吉松隆「魚座の音楽論」(音楽之友社 1987)

 最近、音楽のことを論じているうちにこの本のことを思い出した。いまでこそ巨匠?の吉松氏であるが、いまからまだ30年以上以前の氏は、一部には知られていても、どちらかと言えば反時代的なきれいきれいな曲を書く異端の作曲家という扱いであったような気がする。
 書き出しがこうである。「ないしろ音楽というものがあまりに素晴らしいので、せっかく生きているのだからせめて美しい音楽のひとつも書いてからのたれ死ぬのも悪くない、とそう思って作曲を始めた。」
 ということで「美しくない曲?」を量産している前衛作曲家への罵詈雑言にみちた面白い本である。氏は画才もあるらしく、楽しいイラストもたくさんおさめられている。
 罪状:現代音楽の作曲
 罰則:禁固七年
 という逮捕状を持ってきた刑事さんの名前はジョン。つまりジョン・ケージ

 書き出しは「現代音楽は嫌いである。」
 「音をただの一から十二までの等差数列とみなした事・・」が十二音主義以降の現代音楽が陥った致命的欠陥」であるとしても、この本から30年以上、もはや12音理論で書く作曲家は絶滅しているはずである。
 以下、本書から暴言や箴言の一部。
 拷問用音楽・・
 ケストラーの「ホロン」 マンデブロの「フラクタル」・・
 渋谷・・

 なんて書いても一向に本書の雰囲気は伝わらないと思うが、ふと思ったのが一時期の前衛音楽というのはクラシック音楽におけるポスト・モダンの動きだったのではないだろうかということである。
 アーサー・ケストラー「ホロン革命」工作舎 1983(1969)
 L・ワトソン「スーパーネイチャー」蒼樹書房 1974(1973)
 F・カプラ「タオ自然学」工作舎1979(1975)
 G・ベイトソン「精神の生態学思索社 1990(1985)
  (カッコ内は原著の刊行年)
 西欧の論理を超えたもっとグローバルな論理の探究といったものへの熱気がかつては存在した。
 西欧対グローバル。吉松氏は守旧派で西欧派。

 吉松氏は今という時代に平然と交響曲第〇番などという曲を書き(確か現在5番まで。五番はジャジャジャ・ジャーンで始まったような・・)、また綺麗綺麗のピアノ・コンチェルトを書くひとである。
 でもベートベンを超える曲にはならない? 氏はシベリウスを愛するひとのようだけれども、それを超えることもない??
 肉体は悲しい、もうすべての本は読まれてしまった
 La chair est triste, hélas ! et j'ai lu tous les livres.

 もうすべての曲は書かれてしまった。あるいは聴かれてしまったのだろうか?