片山杜秀「音盤考現学」

  アルテス 2008年2月
  
 著者の片山氏は専攻が政治学で、思想史方面の著書もあり、音楽が専門というわけのひとでは必ずしもないらしい。以前に読んだ矢野暢氏の「20世紀の音楽」(音楽の友社 1985年)もそうだったが、わたくしには音楽評論家と称するひとが書いた音楽の本よりも、政治とか思想とかを専門にしているひとが書いた音楽論の方が面白い。作曲家が書いたものはそうではないのだけれども、とにかく音楽評論家といわれるひとの書いたものには感心したことがない。音楽評論家と名乗るのであれば、現代の日本でモツアルトとかベートーベンを演奏することの意味を考えるのでなければいけないと思うのだけれども、そのひとたちの演奏会評などというのは、東欧からオーケストラが来れば「東欧の香り」、ドイツから来れば「伝統を受け継ぎ」とか、毒にも薬にもならない話ばかりである。この片山氏の本は「考現学」であり、今まさに日本でおこなわれいる音楽を見据えて書かれている。
 わたくしはあまり熱心ではないクラシック音楽視聴者であるけれども、比較的、現代日本の音楽家に関心をもっているほうではないかと思う。わたくしは高校から大学にかけて作曲のまねごとをして遊んでいたことがあり、その時、日本の作曲家が一体どんな曲を書いているのだろうと思っていくつかの本や譜面をみてみたことがある。その時、一体これはどういうことなのだろうかと考えてしまった。西欧はすでにドビッシーの時代を過ぎ、無調音楽、12音音楽が書かれている時代に、ベートーベン風の交響曲を習作としてではなく、自分の今現在の作品として発表しているひとがひとがいるのである。わたくしが日本のおける西欧受容ということに関心を持ち出したのはそれがきっかけではなかったかと思う。
 科学が普遍的なものであるのかについては、意見は多々あり、それが西欧ローカルな文明の所産であって決して普遍的ではないとする見解も無視できないものではあるのだろうが、科学の言語は数学であって、数学は普遍に通じるものを持っていることは否定できない。音楽の言葉もまた普遍に通じるのかは大問題であるが、それは西欧の歴史の中で成長してきたものであり、近代にいたるまで西欧以外の場所には存在しなかったものであることは確かである。
 ということようなことを昔から考えていて、日本のおけるクラシック音楽の位置というのは日本の西欧受容が孕む問題が集中的にあらわれる場所ではないかと思っている。それで、この片山氏の本はわたくくしには大変面白かった。以下、いくつかの話題について考えてみたい。
 
 「ニーノ・ロータにはまだ名盤がない」
 この章は諸井三郎の交響曲第三番の話題からはじまる。実はわたくしが日本の作曲家について考えるようになったきっかけのひとつは音楽之友社からでている「名曲解説全集 交響曲 ?」に収載されている諸井三郎の交響曲第二番の解説であったように思う。この第二番はまだ聞いたことがない。日本で(あるいは世界で)一体何回くらい演奏されたのだろうか? おそらく数回なのではないかと思う。それが名曲として詳細な解説がなされている。おそらく日本の作曲の歴史の上で逸することのできないという意味でとりあげられているのだろうと、その時は思った。この「ニーノ・ロータ・・」では諸井三郎の交響曲第三番はまだ録音されていないと書かれているが、その後NAXOSからCDがでている(そこに力のこもった解説を書いているのも片山氏)。それをきけばこの第三交響曲が名曲であることは確かであるが、その解説によればこの名曲もこの録音もふくめ実際に音になったのは五回だけなのだそうである。この曲の話題がでるのは、この戦時下の日本をまともに反映したような重苦しい音楽を最近、飯守泰次郎氏がいともあっけらかんと指揮したという話としてで、そこからニーノ・ロータのピアノ協奏曲について二つの演奏の極端な違いという論点に移る。
 これまた実は、昨年、紀尾井シンフォニエッタの演奏会でマリオ・ブルネロがロータのチェロ協奏曲の第二番を演奏したのを聴いた。それでロータが冗談でも現代音楽への嫌がらせのためでもまく、真面目に自分の音楽として、まるで「ゴッド・ファ−ザー」などのロータの映画音楽そのままといったメロディアスな音楽を作曲していることを知った。それでチェロ協奏曲とピアノ協奏曲のCDをとりよせてみた。わたくしが入手したピアノ協奏曲はボニ・バルンドによるもので、ホ短調のものなどまさに砂糖菓子のような甘い感傷的な音楽となっている。そのあとトマッシ・ムーティのものがでたらしく、一切の感傷を排したきびきびした演奏になっているらしい。ところがこの楽章の指定はアレグロ・トランキロであって、前者はアンダンテ・トランキロ、後者はアレグロ・ヴィヴァーチェになっているというのが片山氏の論である。
 ロータの協奏曲もCDになるまで20年以上かかっているのだそうで、諸井氏の音楽ほどではないが現代の作曲家の作品が音になるのは大変らしい。
 ロータの音楽がこかれら評価されていくようになるのかどうかはわからない。そこにあるのは音楽だけであって時代とのかかわりというようなものは一切ない。あるいは時代とかかわらないということが最大の主張であるような作曲家であるのかもしれない。片山氏は本書のはじめのほうで一見浮世離れしているように見える武満徹の音楽も、初期は日本の貧しさを反映して禁欲的であり、後期の作品がきらきらと絢爛となっていくのは、日本の金満化を軌を一にしているという指摘をしている。ロータの音楽は禁欲的とか貧しさといったことには一切縁のない音楽で、いわばヨーロッパでクラシック音楽を支えてきた階層のみを相手にしている音楽なのかもしれない。
 
