岡田;20世紀以降の音楽を語る上でジャズは欠かせない。
片山:ジャズの起源にはセミ・クラシックがしみ込んでいる。ドイツ本流のクラシック音楽こそが文明という考えは第一次世界大戦前後に無効化されていたということに、多くのひとはジャズで気づいた。
日本では近衛秀麿が「英米本位の平和主義を排す」といって、自由主義や民主主義はアングロサクソンのご都合に過ぎないとした。日本とドイツの挑戦は完敗に終わったが、今ロシアと中国が同じことをしようとしている。
岡田:本当は第一次世界大戦で西洋クラシック音楽を支えてきたヨーロッパ・ブルジョア・エリート主義は終焉を迎えている。
片山:ガーシュウィンは西洋的なエリート主義を終わらせた。
岡田:さてでは第二次世界大戦から現在まで。
片山:旧時代がこきおろされるようになった。日本でも前衛音楽を扱う「20世紀音楽研究所」ができた。
岡田:原水爆実験・宇宙開発の影響?もあるかもしれない。
片山:フルシチョフは前衛美術を批判した。そこに西側とは異なる価値観が存在していた。しかし一方日本では大阪万博で前衛が頂点に立った。
岡田:岡本太郎がその象徴。シンセサイザーの出現は大きかったと思う。
片山;松本清張の新聞小説「砂の器」が問題。主人公は前衛音楽家。電子音で人を殺す。ここには左派の松本清張世代の前衛(音楽)嫌いが露骨に出ている。前衛音楽は資本主義の爛熟によって生じた退嬰の表れである、といった。
岡田:前衛音楽のもう一つの背景に原水爆実験への恐怖があったと思う。ゴジラ!
一方、1950~60年はポピュラー音楽の全盛の時代でもあった。プレスリーからビートルズ。西側の自由を唄う音楽であった。
片山:この当時の芥川也寸志の行動も興味深い。ウィーンからソ連に入り、ショスタコーヴィチなどに会っている。もちろんソ連がお膳立てしたのだろうが・・。当時の芥川はショスタコーヴィチやプロコフィエフが本気で人民のための音楽を作っていると思っていたのであろう。
芥川の黒子はソ連、團伊久磨は中国、黛敏郎はアメリカ・・。音楽の世界にも色濃く世界情勢が反映していた。
ソ連の時代の御用?作曲家としてのフレンニコフという人が論じられるが、全く知らない人なのでパス。
岡田:旧ソ連時代の最高傑作は?
片山:ショスタコの交響曲5・7・11番、プロコフィエフの5番・7番・・個人の襞が見えない音楽。あるモスクワ音楽院の教授は生徒に「きみたちがこの国で作曲家として生きていくためには、皆さんが書きたいと思う音楽を書かないことだ」といったという。
岡田:この言葉は旧西側のわれわれが肝に銘じなければいけない言葉。ロシアのウクライナ侵攻以降、この言葉は生々しい。
ここから(p313以降)話が「前衛の斜陽とミニマル・ミュージック」に移るので、それは稿をあらためて論じることとする。
本書にはロシアのウクライナ侵攻の問題が色濃く投影している。ロシアは西側の音楽をどうこうしようとしてウクライナに攻め込んだわけでは決してないが、それでも今回の事態には西側の価値観の否定という側面が色濃くあることは間違いない。
そしてクラシック音楽にこそ西欧の価値観がもっとも濃縮して現れているのだから、岡田氏や片山氏のようなクラシック音楽を偏愛する知識人にとっては、これは己につきつけられた刃として感じられるはずである。「ごまかさないクラシック音楽」というのは、この問い、この刃から逃げないクラシック音楽論という意味であろう。
それではわたくしにとってのウクライナ戦争に相当する出来事とは? 間違いなく「東大紛争」「東大闘争」であったと思う。あの運動は逃げることは許されないぞ、お前はどっちの側の人間だと問う運動でもあった。
それに対しわたくしは、福田恆存→吉田健一路線で対応してきた。そこに三島由紀夫がどうかかわるのかが微妙なのだが、要するに吉田健一路線というのは、ヨーロッパ19世紀は野蛮だよ、ヨーロッパの真髄は18世紀の優雅にあるのだよというものだとわたくしは理解している。
18世紀の優雅→モツアルト。19世紀の野蛮→ベートーベン。
