社会である学問の分野で学者としての地位を登りつめるのに、どれほどの苦労をしたか。しかもフェミニズムという男社会に牙をむく学問の分野で闘ってきたことを考えれば、上野氏がその成果に強い自負を抱くのもまたやむを得ないのかも知れないが・・・。
 このころ左の論壇は「格差社会」批判一色だった、とされている。そんな中で、このような本を出すのはなかなかいい度胸ではあると思う。
 与那覇氏は、この本での上野氏は団塊ジュニアに極めて冷たいというのだが、とにかく「我が亡き後は洪水」とでもいうような、自分達は自分達で生きるから、お前たちはお前たちで「自己責任」で生きろ!という感じである。フェミニズムという少なくとも当時はほとんどが弱者であった女性に味方することを標榜した思想運動からでたひとが、こういう本をだすというのもわたくしには理解できない。(もうそろそろ出しても大丈夫と思ったのだろうか?)
 また、この頃出た姜尚中さんの「悩む力」もとりあげられていて、そこでは、姜氏はハーレー・ダヴィッドソンに乗って日本から朝鮮を駆け回るといった自分の夢を語っているのだそうである。成功した学者さんは自己の能力に酔って、普通の人がみえなくなってくるのだろうか?
 2000年の佐藤俊樹氏の「不平等社会日本」にはこんなことが結論部分に書かれているのだという。「ひとつのポスト戦後の途は、意外に思えるかもしれないが、西ヨーロッパ型の階級社会を意識的にめざすというものである。エリートはエリートらしく、中流階級中流階級らしく、労働者階級は労働者階級らしく・・・」これを与那覇氏は、「20世紀末ぎりぎりの時点では・・あるべき「社会」の全体像を提示する気風がいまだアカデミズムや出版界に残っていた」として評価しているのだが、いくらなんでも、この西欧的身分社会への回帰志向は無理筋でしょうと思う。日本には貴族がいない。だから、ノブレス・オブリージュもない。おそらく日本でこの「ノブレス・・」に相当するのが「武士は食はねど高楊枝」であろうが、もう武士もいない。(戦前まではまだ武士=サムライというエートスがかすかでも残っていたのであろうが・・。)
 中野重治に「豪傑」という詩がある。
 むかし豪傑というものがいた/ 彼は書物を読み/嘘をつかず/ みなりを気にせず/ わざをみがくために飯を食わなかった/ うしろ指をさされると腹を切った/ 恥ずかしい心が生じると腹を切った/ かいしゃくは友達にしてもらった/ 彼は銭をためるかわりにためなかった/ つらいというかわりに敵を殺した/ 恩を感じると胸のなかにたたんでおいて/あとでその人のために敵を殺した/いくらでも殺した/ それからおのれも死んだ/生きのびたものはみな白髪になった/ しわがふかく眉毛がながく/そして声がまだ遠くまで聞こえた/ 彼は心を鍛えるために自分の心臓をふいごにした/ そして種族の重いひき臼をしずかにまわした/重いひき臼をしずかにまわし/そしてやがて死んだ/そして人は 死んだ豪傑を 天の星から見わけることができなかった。
 侍というのはこういうもので(武士は食はねど高楊枝)、そしてそういう存在がなければ、中流階級も労働者階級もまた存在しえない。本当は政治家だって侍であらねばならず、学者もまた同じであるのだが・・。
 さて08年秋葉原で通り魔事件。確か休日だったように記憶するが、その日お茶の水にいて、近接遭遇した。
これは「ネット上での自己承認をめぐる病」がもたらす事件の嚆矢だったのかもしれない。今まではマスの中に埋もれて世にあらわれることなど決してなかった平凡な「個人」が何らか発信する手段を持つようになったことの帰結であることは間違いない。
 さて、わたくしは読んでいないが、2008年に宇野常寛さんが「ゼロ年代の想像力」という本を出していて、セカイ系と言われる作品を内向きのナルシズムと批判しているのだそうである。
 大体このころから?「世界観」という言葉を耳にすることが多くなり面食らったものである。マンガとかアニメとかの主人公の外界への見方を世界観というらしかった。トルストイドストエフスキーの世界観というのならともかく、たかがマンガの主人公の「世界観」? とすれば世に住むすべての人々がひとしく自分の世界観を持つということになる。わたくしが大嫌いな歌である「世界でひとつだけの花」が行き着くとこうなるわけで、ひとそれぞれの個性を伸ばすなどとおだてた結果である。ひとそれぞれの個性などというのは、多くの場合、耳が長いとか口が大きいとかと特にかわるところはないものであるのに。
 2006年、梅田望夫さんの「ウェブ進化論」。実は当時わたくしの書いていたブログの記事が梅田氏の目にとまり、感想をいただいたことをきっかけにブログを「はてな」に変えた。その前はmixiだった?
