啓蒙主義

 若い時は啓蒙主義とか啓蒙思想とかに非常な反感を持っていた。要するに、学ぶことによって世界の真理を会得したものが、まだ無知蒙昧で世界の仕組みを理解していないものに教えをたれて良き方向に導いていく、というような何とも傲慢で思いあがった考え方のことだと思っていた。今では死語であるが、わたくしが若いころには進歩的文化人という言葉もあって、啓蒙思想はそれと同義だと思っていた。
 その見方を根底から覆したのが、「より良き世界をもとめて」と題する本に収載されたポパーの「寛容と知的責任」という1981年の講演記録を読んだことによってであった。この日本語訳の刊行は1995年であるから、おそらくわたくしが読んだのは40歳後半である。
 この講演当時の世界の混乱(ベトナムカンボジアイラン革命アフガニスタン・・・)に対してわれわれは何をできるかという疑問を提出して(ポパーはここでのわれわれとは「知識人、つまり、理念に関心をもつ人間、とりわけ、読書しそしておそらく著述するであろう人間のこと」であるとしている)、ポパーはできると断言する。なぜなら「われわれ知識人は何千年来となく身の毛をよだつような害悪をなしてきたから」。
 そして啓蒙主義の父ヴォルテールの言葉を引用する。「寛容は、われわれとは過ちを犯す人間であり、誤りを犯すことは人間的であるし、われわれすべては終始誤りを犯しているという洞察から必然的に導かれてくる。としたら、われわれは相互に誤りを許しあおうではないか。これが自然法の基礎である。」 ポパーはこれを自由訳であると断っているので、どこまでヴォルテールの言葉に忠実であるのかがわからないのだが、とにかくこの言葉を読んだときには仰天した。それまでのわたくしの啓蒙主義理解とはまったく正反対であったからである。この論に従えば、進歩的文化人も《何千年来となく身の毛をよだつような害悪をなしてきた》知識人の正統の後継者であることになる。なぜなら彼らは自分が考えていることが正しいことを微塵も疑っておらず、自分が過ちを犯す可能性があるなどとはまったく想定しないからである。間違っているのはつねに他人であり、自分はそれを批判する正当な権利をもつと彼らは確信している。
 しかし、知識人は何か正しいことがわかったと考えることで、世界に多大な惨禍をもたらしてきたとすれば、知識人が自分もまた無知であって、何も知らない人間の一人であることを自覚すれば、その惨禍の多くを無くすことができる、という、ポパー経由のヴォルテールの言葉の線で「啓蒙」を理解するとするならば、わたくしはずいぶんと以前からその方向には親しんできたこともわかった。
 たとえば福田恆存の「平和論に対する疑問」。洞爺丸転覆事故の翌日の新聞紙面に掲載された文化人の「堂々たる卓見」へのからかい(発表は昭和29年、わたくしが読んだのは昭和42~43年?) しかし、福田氏のことを啓蒙主義者などというひとは一人もいなかった。氏は保守反動といわれていた。
 この「平和論に対する疑問」について吉田健一は「原稿料稼ぎに少し枚数を多くした感想文に過ぎないのに、それが所謂、知識階級の手に掛かると「福田提案」などとものものしくなるのだから、実際、こういう連中は早く消えてなくなればいい、とこっちも思うのである」と書いている。(「三文紳士」)ある時期までわたくしは所謂「進歩的文化人」≒「啓蒙思想の流れの人」と思っていたわけである。
 ポパーによれば、われわれが考え得ることはすべて仮説にすぎない。その説自体をいくら眺めていてもその説の正否はわからない。しかし仮説はもしもわたくしの考えることが正しいとするならば、未来はこうなるであろうという予見をも同時に提示するのだから、仮説の正否を決めるのは、未来に何がおきるかである。
 おそらくポパーの頭にあるのが、ニュートン力学からアインシュタインの相対性原理への転換である。アインシュタインが相対原理を提出するまで、リュートン力学は《真理》であると思われていた。「ニュートンは真理を発見した。その真理によって世界は説明できたし未来も予見できた!」 「個人は真理を発見しうる。その真理によって世界は予見できるし、設計することができる!」 この思考法のもっとも悪しき応用がマルクスによる科学的社会主義の主張、歴史の発展法則発見の主張で、進歩的文化人、知識階級などといわれたひとたちはみなその後裔であったわけだから、東側の崩壊によって、その人たちはすごすごと言論の世界から退場していったかといえば、決してそういうことにはならなかった。《マルクスの考えは残念ながら真理ではなかった、しかし世の中がむかうべき正しい方向があるということ自体は間違っていないのだから、それを見出して人々に指し示していくのが知識を持つ人間の相変わらずの義務であって、われわれはその要請にこれからも応えていかなければならない》という信念は揺らぐことはなかった。
 その典型が私見によれば朝日新聞である。その紙面からは、われわれは現在こういう主張をしているが、それが正しいかどうかはわからない。だから将来おきることによって現在の主張があやまっていることが明らかになった場合には、それを直ちに取り消すことは当然のことである、という姿勢などは微塵も感じられない。
 その朝日新聞にとっては、絶対悪、これだけは100%間違っているという仮想敵があることは大変重宝なわけで、それが安倍政権的なもの、《美しい国を回復するために憲法を改正する》といった方向であったのだと思う。安倍氏は毛並みのいいボンボンとしてドブ板選挙で苦労するなどということは一切なく政治家になれて、純粋培養のなかで本気でその理念を信じていたのであろうが、政権が長期になり、世界各国と外交で伍していく経験をつむなかで、「美しい国」などというのは全然明後日の方向であって世界からは相手にもされないことを痛切に感じるようになった。それで現実にはその方向は棚上げして、アベノミクスといった形而下の方向に舵をきったのであろう。そもそも、一億総活躍社会などというのが、「美しい日本」とは真逆の方向である。だから一部自分を信奉する支持者を繋ぎとめておくために、憲法改正などの看板は下ろさないものの、それは神棚に安置されたままになる。
 しかし朝日新聞にとってはたとえ神棚に安置されただけのものであっても、憲法改正の看板がひっこめられずにそこにあるということはとても重要なことであった。仮想敵は目に見えるところになければならない。そうであるとすれば、今回の安倍首相退陣は、朝日新聞の終わりの始まりを告げるものなのではないかという気がする。
 次の首相は菅氏がなるらしいが、菅氏はまさに安倍氏と正反対、ドブ板たたき上げの苦労人で政治とは利害調整のことである信念のもとに生きてきたひとであろうと思うので、理念などという腹の足しにならないならないことにはまったく関心がないだろうと思う。
 わたくしが記憶している限り、政権誕生時に、朝日新聞が持ち上げた唯一の宰相は、民主党政権誕生時を除けば、田中角栄宰相であったと思う。小学校しか出ていない人は今までとは違う何かをなしとげてくれるだろうといった論調だった。田中氏もまた、日本列島改造には熱心であっても、「美しい国」などという方向にはいささかの関心ももたなかった。
 菅氏は安倍政権の継承などといっているので、仮想敵であることは続くのであろうが、およそ理念などいう関心を持たないであろう菅氏にどう反応していったらいいのか、とまどっているのではないかと思う。
 世界はポパーのいう啓蒙主義とは真逆の方向に動こうとしている。「寛容は、われわれとは過ちを犯す人間であり、誤りを犯すことは人間的であるし、われわれすべては終始誤りを犯しているという洞察から必然的に導かれてくる。としたら、われわれは相互に誤りを許しあおうではないか。これが自然法の基礎である。」などというのはトランプ大統領にとっては寝言以下の戯言であろう。プーチン大統領習近平主席とっても同様であるはずである。
