2023-08-01から1ヶ月間の記事一覧

平和主義?

今朝の朝日新聞の朝刊の「論壇時評」に政治学者の宇野重規氏が「平和主義の行方 どう語るか」という論を寄稿している。そこに山本昭宏氏の『日本の戦後平和主義が「ほぼ有名無実化」した』という言葉が引用されていた。 福田恆存氏が「平和論にたいする疑問…

中国の政治の話

最近、中国のことが何かと話題になっている。わたくしは極度の政治音痴であるので、そこで論じられていることの正否についての評価はまったくできないが、中国の人たちの政治についての見方というのは、西欧あるいは日本のものとはまったく異なっていると思…

医師の過労の問題

わたくしは内科医であったので、外科などのメッサ―・ザイテ(メスを持って手術をすることのある科)の医師に比べればずっと楽な勤務体系であったと思う。 週2回の一般外来、週1回の専門外来、4~5人の受け持ち入院患者というような体制で若い時代を過ごし…

慶応塾歌

高校野球で慶応が優勝したため、最近、慶応の塾歌を聴く機会が多い。「おお風に鳴る我が旗は・・・」 信時潔作曲の大変よい曲だと思うのだが、この曲を聴くとなぜか、わたくしは同じ信時作の「海ゆかば」を思い出してしまう。「海ゆかば水漬く屍、大君の辺に…

父の話

父は昭和16年東京帝国大学医学部を卒業してすぐ軍医として南の島に派遣された。その島は戦略的価値がないと判断されたのか米軍に無視されたため、特に戦闘という戦闘もないまま終戦を迎えたらしい。とすれば軍医など何の役にも立たないわけで、その島で農…

吉松隆「魚座の音楽論」(音楽之友社 1987)

最近、音楽のことを論じているうちにこの本のことを思い出した。いまでこそ巨匠?の吉松氏であるが、いまからまだ30年以上以前の氏は、一部には知られていても、どちらかと言えば反時代的なきれいきれいな曲を書く異端の作曲家という扱いであったような気…

岡田暁生 片山杜秀「ごまかさないクラシック音楽」その9(完) 前衛の斜陽など

片山:冷戦当時西側は東側の先をいっていると演出したがった。前衛音楽はそれゆえ西側で生きられた。 岡田:芸術家にとっては夢のような時代だった。企業が金を出してくれた。でも今の企業は芸術ではなく環境保護に金を出す。 ベルリンの壁崩壊が音楽に与え…

岡田暁生 片山杜秀「ごまかさないクラシック音楽」その8  ジャズ・前衛音楽・東側と西側

岡田;20世紀以降の音楽を語る上でジャズは欠かせない。 片山:ジャズの起源にはセミ・クラシックがしみ込んでいる。ドイツ本流のクラシック音楽こそが文明という考えは第一次世界大戦前後に無効化されていたということに、多くのひとはジャズで気づいた。 …

岡田暁生 片山杜秀「ごまかさないクラシック音楽」 その7 第4章「クラシック音楽の終焉」 その2 ショスタコーヴィチなど

岡田:20世紀の交響曲といえばショスタコーヴィチ。以前のわれわれはショスタコーヴィチを「ソヴィエト共産党の御用作曲家」と思っていた。オラトリオ「森の歌」とか・・。西側にはない何だか全体主義的抑圧の雰囲気を持つ音楽と思っていた。 片山:自分は…

ガルッピのピアノソナタ ハ長調

YouTubeをみていたら、ミケランジェリの弾くガルッピのピアノソナタが出て来た。この曲はずっと以前ラジオを聴いていたら偶然かかっていたので知ったもので、この時もミケランジェリの演奏。この曲を世界に広めたのもミケランジェリらしい。 本当に可愛らし…

ヘルパンギーナ?

一週間位前から女房ともども感冒様でくずぐずしている。女房の方が重症で味がしない匂いがしないといっているが、わたくしのほうはそれほどではない。 今、本来は子供の病気であるヘルパンギーナが今大人にも流行っているらしい。 そういう症状であるので、…

ごまかさないクラシック音楽 (6) 第4章 クラシック音楽の終焉(1)

岡田 本書の目的は従来型の音楽史とは異なる文脈を提示すること。最近のウクライナ情勢は、ソナタ形式の再現部のよう。提示部:二つの世界大戦、展開部がベルリンの壁崩壊以後、そして2022年以降が再現部? ユーラシア大陸の中心から非西欧の狼煙が上が…

渡辺京二氏

昨日の朝刊「折々のことば」に渡辺京二氏の言葉が引用されていて、「最晩年の語り下ろしから」と書かれていた。 渡辺氏の名を初めて知ったのは、大分以前どなたかが在野の論客として何人かの名前が挙げられていたそのうちの一人としてであった。それで氏の著…