ネクタイ
中学・高校と制服だった。一浪した時は、親が買ってくれた洋服を着ていたが、ネクタイを締めた記憶はない、大学に入って親が嬉しがって作った制服を少しの間は着たが、すぐに着なくなり、後はラフな格好で通していた。
医者になり研修をはじめた時に指導医から白衣を着ている時はネクタイもしていた方がいいよといわれ、以来、70過ぎて現役を外れるまでは、50年以上、通勤時も仕事中もネクタイをする生活だった。
まあ、それだけでいいのだから女性に較べればずっと楽なのだが、ネクタイというのがなぜ必要なのかわからないままこの年まで来た。だからネクタイを自分で選ぶ場合の基準はただ一つ、目立たないこと。
そんなところで目立つと人中の孤独が楽しめない。何が人中の孤独だといわれそうだが、都会のいいところは匿名性で、わたくしが田舎になじめないのはそこではお互いが顔見知りで相互に監視しあっているというような偏見を思っているからである。
最近はネクタイへの強制が緩んできたようで(小池さんがクールビズとか言い出した辺りから?)ネクタイをしない人も増えてきた。ネクタイ屋さんも大変だろうなと思う。しかし、大正時代の男がみんな帽子を冠っていたが今ではそういう人をほぼ見なくなっている、それに比べればましで、公人は公の場ではネクタイをし背広を着ている。バイデンさんもプーチンさんも(人民服をきていないときの)習近平さんも(毛沢東さんの背広姿というのはあっただろうか?)。
わたくしは数年前からようやく裃を脱いで一私人になることができたわけである。
「えー今日は〇〇の創立☓☓年にあたり、かくも多くのかたに御参集いただきましたことまことに慶賀にたえません。・・」なんてことを言わされることもなくなった。
男にとって、自由とはネクタイを締めなくてもいということなのかもしれない。さて、女性は現役を退いても相変わらず化粧をするのだろうか?
「女は鏡の前でのみ素顔になる」というのは堀口大学だったか?