 啓蒙思想というのは西欧の軟弱な文人が抱いた一場の夢であったのかもしれない。加藤典洋氏の「ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ」(2002年)に「悪魔の詩」を書いたことによってホメイニ師から死刑の布告をだされているサルマン・ラシュディの文章が紹介されている。「安易な日常生活、ぬるま湯につかった平和こそが大切なのであり」「公の場でのキス、ベーコンサンド、意見の対立、最新流行のファッション、文学作品、寛大さ、飲み水、世界の資源の公平な分配、映画、音楽、思想の自由、美、愛」といったささいでありふれた自由こそが大事、「安逸な日常生活、ぬるま湯につかった平和」といったものこそが何よりも大切であるとその文章はいっている。
ミラン・クンデラエルサレム賞受賞講演で、「個人が尊重される世界」というヨーロッパに抱く私たちの夢はもろくはかないものであることをわたくしたちは知っているが、個人の尊厳。個人の独自な思想と侵すことのできない私的生活の権利の尊重というヨーロッパ精神の貴重な本質は小説の歴史のなかに預けられている、といっている。
 村上春樹の同じエルサレム賞受賞講演での《高く堅牢な壁と、そこにぶつかれば壊れてしまう卵》の話も同工異作というか、クンデラ講演の延長のようなものであると思うが、ヨーロッパで発明された《一見しがない一個人も、実は神話の英雄と何ら変わることのない内実をもつ存在》というおそらく世界の歴史のなかで唯一ヨーロッパでのみ発明された奇矯な見方を踏襲したものである。
 それがもっと極端になれば「結婚して子供を生み、そして、子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ、そういう生活者をもしも想定できるならば、そういう生活の仕方をして生涯を終える者が、いちばん価値がある存在なんだ」という吉本隆明の激越な言葉にもつながってくる。
 今まで、個人の「安逸な日常生活、ぬるま湯につかった平和」に対立するものは、国家というような大きな物語、「美しい国」というような神話であった。しかし「(平和とは)自分の村から隣の村に行く道の脇に大木が生えていて、それを通りすがりに眺めるのを邪魔するものがいないことである、或いは、去年に比べて今年の柿の方が出来がいいのが話題になることである(吉田健一)」のだとして、道端の大木を眺めていると、今そんなのんびりしたことをしている場合かと文句をいってくるひとがでてきたり、去年に比べて今年の柿の方が出来がいいことを話題にしようとしても、去年と今年はまったく違ってしまったのだから、柿の出来などはどうでもいいではないかということになってしまったり、日々の当たり前の生活がこれからも継続していくであろうという確信が昨今のわれわれには持てなくなってきている可能性がある、それが一番の問題なのではないかと思う。
 「公の場でキスすること」など今ではなかなか難しいであろう。「映画、音楽」の鑑賞もままならない。すべての行動がビッグ・ブラザーの監視下にあるような息苦しさが昨今の状況にはある。
 われわれにできるささやかな抵抗は、極力、今まで通りの生活を続けていくことなのではないだろうか? 「個人が尊重される世界」というヨーロッパに抱く私たちの夢はもろくはかないものであることをわたくしたちは知っている」し、実際、個人というのは壁にぶつかれば簡単に壊れる脆い卵であるのだが、しかし、それでもヨーロッパ以外の文明はついに個人という虚構を発明できなかった。
 「個人の尊厳。個人の独自な思想と侵すことのできない私的生活の権利の尊重というヨーロッパ精神の貴重な本質は小説の歴史のなかに預けられている」とクンデラはいう。小説というのは小人を描くものであるが、小説の中では風車と対峙する郷士ドン・キホーテも騎士ものがたりの英雄であり、冴えないダブリンの中年男もまたホメロス叙事詩の英雄なのである。そしてそんな英雄物語などは必要ない。ただ生きて死ぬということそれ自体が大事業なのだというのが、「結婚して子供を生み、そして、子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ、そういう生活者」を礼賛する吉本隆明のいわんとするところなのであろう。
 最近、明らかに小説は低調である。ヨーロッパが18世紀ごろに発明した個人という虚構の賞味期限がそろそろ切れかかってきているのかもしれない。それに加えて、最近の新型コロナウイルス感染の流行によって、今までとは異なった顔をした「公」のようなものを形成されてきているようにも思える。そして個々の人間は「われわれとは過ちを犯す人間であり、誤りを犯すことは人間的であるし、われわれすべては終始誤りを犯しているという洞察」などはどこかにすっかり忘れてしまって、お互いに批判しあい罵りあうことに汲々としているようにみえる。「われわれは相互に誤りを許しあおうではないか」というような気持ちはどこかにいってしまった。
 To err is human, to forgive divine(過つは人の常、許すは神の業)というのは確かポープの言葉だったと思うが、今は小さな神様同士が互いに争っている。
 最近のいろいろな知見をみるならば、専門家と称する人間のいうことがいかにあてにならないものなのかは一目瞭然である、専門家も素人も五十歩百歩であることが白日のもとにさらされることになった。しかし、実際には誰かは真理を知っているはずである。それが誰なのか、という不毛の方向へとみなが走りだしているように思える。
 われわれは今、啓蒙の数世紀の賞味期限の最後の時間に立ち会っているのかもしれない。しかし、それでも、もしも啓蒙の時代がこれからももう少し続いていくことを望むのであるならば、それが可能となるか否かは、われわれが今まで通りに「「安逸な日常生活、ぬるま湯につかった平和」を続けていけるかどうかにかかっているのだろうと思う。
 そして、もしもそれに行き詰まったら、「本当に困ったんだったら、泥棒して食っていったっていいんだぜ」(吉本隆明)である。
 吉田健一も生活に窮した挙句、近所に住んでいる人の所に金と米が欲しいと言いにいった話を書いている。(「貧乏物語」(「三文紳士」所収)) 
 「何の理由もありはしないので、ただのゆすりとどこが違うのか決めるのは難しい問題」なのであるが、「併しその人は一晩中、酒を飲ませてくれた上に、こっちが言っただけの金と米を出して家まで送って来てくれた」ということになっている。「こういう行為に対して何をなすべきか、これも問題である」と吉田氏は言う。確かにそうである。
 吉田氏は嘘を書く名人であるから、この話もおそらく創作であろうが(「貧乏物語」の後半の横須賀線終電車転覆計画などは「嘘つき健一」の面目躍如であって、健一さんは007ものなども愛読していたのだろうと思う。
人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」というのと啓蒙主義がどのように関係するのかはよくわからないが、何となく無関係ではないような気がする。しかし太宰治はその強さを持てなかった。
 「われわれとは過ちを犯す人間であり、誤りを犯すことは人間的であるし、われわれすべては終始誤りを犯しているという洞察」はその裏に、例えわれわれは誤ることがあったとしても、臆することなく生きていてもいいのだという一種の《生の肯定》の方向性をももっているということなのだろうと思う。