 わたくしが当時ホームページと呼ばれていたものを始めたのは野口悠紀雄氏の「ホームページにオフィスを作る」(光文社新書 2001)に扇動されてであるが、野口氏の本のはじめの方に「誰が見るホームページか?」という章があり、「全世界に向けて情報を発信したが、誰も見なかったということは、十分にありうる」「そうなる可能性が非常に高い」と書いてある、第三者に読まれる可能性はほとんど想定されていない。「ネット上に自分用のデータベースを作る」ことが最大の効用とされている。
 それでまだそのころは「ホームページ作成ソフト」などというものがあって自作する時代だったので、苦心惨憺してホームページを作成し、ぼちぼちと自分が買った本の目録やその要旨・感想などを載せることをはじめた。ある程度それが溜まってくると確かに実に便利で、職場から自分の書斎をリアルタイムで覗ける感じで、家に帰ったら確かめようということが大幅に減ってきて仕事の効率が大幅にあがった。
 しかし時代が下ると、検索エンジンの進化によって、他人に読まれる可能性もゼロとはいえなくなってくる。
 梅田氏は「ウェブ進化論」(ちくま新書 2006)で「ロングテール現象」ということを論じている。本を売れた本から順に並べていくと、年に10万冊以上売れる本から、1冊売れるか売れないかの本まで延々と並ぶ。長い尻尾、ロングテールである。従来はほとんど人の目に触れることさえなかったその尻尾の方の本が検索エンジンの進歩によりそうではなくなってくる。人の目にふれるチャンスがでてくる。氏はその進歩によって今まで人の目に決して触れることのなかった、また「これまでは言葉を発信してこなかった」「「面白い人たち」の言葉が誰かに届く可能性」がでてきたことを指摘し、そのことに多大の期待をよせていた。
 しかし実際にネットの世界でおきたことは、発信した人がそれが他人の目にとまらないと、自分が無視された、疎外されたといった被害者意識を持つようなことが出て来たことで、また自分のネット上での見解が批判されると、自分の全人格が否定でもされたかのように怒り狂うひとも出て来たことで、梅田氏はそのことに嫌気がさして、ブログの世界から引いてしまった。
 ネットの世界が自己の承認欲求発揮の場となってしまったわけで、秋葉原の事件は、そういった〈自己承認への欲求〉が犯罪と結びついた最初期の事例であったのだろうと思う。
 さて、2008年9月、麻生政権。同7月にはアメリカで「ダーク・ナイト」公開。あまり映画を見ないわたくしもこれはDVDで見た記憶があるが、気色悪くなって途中でやめてしまった。この題名、「暗い夜」と思っていたら「暗黒の騎士」なのであった。
 2008年11月、米国大統領オバマ氏に。
 2008年10月、水村美苗氏の「日本語が亡びるとき」。これは読んだ記憶があるが、随分と大袈裟な物言いの本だと思った。
 年末には中谷厳氏の「資本主義はなぜ自壊したか」が出版。この方、ある時期には「いけいけどんどん」陣営の旗を振っていたのに、リーマン・ショックで目が覚め?転向したひとだと思う。当時、この人の反省の弁を読んで、随分と軽いひとだなあと思った記憶がある。全く、武士とは遠いひとだと思った。典型的な町人?? 町人でももっと矜持を持っている? 自分が間違っていたと思ったら、それを詫びて後は沈黙するというのが人の本来のありかたで、反省してまた新たな提言をするなどというのは・・。こういう人は何を言っても信用されないだろうと思う。「転向」の問題だろうか?
