今日入手した本

ヒューム 道徳・政治・文学論集[完訳版]

ヒューム 道徳・政治・文学論集[完訳版]

 
 先日の毎日新聞の読書欄で紹介されていた。ヒュームのエッセイ集は、岩波文庫の「市民の国について」を持っているが、これはやや癖のある翻訳で(ですます調)であり、抄訳であるので、全訳であるらしい本書を入手してみた(結構、高い本なのだけれど)。

「人類の大部分を二つの部類に分けることができるであろう。真理に到達できない浅薄な思索家の部類と、真理をとび超えたような難解な思索家の部類がそれである。」(田中訳)
「人間というものの大半は二種類に、つまりものごとを浅薄にしか考えることができぬため真理にまで到達できぬひとびとと、ものごとを深刻に考え過ぎてしまい真理を通り越してしまう人々に、二分できるようです。」(小松訳)
 小松訳のほうがわかりやすいかだろうか? ちなみに原文は、
「The greater part of mankind may be divided into two classes; that of shallow thinkers, who fall short of the truth; and that of abstruse thinkers, who go beyond it. 」
「人類の大半は以下の二種類に大別できるであろう。考えが浅くて真理に届かずその手前で止まってしまうひとと、考えが深すぎるため真理のところで止まれず、その向こうまでいってしまうひとである。」 という訳はくどいだろうか? ヒュームの文に適量ふくまれているであろうユーモアというか揶揄というかをどのように日本語にしていくかは難しい問題であろう。「人間は大体は以下の二種類のどちらかなのであろう。その大部分は考えることが苦手で真理のはるか手前で転んでしまうのだし、ごく少数はむやみに難しく考えてかえって真理を見逃し、それを通りすぎてしまう。」 というのではくだけすぎであろうか?(「大部分」と「少数」というのは次のセンテンスの先取り。)
 田中氏の訳は比較的ユーモアの乏しい硬い訳のように思われるが、ヒュームの英語はやたらと古めかしい現在では使われないような単語が多く、構文も複雑なのでわたくしには歯が立たない。この本をのんびりと読んでいこうかと思う。もっとも「浅薄にしか考えることができぬため真理にまで到達できぬひと」であるわたくしにはここで展開されている経済学の論などはさっぱりと理解できなのであるが。