未来は開かれている

 一月の終わりに、中国で新たな新型肺炎が流行しているという報道をみたときは、フーンと思っただけだった。以前、病院の責任者をしていた時に、何回か新種のウイルスが日本にはいってくるかもしれないという話が出たことがあって、そのたびに、もしそうなったら発熱外来をどう設置するか、感染者のための入院病床を何ベッドまで確保できるかなどいろいろと議論したが、結局、すべてが空振りに終わっていた。それで、今回もまた、どうせそうなるだろうと多寡を括ったわけである。
 また、わたくしはあるクラス会の幹事をしていて、それを毎年3月の初旬に開催してきていた。今年も2月はじめに会場を予約し関係者に連絡した。その時には、コロナウイルスのことなど考えもしなかった。しかし、2月も半ばすぎて何となく雲行きがあやしい。それで、大事をとって、会の延期を決めた。お店にキャンセルの電話をしたら、店員さんは「えー? キャンセルですか?」という怪訝な反応であった。わたくしはそのクラス会の医療相談担当のようなこともしていて、同窓の何人かがいわゆる重篤な基礎疾患を持っていることを知っていたので、安全を見込んだわけである。しかし、その時も、7~8月になったらウイルスも収束の方向が見えてきているだろうから、秋ごろにでも開催を相談しましょう、というような呑気な感じであった。
 われわれには未来のことはわからない。3・11ももちろん、それを予言できたひとはいなかった。そして、これが過去のものとはならず、いまだにわわれわれの現実であり続けているのは、それが原発の事故(炉心融解、水素爆発)を引き起こしたからで、それがなければ、われわれにとって神戸の震災がすでに過去のものとなってきているのと同じで(その時の首相は社会党党首の村山さんであった。その社会党ももう存在しない)、そろそろ10年の年月がたとうとしているのだから、われわれが思い出すこともまれになっていたかもしれない。
 福島第一原発の事故は全電源喪失の結果としておきたのだという。この炉はアメリカ製のものを一切の変更なしで使うという条件で日本に設置したもので、アメリカの原発は平地にあり、想定される最大の天災はハリケーンとのことで、それは天上から襲ってくるものだから非常用電源はすべて地下に配置されていた。しかし、日本での天災は津波であったのだから、一番低い場所に設置されていた非常用電源は津波の到来で最初に駄目になってしまったという話をきいたことがある。もちろん、想定外の津波が来たということで、津波の到達を予想していたら設計は根本的に変わっていたのかもしれないが・・・。
 
 「未来は開かれている」というのは、K・ポパーとK・ローレンツの対談のタイトルである。これはポパー独特の言い方で、要するに「未来はわからない」ということである。おそらくポパーが意識しているのは「ラプラスの魔」のような考え方で、もしも現在のある時点において作用している全ての力学的・物理的な状態を完全に把握・解析する能力を持つ超越的存在があるとすれば、その存在にとっては、遠い未来の宇宙の全運動までも確実に知ることができる、というような考え方である。その「魔」にとっては3・11も今回のコロナウイルスの流行もすべてお見通しのはずである。「幼なじみの 観音者にや 俺の心は お見通し」(矢野亮 詞) われわれは何かを考えたときに。それは自分が自分で考えたと思うわけであるが、これは脳内ニューロン中の伝達物質の動きの結果なのであり、そこには少しも自発性などというものはないという見方もあるようである。
 ポパーというのは変なひとで「未来は開かれている」などといいながら、不確定性原理のようなものは気にいらなかったようで、それはわれわれの知識の不確かさによるのであって、もっとわれわれの知識が確かなものになれば霧消すると思っていたようである。それで何らかの思考実験によって不確定性原理の脆弱を示すことで、量子力学の歴史に自分の名を残したいという野望を抱いていたようであるが、もちろんそれは成功しなかった。

 今ここでこんなことを書いているのは、タレブの「ブラック・スワン」を念頭においている。タレブのこの本は、原本は2007年の刊行(訳書は2009年)である。リーマンショックが2008年であるから、その前年、いわゆるサブプライム・ローン市場がやばくなっていた時で、タレブは本書を書いたことで、100年に一度の危機を予言したとして一躍有名になった。タレブはトレーダーであるが氏のとるポジションは、通常ではない事態(100年に一度などといわれるが、それでもその割には頻回におきる、しかし通常はないイレギュラーな事態)が発生しても損をしないというものであるらしい。あるいは通常は損をしていても、そういう非日常の状況においては利益をえる。 
 良くは知らないが、年末年始の恒例の行事の一つとして、一年後の株価の予想などというのも新聞の片隅にでるのはないかと思う。楽観的なもの悲観的なものいろいろな予想があったのであろうが、今年は100年に一度のパンデミックがおきるから、それによってリーマンショック級の影響が株式市場にあるであろうなどという予想をしたひとがいるとは思えない。もしもいたら、それは投資家ではなく占師か予言者である。こういう株価の予想などは昨日までの日常が今日も明日も続くであろうことを前提にしている。ブラック・スワンのいない世界である。
 タレブはレバノンの出身らしい。レバノンは、昨年はゴーンさんの脱出先、最近では大規模爆発の発生地として話題になっているが、現代史においては1975年から1990年までのいわゆるレバノン内戦の地である。
 「ブラック・スワン」によれば、このレバノンの地は1000年以上にわたって12以上の宗教、民族、思想を持つ人々が平和裏に共存していた。キリスト教諸派イスラム諸派ユダヤ教・・・。しかしそれが一瞬で消えた。タレブによるとその地に住む教養ある人々の数がある一定の数以下になると、そこは真空地帯となってこのようなことがおきるのだという。
 このレバノン内戦がはじまったとき、タレブはまだ年少だったが、大人たちは異口同音に「この争いはほんの数日で終わる」と言い続けていたのだという。
 タレブが挙げる例:カストロ政権ができたときにキューバからマイアミに逃げた人たちは「ほんの数日」の逃亡のつもりだった。1978年にイスラム共和国ができたときパリやロンドンに脱出したイラン人たちもちょっとした休暇くらいのつもりだった。1917年のロシア革命を機にロシアからベルリンに逃れたひとも、すぐに戻れると思っていた、
 さらにタレブが挙げる例:イエスが布教していた時代にそのイエスの活動を記した文献はほとんどない(わずかヨセフス「ユダヤ戦記」の一冊があるのみで、それもほんの数行の記載)。誰もこのユダヤの異端の宗教が後世に何かを残すとは思っていなかった。また7世紀に突然あらわれた別の宗教がほんの数年でインドからスペインまでに領土をひろげ、イスラム法を広めたことも、その宗教の出現した当時は誰も予見できなかった。
 もっといえばわれわれ人類が現在、地球上で大きな顔をしているのだって、はるか昔に大きな隕石が地球に衝突したことによって恐竜が絶滅した結果らしい。いまだ発見されていない太陽の回りをまわっている伴星ネメシスの影響によるものかどうかはわからないが・・。
 ツヴァイクはその「昨日の世界」を「私が育った第一次世界大戦以前の世界を言い表すべき手ごろな公式を見つけようとするならば、それを安定の黄金時代であったと呼べば、おそらくいちばん適格なのではあるまいか」と書き出している。「大きな嵐がそれを粉砕してしまった今日では、われわれは、あの安定の世界が夢幻の城であったことを、決定的に知っている。だがそれでも、私の両親はその世界に、石造の家に住むのと同じように住んだのである。」 第一次世界大戦がはじまったときに、多くのひとは、これはせいぜい1~2ヶ月で終わるだろう思ったのだそうである。そして、第一次世界大戦の後にはさらに今次の大戦があって、ナチスが欧州を席捲しているのをみて、「私自身の言葉を話す世界が、私にとっては消滅したも同然となり、私の精神的な故郷であるヨーロッパが、みずからを否定し去った」こと感じて、ツヴァイク自死した。

