サムライとナデシコ
何だか近々野球の国際大会があるらしく、サムライ・ジャパンがどうしたというようなことをテレビで言っていた。
男がサムライで女がナデシコというのはいかにもステレオタイプな分け方である。これは男女の間に何らかの差があることを公認するということであると思う。そもそも染色体に違いがあるのだから、違いがあるのは当たり前であるのだが・・・。
歴史上、女性の高名な作曲家とか数学者というのはあまりいないのではないかと思う(画家にはいる)。作曲するとか数学の定理を考えるというのは紙と鉛筆さえあればできるのだから、かつて女性の社会的地位が低かったというのは、それを説明するものにはならないと思う。
「乙女の祈り」を作曲したバダジェフスカは女性だったと思うが、これは小品である。ソナタ・協奏曲・交響曲といった大きな構想を要する曲を後世に残した女性はクララ・シューマンなど数えるほどしかいないように思う。現在ではグバイドゥーリナなどであろうか? でも現代ロシアの作曲ならやはりわたくしはシュニトケの方が好きである。そのコンチェルト・グロッソ第5番などのハチャメチャさ! それが「きよし この夜」から始まる!
男性が抽象的なものに、女性は具体的なものに秀でているというのがわたくしが抱いている偏見である。
サイモン・バロン=コーエンというひとの書いた「共感する女脳、システム化する男脳」という本がある。(NHK出版 2005年) その最後に「目から心的状態を読み取る」テスト、システム化指数・テスト、自閉症スペクトラム指数・テストという三つのテストが付されている。(自閉症というのは過剰な男性脳の症状というのが本書の主張のひとつ。)共感指数でいうと、日本人の男性31点、女性が36点のテストのテストでわたくしは44点。女性以上に女性的ということになっている。システム化指数で12点(男子平均28点、女性平均18点なので、これまた平均の女性以上に女性的)。
人間を国語人間と数学人間にわけると、自分では断然国語人間だと思っているのだが、医者というのはどちらが向いているのだろう? 今の受験体制では理科系に分類されているのだが。