本当の事を言おうか

 谷川俊太郎に「鳥羽」連作という詩があって、その最初の「鳥羽 1」に
 本当の事を言おうか/ 詩人のふりはしてるが/ 私は詩人ではない
 という部分がある。第二連の3行である。
 わたしがこの「本当の事を言おうか」を知ったのは、大江健三郎の「万延元年のフットボール」のどこかの章の頭にこれが引用されていたからで、次に、三島由紀夫中村光夫との対談で、この「本当の事を言おうか」が日本の文学を駄目にしてきたというようなことを言っていたのを読んだときである。谷川俊太郎の詩自体は最後に読んだ。
 第1連は「何ひとつ書く事はない/私の肉体は陽にさらされている/私の妻は美しい/私の子供たちは健康だ」である。これは谷川氏が、その詩にそう書いているというだけのことであって、本当のことを書いていることは一切保証されていない。だからこそ「本当の事を言おうか」の二連に繋がるのだが、だれも谷川氏の個人的な生活のことなどには関心をもたないかもしれない。

 氏の「誕生」という詩の冒頭。「頭がでかかったところで赤ん坊がきく/「お父さん生命保険いくら賭けてる?」/あわてておれは答える「死亡三千万だけど」/すると赤ん坊が言う/「やっぱり生まれるのやめとこう」/妻がいきみながら叫ぶ/「でも子供部屋はテレビ付きよ!」・・・/
 これは読んで楽しい大人の童話であって、誰も本当のこととは思わないが、それでもいささか身につまされるところもあるのかもしれない。
 さて、今日は、わたくしの誕生日で、谷川さんの初めての詩集「二十憶年の孤独」の同名の詩の一節をなぜか思い出した。

 万有引力とは/ひき合う孤独の力である

 谷川さんは三好達治に見出されて世にでたのだったと思う。
 晩年の三好さんはこんな詩を書いている。
 -さて諸君 まだ早い この人物を憐れむな/ 諸君の前でまたしてもかうして捕縄はうたれたが/ 幕は下りてもあとはある 毎度のへまだ騒ぐまい/ 喜劇は七幕 七転び 七面鳥にも主体性-けふ日のはやりでかう申す/ おれにしたつてなんのまだ 料簡もある 覚えもある/ とつくの昔その昔 すてた残りの誇りもある・・(「駱駝の瘤にまたがって」部分)
 なんと見事な七五調のみえだろうか。

 誰も「本当のこと」など聞きたいとは思っていない。
 だから、以下のような詩が書かれる。

 だまして下さい言葉やさしく
 よろこばせて下さいあたたかい声で。
 世慣れぬ私の心いれをも
 受けて下さい、ほめて下さい。
 ああ貴方には誰よりも私が要ると
 感謝のほほえみでだまして下さい。

 その時私は
 思いあがって傲慢になるでしょうか
 いえいえ私は
 やわらかい蔓草のようにそれを捕えて
 それを力に立ちあがりましょう。
 もっともっとやさしくなりましょう
 心ききたる女子になりましょう。
 
 ああ私はあまりにも荒地にそだちました。
 飢えた心にせめて一つほしいものは
 私が貴方によろこばれると
 そう考えるよろこびです。
 
 これは永瀬清子さんの詩「だまして下さい言葉やさしく」の前半部分で、谷川俊太郎選の「祝婚歌」にも収載されている。

 看護師さんの結婚祝いなどに「祝婚歌」を贈呈していたのだが、どうもこの詩はうまく理解されないようであった。「だまして下さい」ってどうして、おかしい、といって看護師さんたち、みなけらけらと笑うのである。そんなことで患者さんの気持ちが解るの?といささか心配にもなるのだが。

 さて、わたくしも76になった。

 われわれにも 若くて どうしようもなく
 おっちょこちょいの時代はあり

 それはつい先日まで続いた感じだが
 ようやく落ち着いた――と思ったらさにあらず

 疲れただけだったんだ
   (辻征夫「ラブホテルの構造」部分)