 われわれには未来のことがわからない。今の新型コロナウイルス感染がこの先どうなるのかもまたわからない。
 ジョルダーノは「コロナの時代の僕ら」で、人々が口々に「専門家はこう言っている」といいながら様々な見解をぶつけ合っているさまを記している。同じデータを分析し、同じモデルを共有しているのに反対の結論に達している専門家たち。それを風邪程度の病気というものから、全員病院に隔離すべきというものまで。またちょっと頻繁に手洗いをすればいいというものから、全国で外出禁止令を発令すべきというものまで。
 おそらく各々の手許の資料にあるベルカーブが様々なのだろう。あるいは同じベルカーブをみても何を重視するべきかが異なるのであろう。経済学者と公衆衛生学者では視点がまったく異なる。また、臨床医と公衆衛生学者でも同様である。この治療法を選択した場合の成功率は50%というのは統計学的には意味があっても、臨床の場では「やってみなればわかない」というのと特に変わりはない。
 学者というのはみな大なり小なりタレブのいう「プラトン性」にとらわれている存在で、タレブがいうには、そのために「実際にわかっている以上のことを自分はわかっている」という思い込みから容易には逃れられない。そのため、何かを聞かれるとわかっているような気がして反射的に答えてしまう。専門家というのは「こういう場合にはどうしたらいいのか?」を(素人とは違って)知っている存在であり、だからこその専門家であると思われているので、専門家あつかいされると、答えなければいけないという誘惑に抗するのは容易ではない。それゆえに何かの対策を提言してしまう。だが、その対策が正しいかどうかはやってみなければわからない。いわば、トライアル&エラーである。しかも、現在、実にさまざまな対策(しかもそれがもたらす結果が正反対でありうるような対策が)が同時並行的に行われているのだから、ある結果がでても、それがどの対策の結果なのかがわからない。
 ポパーがよく用いる図式に、
P1→TS→EE→P2 
というのがある、
(P1 最初の問題 TS 暫定的解決 EE 誤りの排除 P2 新しく生じる問題)
 これは生物の進化についての議論であるが、ある生物が現在住む環境において何らかの問題(P1)に遭遇すると、とりあえず変異(TS)という形でそれに答える。それがうまく問題への対応となった場合には、誤りの排除が行われることになるが、その結果また新しい問題も生じてくる(p2)という単純な図式である。
 今さまざまなひとがさまざまに提言している現在のウイルス感染拡大への対処法というのはTSなのであるが、何が問題なのであるかという認識がそれぞれに異なっているので、提出されるTSも様々であり、まったく相反する解決法の提言さえなされうる。しかしそれらすべてが場合によっては相互に効果を相殺しながらであっても、何らかの結果をもたらす。
 今われわれが一番わからないのが、このウイルスのパンデミックが、自分達の「昨日までの世界」を根底から変えてしまうものなのか? それとも通り過ぎるのを待っていればいい一過性の嵐で、収束すればまたこれまで通りの生活が復するのかという点であろう。
 これは誰にもわからないことで、それはわれわれがとにもかくにも今おきていることに対して何等かの行動をすでにおこしていることによって、未来が変わってしまうからである。
 われわれがどのような未来を望むのかということがなければ、どのように行動をすべきかを選択することはできない。しかし、それぞれが望む未来はてんでんばらばらであるかもしれないわけだし、ある結果を期待しておこなった試行が別の予想外の結果をもたらすこともあるかもしれない。とすればわれわれが現在している様々な試みも、その結果がどうなるのかは、まったくわからないことになる。つまり、未来は開かれている。あるいは一寸先は闇。
 しかしとにもかくにも未来を考えるということは、今われわれに守るべき現在があるということで、そういうものがもしも存在しないのであれば、議論はすべて宙に浮いてしまう。
 今の議論をみていると、方向は二つに分かれているように思われる。一つは命が何より大切だという方向であり、もう一つが命があったってお金がなければ生きてはいけないという方向である。前者からは新型コロナウイルスでは死なないためにはどうすればいいかという課題がでてくるし、後者からは感染を制御しながら経済をまわすにはどうしたらいいかという話がでてくる。しかし、両者ともに生きていくこと(死なないこと)が共通の目標になっている。
 経済活動に一切影響を与えることのない活動の制限というのはおそらく存在しない。そうすると、活動の制限によってどの程度までの経済活動の縮小は許容されるのかということの議論が必要とされることになる。しかし、活動の制限がどの程度まで経済活動に影響するのかも、活動の制限をしてみたあとにある程度の時間が経過してはじめて明らかになってくることであり、事前に正確な予想をすることはできない。また経済活動への影響は一律ではなく部門によって大きな差が生じる。さらに、その影響をどう評価するかについては各人の価値観がそれに大きくかかわる。今は「太く短く」ではなく「細く長く」が自明の前提とされている。つまり「命あっての物種」。
 医療もまた当然それを前提にしている。「まず何よりも害をなすなかれ。」 ここから筋萎縮性側索硬化症の問題も脳死判定の問題も生じてくる。
 現在、医療崩壊という事態になることを避けるということが新型コロナウイルス感染対策の大きな柱の一つになっているが、これは暗黙の了解として、トリアージュをせざるをえないような状況にならないようにしたいという含意があるはずである。命の選別をすることは医療の根幹を破壊し現場のモラルを崩壊させてしまう可能性がある。すでに装着している呼吸器を回復の見込みがないということで外したり、高齢で若いひとにくらべると回復の可能性が低いという理由で装着をしないことにする、そういう状況には直面したくない、すべての患者に人事をつくして天命をまてる状況を提供したい。
とはいっても経口摂取ができなくなった患者への胃瘻増設術施行の頻度は日本では高いし、一方では合法的に安楽死が可能になっている国もある。
 わたくしは、尊厳死協会の会員ですべての延命治療を拒否する旨の書類にサインしているかたが何かの病気で入院してきて、「あれは撤回します。すべての可能な治療をやってください。あれは健康なときに考えたことです。病気になって考えが変わりました。」という申し出を受けたことが何回かある。人間は自分ひとりのことに限っても「未来は開かれて」いるわけである。
 熊谷徹氏の「パンデミックが露わにした「国のかたち」」を読んでいたら、ドイツで2012年に「未知のコロナウイルスにより多数の死者が出る事態」を想定した報告書が出されていることが紹介されていた。これは「変種SARS飛沫感染により拡大、一人の感染者が3人に伝播させる。潜伏期間は3~5日だが、最長14日。症状は咳・発熱・息苦しさ、悪寒、筋肉痛、頭痛などの症状で、レントゲンで肺炎の所見。子どもや若者は軽症もしくは中程度の症状で約3週間で治癒。65歳以上の高齢者がしばしば重篤化し入院が必要になる。子供や若者の死亡率が1%、65歳以上の患者の死亡率は50%になる」というもので現在の新型コロナウイルスパンデミックをおどろくほどよく予言しているようにみえる。しかし、この論文が注目されたのは、今回のパンデミックが実際におきたからで、もしもそれが起きなかったとしたら、この論文は永久に埋もれたままであったはずである。
 タレブの「ブラック・スワン」に、9・11のような事態をさけるために飛行機の操縦席に防弾ドアをつけ、ずっと鍵をかけておくことを9・11の前に誰かが提言し、その提案が実行されたとして、その提言者が9・11を防いだ英雄として賞賛されることは絶対にないということが書かれている。なぜならわれわれは起きなったことを知ることはできないからである。
 未来にはほとんど無数のありとあらゆることがおきる可能性がある。しかし、その中で実際におきることはそのごく一部で、その起きたことによって未来がきまっていく。
 新型コロナウイルスによるパンデミックは実際におきてしまった。しかし、もしも初期対応が迅速になされていて、それがうまく運び、ごく狭い地域だけに感染が限定されて収束してしまったとすれば、われわれは今頃、オリンピックなどを話題に昨年までと変わらない生活をおくっていたはずである。武漢での肺炎はローカルな話題としてすぐに忘れ去られたに違いない。