 「小林研一郎といつまでも変わらない日本」
 これは小林氏がチェコ・フィルを振ったCDで、チャイコの「悲愴」のおまけ?として付されている小林研一郎作曲の「パッサカリア」について論じたもの。
 またまた実はであるが、わたくしはまだ無名の時代の小林氏の棒でフォーレのレクイエムやブルックナーのミサ第三番を歌ったことがある。まあそれは関係がないのだけれども、この「パッサカリア」は小林氏のドイツ後期ロマン派好みと、西洋(音楽)への姿勢を姿勢をよく表していると片山氏はいう。
 諸井三郎氏は日本の作曲の歴史の中での絶対音楽の方向の範例となるような曲を作ったのであろう。それでは日本の作曲の中でドイツ後期ロマン派風の作品を作った人はいるのかなあと考えてみるとあまり思いつかない。わたくしが昔知っていた小林氏と同じ経歴の芸大作曲科出身の指揮者志望のひとは「おれは駄目だ。ストラビンスキーとかが好きで、ブルックナーマーラーが、虫唾が走るほど嫌いな俺みたいな人間は今の日本ではうけない」と嘆いていた。
 
 「武満の水、細川の水」
 武満徹の「波の盆」などの音楽をおさめたCDを論じたもの。このCDもまた持っている。FMかNHK第二だかを聴いていて偶然これが流れていて、解説者が武満さんというひとは前衛音楽家だとみんな思っているけれども、こんな綺麗な曲も書いているんです、といっていた。片山氏はあまりかっていないようだけれども、わたくしは「波の盆」の音楽とか「小さな空」とかギターのための作曲や編曲のほうが好きであって、「ノヴェンバー・ステップス」とか「雨の樹」あたりはどうも駄目である。
 武満氏は日本の経済成長と軌を一にしたという側面もあるかもしれないが、日本の作曲界が前衛的な傾向から次第に後衛的?な方向へとだんだんと転換していった歩みをそのままたどっていったひとなのではないかと思う。そして本来は自分の志向ではなかった前衛的な方向から本来の志向であるメロディアスな方向へと先祖がえり?していったひとではなかったかと思う。わたくしが知っていたある作曲家は、「小さな空」のメロディーなど自分が一生かけても書けないかもしれない素晴らしい旋律なのだといっていた。
 
 「柴田南雄マーラー的な夢」
 その昔、柴田氏が岩波新書マーラー賛歌のような本を出したのを読んでびっくりしたことがある。柴田氏のような知的な作曲家はマーラーのような情緒過多で無論理的な音楽とはまったく無縁だと思っていたからである。それなのに、マーラーの六番をきいて音楽家になろうと決めたのだと書いていた。
 片山氏は、柴田氏はマーラーに西側だけではない、東西を融合する音楽をきいたのだとする。どう考えてもマーラーの音楽とは誇大妄想の世界で、日本の作曲の系譜は池内友次郎とか尾高尚忠とか、粋というか洒脱というか、とにかくマーラー的なものと正反対のものが主流であるように思うので、片山氏の論はいまひとつ納得できないものがある。
 
 「武満徹無重力
 武満徹雅楽について論じていて、雅楽で使われる楽器の音域がみな極めて高いということをいっている。ほとんどピッコロと同じ音域なのである、と。いうまでもなく西欧音楽は低音の上に構築される。倍音を基礎とする音楽なのだから。コントラバスとかチューバとか独奏にはほとんど使えない楽器をさまざまふくむオーケストラというのはつくづくと西欧的なものだと思う。それと鍵盤とひっぱたくピアノ。
 片山氏によればドビュッシーこそが西欧音楽の中で、バッハ、ベートーベン、ブラームスブルックナーなど(低音のB?)の音楽に抗して、高音の音楽、地に支えを持たない音楽をめざしたひとなのだという。それがメシアンを通して武満に受けつがれたのだと。トランガリ交響曲は低音に依存しない音楽なのだろうか? 今度聴きなおしてみよう。
 
 まだいろいろ書きたいことはあるけれども、とりあえずこの辺で。
 
 わずかこれだけ書いただけでも、西欧音楽においては、後期ロマン派の位置づけというのが肝なのだということを感じる。後期ロマン派はシェーンベルクにも通じるわけで、西欧音楽における保守本流なのかもしれないが、西欧音楽の歴史というのはベートーベンが第九交響曲を書いてしまったつけを延々と払っているような気がしてならない。西洋哲学がプラトン哲学への脚注であるなら、西洋音楽はベートーベンの音楽への脚注という要素が大きいと思う。
 西洋音楽の歴史にベートーベンという誇大妄想家がもしもいなかったらというのは考えても仕方がないイフではあると思うが、フランス革命が西欧における誇大妄想の極致であるとすれば、ベートーベンもまた時代にシンクロした作曲であったということになるのだろう。
 ベートーベンは音楽に+αを持ち込んだ。西洋音楽史とはその+αを否定する側と、肯定する側の抗争の歴史かもしれない。もしも音楽に+αがないのであれば、ほとんど誰も演奏しないであろう曲を書き続ける現代の作曲家のモチベーションは何によるのだろうか? そして音楽に+αがあるのだとしても、それが機能するためには相当多数の人に聴いてもらうことが必要である。本来音楽には、聴いた人に音楽をこえた何かをもたらす力があるのだとしても、五線譜に定着はしたが、一度も音になっていない音楽がどのようにしてひとに影響をあたえることができるのだろうか? 彼らはミューズの神にささげるために曲を作っているのだろうか?
 

片山杜秀の本(1)音盤考現学 (片山杜秀の本 1)

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