 麻生政権は極端に支持率が低下して(支持していたのはアキバ・ボーイだけ?)、鳩山政権へ。その高支持率もすぐに低下するが、管政権でふたたび回復。ことろが、消費税増税の発言でふたたび低下。鳩山氏は「普天間基地の県外移設」でつまずく。
 ここでなぜか内田樹氏の話へ。氏の処女出版の「ためらいの倫理学」で《非核3原則など「そんなことは、みんな(嘘と)知った上でやっていた」》と冷や水を浴びせたというのだが、「非核3原則」など嘘八百と日本人の99%は当時でもすでにそう思っていたはずで、内田氏の指摘は当時の常識を述べただけで、氏の本が冷や水になったとは到底おもえない。またこの氏の本によって日本人の《非核3原則》への見方が変わったということもまったくないはずである。この辺り、与那覇氏が内田さんになぜ点が辛いのがよくわからない。
 私見では、「ためらいの倫理学」と「「おじさん」的思考」「日本辺境論」「私家版・ユダヤ文化論」は多くの本を出す内田氏の本のなかでも最良の著作であると思う。「ためらいの倫理学」の中の同名の論文はカミュの「異邦人」論であるが、今までの「異邦人」論とはまったく次元の異なる、とても射程の長い論である。
 与那覇氏は内田氏を「脱力主義」とするが、それも違うと思う。内田氏は「審問の語法」で語ることをしないと言っているのであって、決して論争相手の議論に肩透かしをくらわせることを薦めているわけではない。氏はきちんと正面から物事を論じるひとである。また決して「ゆるい」姿勢のひとでもない。最近の内田氏の書くものは精彩を欠くが、おそらく氏が現実の政治に関わったため、筆をおさえざるをえないためではないかと思う。
 氏は上野千鶴子氏に足払いをかけてもいないと思う。冷やかしているのでもなく同情しているのだと思う。逆に内田氏が評価する加藤典洋氏や村上春樹氏は断罪をさけていると与那覇氏はいうのだが、これは論じる対象を選んでいるからそう見えるだけなのではないだろうか? 加藤氏は断罪の人でもある。「天皇の戦争責任」など実に苛烈である。
 内田氏の「村上春樹にご用心」(アルテスパブリッシング 2007)に収められた「お掃除するキャッチャー」で、氏は「雪かき仕事」ということを言っている。「家事はとても、とてもたいせつな仕事だ。」 おそらく内田氏のフェミニズムへの反感は、フェミ陣営の人々が「女性が家事などという一切生産性のない仕事を押し付けられて、学問といった人類に大きく資する分野に参加する可能性から排除されている」として、男のしていることには全部女も参加したい」としている点にあるのだと思う。
 ここまで書いたので、もう少し続けると、歴史上、高名な女性の作曲家はほぼいない。(画家はいる) また高名な女性数学者もほとんどいない。これはおそらく脳の構造の男女差による。しかし、フェミの陣営の方々はこれを絶対に認めない。そういう議論はナチスドイツのユダヤ人差別と同根のものであって、断じて許せないという。もちろん自然科学の分野においてもS・J・グールド「人間の計り間違い」など、科学の名による人種差別・男女差別を告発した本はたくさんあるが・・・。
 「村上春樹にご用心」には30~40代の女性に薦める一冊」として「神のこどもたちはみな踊る」があげられている。この連作短編集はおそらく村上氏の最良の作で、30~40代の女性だけでなく、あらゆる世代の男にも女にも勧められるものである。内田氏は「かえるくん、東京を救う」が一番すきといっているが、「アイロンのある風景」「神の子どもたちはみな踊る」「かえるくん・・」みなほとんど完璧である。
 「ねえ三宅さん」「なんや?」「私ってからっぽなんだよ」「そうか」「うん」・・(「アイロン・・」) 「風が吹き、草の葉を躍らせ、草の歌をことほぎ、そしてやんだ。/神様、と善也は口にだして言った。(「神の子どもたちは・・・」)「ぼくのことはかえるくんと呼んで下さい。・・(「かえるくん・・・」) 「「あなたはうまく死ぬ準備ができているの?」「私はもう半分死んでいます、ドクター」・・・(「タイランド」)
 那覇氏の内田氏への評価は少しばかり辛過ぎるようにと思ったので、一内田ファンとして、以上、少し擁護の弁を書いてみた。
 さて本論に戻る。
 宮台真司氏の「14歳からの社会学」が論じられるが読んでいない。東氏も宮台氏も内田氏も求めたものにたどり着けないので、結局は現状を前提とし、あきらめてゆくしかないという心境に達していた、と与那覇氏はするのだが、内田氏は「大きな物語」を希求する路線とははじめから別の路線にいる人ではないかと思う。
 さて現実政治にもどって、東国原英夫橋下徹・・そして菅直人。わたくしは市民運動出身の政治家というのは市川房江さんをふくめみな大嫌いで、偽善者ばかりと思っている。あるいは自分に甘く、敵には厳しいひと。橋本氏については地方自治体の長をしている時の記者とのやりとりなどを見た限りでの印象だが、よく勉強している人だなという感想を持った。
 以上で第Ⅱ部がおわり、次は第Ⅲ部「成熟は受苦のかなたに」。
 その第12章は「近代」の秋 2011―2012 第13章は転向の季節 2013-2014 平成の終わりが大分近づいて来た。