 もしも、キリストの布教が狭い地域に限定したひとつのエピソードで終わっていたら、われわれが今知っている西洋の個人というものも存在しなかったはずで、世界は相変わらず民族間の武力抗争の世界が続いていたかもしれない。科学というのがキリスト教の産物であるかということについては大いに議論があるところであろうが、科学もまた西洋で主として発展したことは確かで、それは宇宙の動きには神がつくった法則性があるはずという信念を背景にしていた。その信念なしには科学はないとすれば、ちょっとした歴史の偶然で、わたくしがいまここでパーソナル・コンピュータなどというもので文章を打っていることなどが決してない世界が存在したはずなのである。
 今、新型コロナウイルス感染パンデミックに対して、さまざまなひとがさまざまな提言を行っている。それぞれのひとは自分が正しいと主張しているが、それが正しいかどうかは現在知ることは決してできなくて、それを教えてくれるのは提言を実行したこと、あるいはしなかったことの結果、未来におきるさまざまな出来事だけである。
 竹内靖雄氏は「経済思想の巨人たち」の「ケインズ」の項で、ケインズが100年以内(2030年まで)には経済的問題は解決されてしまうであろうと予言していることについて、「ケインズほどの人物でも、先の事を見通すプロメテウスではありえなかったわけで、人間は凡人から天才まで、おしなべてエピメテウス、つまりことが起こったあとでわかる人にすぎないのである」と書いている。

 未来のことはわからない。去年、今年の新型コロナウイルスパンデミックを予見できたひともいないし、今年のパンデミックがどのような来年をもたらすのかも誰にもわからない。ただ、ただわれわれは仮説をたてて未来に問いかけるしかない。
 今回の安倍首相の退任だって、7月の時点でそれを予見していたひとはまずいないだろうと思う。本人だってそうかもしれない。われわれの開かれた未来を確実に狭めてしまうものの一つとして病気がある。われわれは致死率100%の存在ではあるが、その死がいつくるのかわからないという意味で“開かれた未来”に安住している。しかし、病の宣告はその未来を閉じたものとしてしまうかもしれない。しかし閉じたものとなるのはその個々の人間の未来であって、世界全体の未来は相変わらず開かれたままなのである。


昨日の世界〈1〉 (みすずライブラリー)

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コロナの時代の僕ら

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経済思想の巨人たち (新潮文庫)

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ラジオ

 自分の記憶を遡ってみると、一番古い記憶というのはラジオのドラマ、それもその主題歌であるように思う。それが「鐘の鳴る丘」であるような気がするのだが、これは昭和22年から25年に放送されたようであるから、昭和22年生まれのわたくしがいくら何でも覚えているとは思えない。後から聞いたものが刷り込まれているのであろう。作詞:菊田一夫 作曲:古関雄二。詞のほうは見事に現実感のないもので、緑の丘、赤い屋根、時計台、そこで山羊が鳴いている。戦後まもなくの焼け野原が空想させた牧歌なのかもしれない。
 それで確実にリアルタイムに聞いたと思われるのが「新諸国物語」、とくにその「笛吹童子」。主題歌の作曲は福田蘭堂。尺八の奏者であったと思う。ちょっと調べてみたら、なかなかどうも大変な人で、結婚詐欺で食べていたような人でもあるらしく、今なら確実に文春砲の餌食である。しかし、尺八の奏法の改良には大きな貢献をしたひとらしく、もしもこのひとがいなければ、あるいは「ノベンバー・ステップス」も生まれていなかったのかもしれない。
 売春が世界最古の職業であるのなら、女をだまして金を巻き上げるというのもそれにおとらず歴史が古いのかもしれない。人間、食べるに窮したら何をしても許されるわけで、こういうのはどうもどちらが悪いということでもないような気もする。「伊勢物語の男は・・「わがせしがごとうるはしみせよ」なんぞとあじなセリフをのこし、ドン・ファンの貫禄、一個の女の流血を踏まえつつ、死ぬやつは死ね、あとふりむかず、行くさきざきに女あり、すべての柔媚なる指を食いつくし、食ってしまったものに未練は微塵もないという気合はけだし陽根の栄養学である。(石川淳「恋愛について」(「夷斎筆談」))」
 福田蘭堂は「不・くだらんぞ」のもじりであったように思う。二葉亭四迷(←くたばってしまえ)のようなものである。
 閑話休題、その次が「少年探偵団」。この主題歌の言葉がまた難しい。「勇気凛々瑠璃の色・・・」。わたくしが本を読みだしたのは小学校高学年での「怪人二十面相」からだから、存外、このラジオ番組はわたくしに大きな影響を与えているかもしれない。
 テレビが来たら、ラジオをきかなくなって、それで次はいきなり「パック・イン・ミュージック」。大学受験から大学初年の頃? 覚えているのは北山修の少し甲高い声と笑い声、それと野沢那智白石冬美のコンビの少し下がかったやりとり。野沢那智はテレビ「0011 ナポレオン・ソロ」のデイヴィッド・マッカラムの声を担当していたと思う。
 
 テレビからのスピン・オフ?でラジオなどと書いていたら、安倍さんが辞任するらしい。
 安倍さんは、本来は「美しい国」のひと「ココロ」の人なのだと思う。憲法改正にこだわるのもその美しい国に反するものとして現在の憲法があると考えるからであろう。安倍応援団もまたその路線で支持した。しかし、最初の失敗の後、捲土重来を期して、今度はアベノミクスなどといいだしたので、応援団はさぞかし困っただろうと思う。アベノミクス銭金の問題であり、「モノ」の問題で、「ココロ」の問題ではない。しかし、「美しい国」よりはまだそれはなにがしかの成果をあげた。とすると憲法改正の安倍から経済の安倍にシフトしていった。「ココロ」から「モノ」へ。
 一方、朝日新聞社は反=安倍を社是にしているのだそうであるが、それは朝日新聞の旗印が平和憲法であるからで、そうであれば、憲法改正など、断固として、許すことはできない。では朝日新聞社は経済についてはどう考えているのかといえば、経済格差のない社会、ぎすぎすした競争のない世界、みんな仲良くの方向であるように思う。(教育勅語の世界に近いような何か。)
 朝日新聞が奉る「平和憲法」というのはフランス革命のときの「理性教」なのだと思う。天皇崇拝から理性崇拝へ。なぜ新憲法戦争放棄が書き込まれたのかといえば、戦場での日本兵が強かったからなのだと思う。あんな奴らにまた鉄砲をもたせたらやばいぜ、ということから憲法第9条ができた。では憲法第1条は? 占領政策遂行にまだまだ天皇制は利用価値がある、というより昨日まで「天皇陛下万歳!」といっていた日本人を占領統治するには天皇制を利用するしかなかったからであろう。
つまり日本はいまだに“Occupied Japan”が続いていることになる。
 とすると実は安倍首相も朝日新聞社もめざす方向は同じであることになるが、それに至る手段が違うだけということになる。そして両者がともに敵とするのが、勝ったものがすべてをとるような世界、1%と99%が対立するような世界である。
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ 常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
《一旦緩急あれば》以下は朝日新聞としては困るかもしれないが、基本的には朝日新聞が希求するのは争いのない世界、みんななかよくの世界で、教育勅語の世界なのだと思う。
 しかし、アベノミクスでは救済されず、むしろその結果として沈んでしまったような人々が一部、強力な安倍応援団となっているということがある。いわゆる嫌韓嫌中の路線で、安倍氏が日本は特別だという路線をとっていると信じるが故の支持である。
 では朝日新聞はどうかといえば、こちらもまた日本特別路線をとっているのでやっかいなことになる。日本は平和憲法を持っているがゆえに世界を先導する特別な国であるというわけである。
 日本はアジアの端に位置する渺たる小国で、かじ取りを誤れば未来がないという謙虚な気持ちは右にも左にも乏しいように思われる。これは昭和のある時期、世界での5本の指に数えられる大国にようやく成り上がったと思いあがった甘い記憶が、まだ潜在的に残っていて払拭されていないということなのであろう。
 しかし、今後、新しい宰相がだれになるにしろ、美しい国路線をとるとは思えない。
 天谷直弘氏に「「坂の上の雲」と「坂の下の沼」」という論があって、日本は「坂の上の雲」をみあげている自信がない謙虚な時にはいいが(明治期、昭和20年以降の何年か)、変に自信をもってしまうと(昭和前期、また高度成長期にJapan as No.1 などといわれて天狗になった時期)すぐにだめになって、「坂の下の沼」に転落してしまうとしていた。
 安倍氏は自分が宰相となってしたいと思ったことはほとんど何も成し遂げることができなかったかもしれないが、それでも、とにもかくにも歴代宰相中最長という長期の在任をすることによって何事かをなしとげることができた人のように思う。あるいは、それこそが最大の業績だったかもしれない。
 今後しばらくは、また短命な宰相の交代の繰り返しが続くのではないかと思う。
 以上、書いても何の意味もないことは承知の床屋談義。