しかし問題は、もしも音楽史にベートーベンが現れなければ、クラシック音楽は、今頃は保存すべき古典芸能になっていただろうということである。
何ものかが生き残るためには何らかの夾雑物がそこに含まれる必要がある。クラシック音楽の場合はそれがベートーベン。そして西欧音楽の祖バッハにも優雅だけではない何か夾雑物が含まれていたとわたくしは思う。それが西洋音楽の命を支えてきた。
それでわたくしの場合は、いまのところはブラームスとバッハである。グールドの弾くブラームスの間奏曲集。あるいはケンプが弾くバッハの小品集。YouTubeだと「Wilhelm Kempf performing various Bach’s transcriptions 」 何となくベートーベェンは敬遠している。
わたくしはジャズは駄目。というのは、ポピュラーミュージックは歌詞がついていないと理解できない困った人間なので、ここで論じられていることはチンプンカンプン。
それで、松本清張の新聞小説「砂の器」のほうに。
わたくしは新聞小説としては読んでいない。映画をみて、本を読んだ。あるいは逆だったかも知れない。とにかくここには清張さんの前衛音楽嫌いが露骨にでている。なにしろ前衛音楽家が奇怪な電子音で人を殺すのである。
それに対して、映画の方の主題は被差別民が日本中を遍路して歩くほうに移り、主人公は甘々のラフマニノフに砂糖をたっぷり加えたような音楽を書く作曲家となっている。
多くの方はこの映画をみていないだろうからこれ以上の議論はやめるが、この原作と映画には日本の前衛音楽の問題がたっぷりと詰まっていると思う。
さて、わたくしは芥川也寸志さん(と小林研一郎さん)が振っていた「鯨」という合唱団で歌っていたことがある。実は大学の友人が先に入り、「美人がいねえ。楽譜やるからお前やれ!」とかで、こちらにお鉢がまわってきた。そこで結婚相手を見つけることになるのだから、人間わからないものである。そんな個人的なことはどうでもいいが、芥川さんのような多忙な方が「新交響楽団」というアマチュアオケを指導し、合唱団まで振っていたのは、その頃の氏が市民のやる音楽という理想に燃えていたからだと思う。新交響楽団は日本一のアマチュアオケになったが、検索してみると「鯨」もまだ続いているようである。
さて、ソ連時代の交響曲では、わたくしはショスタコーヴィチなら9番が好きなのだが・・、多くの人が「第九」として壮大な音楽を期待していたのに、肩透かしをくわせてああいうしゃれた音楽をだした皮肉。
わたくしは昔、コンピュータ・ミュージックというのが流行ったころ、それで遊んだことがあって、この9番の主題をぱくって、ショスタコの分散和音の下降形の主題を逆転の上昇形にしてみたりして曲をつくってみたりたりしたことがある。
今から思うとなんでそんな馬鹿なことをしていたのかね?と思うが、勉強しないでそんなことばかりしていたわけである。
芥川の黒子はソ連、團伊久磨は中国、黛敏郎はアメリカ、というのは面白いが「涅槃交響曲」はアメリカかしら?
「首楞厳神咒」(しゅれんねんじんしゅう)とか「摩訶般若婆羅蜜」(もこほじゃほろみ)なんてどう考えても「除夜の鐘」。黛さんは三島由紀夫にいかれて変になっちゃったと思うけれど、アメリカ経由の日本だったのだろうか?
三島には日本語という要塞があったが、黛さんにはそれに相当するものがなかった。辛かっただろうと思う。
文学には明治以来の先人の苦闘が残した作品があったが、音楽では滝廉太郎?? 山田耕作も歌曲以外ではいまなら間違いなくセクハラでアウトというような派手な女性関係の方で有名だったのではないだろうか?
とにかく日本の西洋音楽は歴史に乏しい。アメリカと似たようなものかもしれない。 それで岡田氏も片山氏も苦労することになるわけである。根無し草意識。
岡田氏や片山氏が一生懸命に啓蒙してもクラシック音楽自体が衰微してきているという明らかな事実がある。第二次世界大戦以降クラシック音楽の分野ではビッグ・ネームが生まれていない。ドゥダメル? シモン・ボリバル? マンボ!! 西欧の外である。
日本人の作った曲が西洋音楽史のどこかに残ることがあるだろうか? 諸井三郎?