習近平氏

 習近平氏の続投が決まり、今後ますますその権力が強化されるらしい。
 その報道を見て感じるのが、そのような独裁色が強い国家が旧共産国&現(自称?)共産国に多く見られるということである。
 中華人民共和国共産党の一党支配の体制にあるが、その政党は現在でもマルクス・レーニン主義に基づく党なのだろうか?
 朝鮮民主主義人民共和国マルクス・レーニン主義に基づいた政治が行われていると思う人は今ではほとんどいないだろうと思う。しかし半世紀前には朝鮮民主主義人民共和国こそ地上の天国、金日成の仁政があまねくいきわたるわれわれが目指すべき理想的国家とするひとが沢山いた。
 マルクス・レーニン主義に基づくと称する国家が悉く個人崇拝的な独裁国家と化していったということは偶然なのだろうか?
 マルクスはドイツ人であるが、ドイツ人は比較的独裁への親和性を持つ民族だと思う。結局われわれが西欧の思想と思っているものはフランスと英国由来の思想であり、ドイツとイタリアは第二次大戦の敗戦に懲りて西側思想にとりあえずは帰依しているというのが現状なのではないだろうか?
 むしろ個人独裁のほうが長い歴史をみれば普通の統治形態であるのかもしれないし、マルクスが唱えたのもプロレタリアートの独裁である。「プロレタリアート独裁」というのは《プロレタリアートという多数の人間が独裁する》というそのこと自体がすでに語義矛盾となるが、結局は《プロレタリアートの利益を最もよく知る前衛が支配する》という形態に行きつく。
 投票の結果で支配者が決まるというのは不安定きわまりないやりかたであるので、かつては、途上国は独裁的やり方で発展を目指し、ある程度発展した段階で民主主義的形態の国家へと転換するのがよいというようなことがいわれていたこともあったように思う。
 現在75歳であるわたくしもずっと西欧的価値観をほぼ自明のものとして生きてきたわけで、《死にたいやつは死なせておけ俺はこれから朝飯だ》というのは吉行淳之介氏の言葉だったと思うが、俺は俺、あいつはあいつ、俺は自分のしたいようにするから抛っておいてくれ! というのが民主主義という制度の一番の根にある感情なのだと思う。それに対して、そんなのは利己主義の極致である! 他人の苦痛に共感できてこそはじめて人間らしい人間であると!という方向もまた当然でてくるわけで、共産主義国家を目指す人たちの根にあるのはそういう感情だと思う。しかしそれが実際には最終的に個人独裁に行き着いてしまう。
 プーチン氏にしても、帝政ロシアソ連の歴史やロシアの宗教についての半端でない知識も持っているわけで、習近平氏もまた同じで氏なりの理想を持っていて、短時間でそれを実現するためには強権が必要ということなのではないかと思う。
 われわれはジャンジャックルソー対ヴォルテールという歴史を持つ。理想主義者対現実主義者という問題である。とにかくヴォルテールの思想は人を鼓舞しない。ルソーとは正反対である。
悪名高いポルポト政権だって、それを指導したポルポト氏もやはり理想主義者であり、マルクス由来の原始共産制を理想としていたポルポト氏が今から50年ほど前にカンボジアに作った政権である。が、わずか4年間で人口の20~30%の200万人前後が死んだ(殺された)と言われている。思想は人を殺す。
 因みに、中国の文化大革命での死者は数百万~1千万人、第一次5ヶ年計画では数千万人といわれているようである。スターリンの粛清では100万人程度らしいから、中国の毛沢東政権下の出来事に比べればスターリンのしたことなど可愛いものだということになるのかも知れない。
 思想は人を殺す。フランス革命での死者は100万人にはいかないらしいが、とにかく理想を目指す方向の運動は人の血を沸かして目を見えなくさせる。
 そういう中で、習近平氏の権力強化が無血のうちになされたということは進歩なのかもしれない。
 その中国からの報道を(あるいは北朝鮮からの報道も)見て、とにかく嫌なのが大会に参加している人間がみなトップの報告に万雷の拍手を送っていることである。数千人はいそうな参加者が全員力の限りの拍手を送っている。《俺はやだね》といった風にそっぽを向いている人、拍手をしていない人はいない。そんなことをすれば、身に危険が及ぶのかも知れないが、上海の封鎖などには抗議している市民もいるのにと思う。
 やはり《死にたいやつは死なせておけ俺はこれから朝飯だ》というのがいいなと思う。他人は他人、自分は自分で生きていける社会が、わたくしには望ましい。