テレビ

 日本にテレビが普及したのはいわゆるミッチー・ブームの時だから、わたくしが小学校高学年のときで、我が家にテレビが来たのも、小学校6年の時だったと記憶している。大宅壮一一億総白痴化といったのも、その頃だったかもしれないが、もちろんそんなことは知る由もなく、もっぱらアメリカ製のテレビドラマをみていた。というか、このころテレビで放映されていたものの多くはアメリカ製のドラマだったと思う。順不動でいくつかあげてみると、
 〇パパはなんでも知っている:アメリカの家庭というのはごく普通の勤め人でも、広い芝生の庭つきの大きな家に住んでいるというイメージはこれによってつくられたような気がしないでもない。描かれている家庭の奥さんは専業主婦であったように思う。後で、原題が「Father knows best」であることを知って何といううまい翻訳だろうと仰天した。
 〇ソニー号空飛ぶ冒険:男性二人組がヘリコプターで様々な事件を解決する話だったと思う。そのヘリの名前がソニー号。番組のスポンサーもソニー。今だったら、こんなあざといことはできないだろうが、黎明期には許されたのであろう。わたくしはこのテレビ番組で、はじめてソニーという会社の存在を知った。
 〇ローハイド;西部劇。とりたてて記憶に残っている場面もないが、端役ででていたクリント・イーストウッドが後に高名な俳優、監督になったのには驚いた。その主題歌の英語が文字通り「一句も解せない」のには閉口した。
 〇ヒッコック劇場:一話完結の話のはじめ(と後にも?)ヒッチコックがでてきた。恥ずかしながら、ヒッチコックの名前をこれでしった。
 〇ペリー・メイスン:弁護士もの。これに触発されて早川ミステリのE・S・ガードナーのペリー・メイスンものを随分と読んだ。
 〇ローン・レンジャー:「単独行動の警備隊員」というような意味のタイトル? 白人の主人公とインディアンの従者という今なら絶対に作れないだろう設定の話。S・キングの「IT」の最後のほうに、自転車に乗った少年が坂を下るシーンで「ハイヨー・シルバー!」と叫ぶところがあるが、若き日に「ローン・レンジャー」をみていたわたくしには、その意味がわかるわけである。
 〇0011ナポレオン・ソロ:これは上記などより少し後のもので、ロバート・ボーン主演の007もののパロディー。副主人公を演じたデイヴィッド・マッカラムに人気がでて変なことになってしまった。橋本治のコラム集「ロバート本」と「デビッド100コラム」はその主人公を演ずる俳優の名前のもじりである。
 犬が主人公のものも2つほどあったような気がするが、動物ものは苦手でみていない。
 後、「ベン・・ケーシー」などの医者もの。どういうわけかテレビドラマで主演をはるのはみな外科医である。ベン・ケーシーも脳外科医であったような気がする。主人上についてはほとんど何も覚えていないが、何かででてきた老医師が、患者に「あなたのような科学の側の人間がどうして神の存在を信じることができるのですか」というようなことをきかれて、「人間の体の仕組みの精巧さと神秘を知れば知るほど、それを創造した神の存在の偉大を感じざるをえません」といったことを答えるシーンがあって、詭弁だなあ、しかしアメリカ人はこのような詭弁にころりと騙されてしまうのだろうか、というようなことを考えたことだけを妙に覚えている。

 以上、なんだかんだよく見ているなあと思うが、それがある時から、ほとんどみなくなった。きっかけは、團伊久磨氏の「パイプのけむり」を読んだことで、そこに團氏がテレビなどという電気紙芝居などをみているとただただバカになるばかりである。俺は一切、そういうものはみない、と書いてあるのを読んで「フーン」と思い、では自分もそれをやってみようかと、テレビを見ない生活を実践してみたところ、あら不思議、ひと月もしないうちにテレビをみなくても全然どうということはないことがわかり、それ以来、ほとんどテレビを見ない生活になってしまった。(実は、團氏の本では「パイプのけむり」と同じくらい面白かったのが「不心得12楽章」という女性論?で、まだ純真な高校生であったわたくしはずいぶんといろいろなことを教えられた。「パイプのけむり」が八丈島に住む世間を見下す高踏派的文化人としての團氏の本であるとすれば、「不心得・・」は、粋人風の国際人である團氏が書いたもので、今でも覚えているのがフランス女性との会話で、「メルシ・ボク・ボク」というのがでてきたことで、会話の流れからすると、この「メルシ・ボク・ボク」はフランス女性のものでなければいけないはずなのに、なんで「メルシ 僕 僕」なのかと思ったのである。メルシというのは知っていたが、ボクというフランス語はまだ知らなかったわけである。恥ずかしい。
 以上、昔のことで覚えているのは、どうもこういうくだらないことばかりである。そういう体たらくだから、予備校に通っていたときに習ったことについても、いまだに覚えているのが、ある数学の先生がいった「君たちがやっているのは数学ではない。本当の数学は、1メートル離れた2点の間に30cmの物差し1本で直線を引けるか」というような問題を考えることなのだ」といったこととか、某国語の先生がいった「君たちは、女性を見ると美人だとかグラマーだとかいって騒いでいるが、自分の歳になると、そんなことはどうでもいい。女は心だよ! 心! といいたいが、いつまでたってもダメなのだなあ! これはつまらん女だ、悪い女だ、とわかっていても、美人だとつい惹かれてしまう!」といった話とか。後者、いくら少数とはいえ、予備校の生徒には女性もいたはずなのだが。
 実は父がある時期テレビにでていた。そのころのテレビはまだのんびりしていて、昼のワイド・ショーに育児相談のコーナーがあり、小児科医の父が勤務する病院が某テレビ局の近くであったこともあってそこにでていた。このことで驚いたのが、地方にいくとテレビにでているひとは神様とはいわないまでも大著名人あつかいされることであった。すでにあったワイド・ショーの司会の木島則夫とか桂小金治とかの発言が大きな影響力をもっていた。
 今年3月末でいくつかの仕事をひき、昼間家にいることが多くなったので、ときどきテレビをつけてみると、ワイド・ショーというのはとんでもないことになっているようで、その司会者は全日本人を代表しているがごとき口吻である。最近、インターネット空間での誹謗中傷が問題になっているが、テレビ空間で素人があんなに偉そうな顔をしているのだから、ネット上の発言者がそれを真似たくなるのもまたむべなるかなという気がする。
 それでは専門家のいっていることはというと、専門家の意見もまた区々で全然かみあわないわけで、そうであるなら、それをみている素人が、これなら俺と特に変わらないではないかと思って、俺にもいわせろ!という気になるのもまた仕方がないのではないかという気がする。
 そうしてみると黎明期のアメリカ製のテレビドラマはとにかく30分とか一時間という時間、視聴者をひきつけておくということについては非常に真剣であったように思う。それに比べると、最近の「半沢直樹」というのはみてはいないけれど、新聞にかかれていることを読む限り、視聴者におもねているとしか思えない。こうやれば受けるな!話題になるな!と思う番組つくりをして、それに思惑通りに視聴者が踊らされているのだから、何をかいわんやである。

 飯島耕一に「川と河」という詩がある(「バルセロナ」所収)。その途中から。

 一九四五年夏/ きみは 疎開先のN町の/ S医院の 母屋の庭で(母屋というものがあった)/ S氏や 看護婦さんたちと/ ラジオをとり囲んでいた。/ みんな黙りこくっていた/ 空だけが上のほうにあった/ まわりの人の顔が/ 見られなかった/ 泣くことも笑うこともできない /とはあのことである。
 突然 S医師が/ 銀行へ行って お金をおろして/ 来るようにと/ 奥さんに命じた/ そのときのS氏のことばが/ いつまでも/ 耳の底に/ 不快なものとして/ 残っていた/ だが いまは そうばかりとも思わない/ 日本の戦後は /S氏のことばのほうへと /いっさんに駆け出したのだ。
 テレビも夏も終わって/ 考えることもなく、/ 三島由紀夫のことを考える。/ 高いベランダで 三島が死んだ日の夜 /きみはニースから来た/ ひとりの婦人と会っていた/ そのいつも快活なおばあさんは/ 日本をよく知っている人である。/ 大森の 室内照明は完全なのに/ 何か暗い ホテル一室で/ はじめて見る疲れた 暗い顔を/ 彼女はしていた/ 三島の死に方/ と彼女は くらいくらい顔をした。
 生きているときは/ 三島を それほど好きではなかったのに、いま 三島のことを/ しきりに考える。/ 三島のいないいまになって。
 彼はテレビに出て/ まっ白な麻の服なんか着て/ 豪傑笑いなどしていたが、/ ほんとはテレビもきらいだったにちがいない/ テレビのあとの こんなむなしさ/ は耐えられなかった にちがいない/ その三島の気持ちは よくわかる。
どんな立派な西洋館に住んでも/ 模造西洋に すぎなかった/ 軍服さえも にせものだった/ ぜったい本物の/ 鴎外のハイカラ/ に 彼はひけ目を感じつづけたのである/ 彼は にせものの軍服を着て/ 一切のテレビに反抗して/ 自滅した。
 彼は 正月の元旦のような気分が/ 一年中 ほしかったのだろう/ あわれな男。
 テレビをきらっていては/ 生きては行けない/ (きみがじいっとがまんして/ テレビを見る練習をした一刻一刻)/ 日本中がテレビを囲んで 放心している。
 詩は テレビに耐えて/ 必死になって 存在しようとしている。// 日本には ついに/ 思想らしい思想は 生まれないのか、/ と悲しみながら/ 風の日の しめ切った あつい/ 電車に乗っている。/ きみは悲劇的な/ 死者たちばかりを愛している。

 確かに《日本中がテレビを囲んで 放心している》ように思える。あるいは、テレビとネットを囲んで放心しているのかもしれないが・・・。
《日本には ついに 思想らしい思想は 生まれないのか》
 テレビにでているコメンテイターが日本の思想家ということになっているのだろうか?
 あるいは本の表紙で胸の前で腕を組んでふんぞり返って偉そうにしているあの人この人が日本の思想家なのだろうか?
 現在73歳のわたくしはそのほとんどをテレビとともに生きてきたことになる。
 とはいっても、34歳で書いた学位論文は原稿用紙に手書きである。まだ日本語ワープロがなかった。
日本におけるインターネット開始は1984年ごろらしい。36年前、であれば、ちょうどわたくしの人生の真ん中あたりということになる。
 わたくしがこのようなブログをはじめたのは野口悠紀雄氏の「ホームページにオフィスを作る」にそそのかされて(?)である。この本が2001年(約20年前)。自分のホームページを作ってもおそらく誰もみてはくれないが、自分は見ることができる。自分に必要な資料をネット空間においておけると野口氏はいっていた。確かにそうで、勤務先で自宅にある資料を(ホームページにまとめておけば)いつでも参観できるというのはとても便利であった。野口氏がそのようにいっていたのは、インターネットの黎明期には検索エンジンの機能がプーアであったことが大きい。
 しかし2006年には梅田望夫氏の「ウエブ進化論」がでて、氏の本で「ロングテール」という言葉を知った。検索エンジンがわずか5年ほどで大幅に進歩したということなのであろう。検索エンジンが進歩すれば、今までであれば永久に埋もれてしまっていたであろう情報が誰かに発見される可能性がでてくる。もしもその情報がネット空間に発信さえされていれば・・。
しかし梅田氏は今のネット空間の現状には希望をもてなくなっているようである。
 昔、床屋談義という言葉があった。床屋さんで髪をかってもらいながら口角泡をとばして、政治の現状を大いに慨嘆したとしても、それがその時間と場所を離れたら、何の意味ももたないことを談義するひとも、それを聞かされているひともよくわかっていた。
 落語の「寝床」みたいなもので、下手な義太夫をきかされる人の数は多寡が知れていた。それが今では、下手な義太夫も全世界に発信できる時代になってきているわけである。
 テレビだって黎明期にはプロの世界だったのではないかという気がする。それが今ではプロとアマチュアの区別がどんどんとなくなってきている。あるいは受ければプロ。受けなければアマチュア
 またまた見ていないで書くのは恐縮だけれども、「半沢直樹」には歌舞伎の役者さん達がたくさん出演しているらしい。かれらは本来はプロ中のプロであるはずなのだが、テレビに出ると単に大袈裟とか誇張とかいった方面だけが面白がられるということになるのかもしれない。それならいっそのこと隈取もつけたらというのは冗談だけれども、むしろそこまでいくとテレビの現状というのがもっとはっきりと見えてくるような気がしないでもない。
 テレビの司会者やコメンテイターも隈取でもしたほうが、それが果たしている役割がもっと見えてきて、視聴するひとももっと距離がとりやすくなるかもしれない。

パイプのけむり選集 旅 (小学館文庫)

パイプのけむり選集 旅 (小学館文庫)

山崎正和氏

 山崎正和氏が亡くなられたらしい。

 多くのかたがそうではないかと思うが、わたくしも最初に読んだ山崎氏の本は氏の出世作の「世阿弥」であった。何だか変に近代的な世阿弥の像だなあというような感想を持った記憶があるが、特に感銘は受けなかった。この本は誰かに貸したままになっていて再読もしていない。
 最初に感嘆したのは「鴎外 闘う家長」であった。ここに提出された鴎外像は、実際の鴎外の姿とはあまり関係はないのだと思うが(実際の鴎外は「ドーダの人、森鴎外」であったり、陸軍軍医総監として鴎外であったりしたのであろう)、「家長」という規定、あるいは勤勉な傍観者という規定は明らかに山崎氏が鴎外に自己を投影したものであろう。特に単行本p145の「空車(むなぐるま)」を論じたあたり「此車は一の空車に過ぎぬのである。」 堂々とはしているが内側は空虚であるというのは山崎氏の自己規定なのだろうと思う。旧来の日本文学であれば、その空虚を延々と描くのであろうが、山崎氏の描く鴎外は空虚でありながらも、家長としての役割を果たす人である。
 次の「不機嫌の時代」は「鴎外」ほどは面白く感じなかった。そこに描かれた直哉、荷風漱石は、鴎外ほどには氏にとって感情移入ができない存在だったのであろう。
 鴎外には家長という役割を引き受ける覚悟があった。しかし、もはやわれわれにはそういう役割があたえられていないのだとしたらという設定でかかれたのが戯曲「おう エロイーズ!」で、登場するのは、アベラールとエロイーズと朗読者3人だけ。一幕物のウエル・メイド・プレイである。「ときは1118年、アベラール39歳、エロイーズ17歳」。 要するに何も信じることのできない中年男のアベラールが、自分はアベラールを愛しているということを確信して疑わない、まだ小娘のエロイーズに迫られておたおたする話である。家長として尊敬されるというのであればいいのだが(それは役割を果たせば、すむことだから)、でも男として愛されるというのは困る。そこに真実というような言葉がでてきてしまうから。
 「千百十八年。この年はまた、人間の歴史にとって記念すべき年だったといえるかもしれない。まぜなら人類はこのアベラールとエロイーズによって、初めて純粋な男女の愛というものを知ったと考えられるからである。男と女の愛。女と男の愛。これを口実にしてひとは社会に叛き、親子を裏切り、ときに夫婦のきずなを断ってもなお良心の咎めを免れる。この不思議な言葉を人類が知ったのが、思えば千百十八年であった。」「私は夢を見ているんです。いつまでも、あなたの日陰者でいたい。そして年をとったらみんなに指をさしていわれたい。あれがアベラールの囲い者だった女だ、お気に入りの娼婦だった女だよって。」 
 三島由紀夫は「第一の性」で「文楽の人形芝居を御覧になった方は、すぐに気がつかれると筈だが、そこでは深層のお姫様が、「一度でいいから、あなたと寝てみたい」などと恐るべきことを口走り、男のほうはモジモジ、ウロウロ、煮え切らない態度でひたすら守勢に廻っている」と書いているが、ここに描かれているのもまさにそれである。「男は愛については専門家ではなく、概して盲目で、バカである。男は愛についてはまだお猿さんクラスですから、愛されるほうに廻るほかない。」(三島「同」)
 ということで、アベラールはまだ学問の世界の歴史に名を遺した人物だからよかったが、この話を現代の日本に移してだだの市井の男女の話にするととどうなってしまうかというのが「舟は帆舟よ」で、ただもう陰陰滅滅である。自分の内側に何もないと思っている人間は、自分の内側に踏み込んでくる人間にはただたじろぐしかない。
 いわゆるスパイMを主人公にした「地底の鳥」は男女の世界ではなく、政治の世界の話だから、何ものも信じないということが必ずしも弱点とならないという設定で劇がすすむ。
 山崎氏は政治の分野でもいろいろと発言していて、世間的には右派の論客として知られていたのかもしれない。その方面の書作も「柔らかい個人主義の誕生」とか何冊か読んだが、特に説得されたとか打たれたという記憶はない。氏としては、進歩派のひとたちの論をみて、それがあまりにお粗末であると感じたので、ただその感想を書いただけということかもしれない。
 また氏には、「社交する人間」という一種の文明論もあるが、「世界文明史の試み」というちょっとかわった本も書いていて、これはJ・ジェインズというひとの「神々の沈黙」という奇書にかなりを依拠している。「神々の沈黙」というのは、まだ書き言葉を知らない時代の人類は右能に神の声を直接聞いていたのであり、まだ意識というものをもっていなかった。意識の起源は朗誦詩人の「イーリアス」から文字による叙事詩創作の「オヂュセイア」へ移行する時代、今から3千年前であるというようなことを述べた本である。こういう本を真面目に論じている氏は相当に変わったところもあるひとだったのだろう、と思う。
 氏は書評するひとでもあって、「「厭書家」の本棚」という書評本もあるが、わたくしにとって一番面白く、かつ教えられたのは、本についての対談本、鼎談本である。丸谷才一氏との対談本「日本史を読む」「二十世紀を読む」、丸谷氏、木村尚三郎氏との鼎談書評本「鼎談書評」「三人で本を読む」など、対談・鼎談書評本は多くあり、本当にいろいろと教えられた。
 ここには機嫌のいい社交家としての山崎氏がいて、氏の最良の部分がでているのではないかと思う(これは丸谷氏にもいえることのような気がするので、丸谷氏には講釈をたれたがるという悪癖があって、誰かに一方的に話す場では、偉そうが鼻につく。しかし自分と同等の知識をもつと思うひと同士では君子の交わりとなって、話がいい方向に回転していく)。
 ここでは「日本史を読む」の相田洋氏の「電子立国日本の自叙伝」を論じた部分から。
 丸谷「各社を横断してつくった団体のことが出てきますね。LSI技術研究組合。・・・それが数年後に再会して、思い出の会を開く。そのときに彼らが、散会に近くなったときにみんなで歌を歌う。「俺はおまえと同期の桜」と。(笑)
 山崎「たまたま私はその場面をテレビ放映のときに見ているんですよ。・・・あの「同期の桜」を歌うところは、なんと言ったらいいのかなあ、象徴的でしたね。メンタリティーが完全に戦前の日本人なんです。(笑)
 丸谷「この本を読んでいると、実に戦後奇人列伝という感じがするんですね。ほんとうに頑固で、わがままで・・・」
 山崎「つまり、楠正成なんです。・・・私の経験的な感じを言っても。日米の学界を比較すると、明らかにアメリカのほうがボス社会です。・・・日本の場合は、ボスというのは大山巌将軍でなければならないわけです。つまりぼんやりと君臨して、みんなの気持ちをまとめていく。・・・年中みんなを集めて酒をのんでいたそうです。これが、日本のリーダーなんですよ。・・・「研究の方向はこちらである。・・君の分担は、これだ」ということを言うことはできないわけですね。・・・」
 もう一冊。山崎・丸谷両氏に木村尚三郎氏が加わった「鼎談書評」から、吉田健一著 磯野宏訳「まろやかな日本」を論じているところから。
 丸谷「吉田健一にとって、人の足を引っ張るという日本社会の風習は不思議でしょうがないものだったんですね。吉田さんという人が一種の奇蹟的存在であったいちばん大きな特色は、こういう現代日本の村落共同体的性格に対する、ほとんど先天的な理解の欠如ではないでしょうか。」
 山崎「そこで出てくるのが「反米」なんです。アメリカ文明というのは浅薄で、日本に何の影響も及ぼさないというところだけ、吉田さんに似合わず少し激してるんですよね。イギリスと日本という、どちらも何かトロトロと説けたような、不可思議なとこで育った人が、一箇所明快にいえるのは、「アメリカ人はバカだなあ」ということなんだと思う。
 丸谷「吉田さんが亡くなったあと、中村光夫さんと故人を偲ぶ話をしたんです。そうしたら中村さんが、「アメリカっていう国が存在することを、黙認してやるっていったような調子だったねえ(笑)」
 山崎「吉田健一という人の精神は、戦後日本を生かした一つの意地の固まりみたいなところはあるかもしれませんね。」

 山崎氏は「僕の一番の業績は氏が創設にかかわったサントリー学芸賞かもしれない」といっていたのだそうである。氏もまた、若い才能を見出すことに喜びを感じる人、人の足を引っ張る方向には無縁の無私の人だったのかもしれない。

 わたくしの山崎正和三冊。
1)「鴎外 闘う家長」
2)「おう エロイーズ!」
3)「日本史を読む」

地底の鳥 (1979年)

地底の鳥 (1979年)

鼎談書評 (1979年)

鼎談書評 (1979年)

日本史を読む (中公文庫)

日本史を読む (中公文庫)

8月15日

 毎年8月15日は「終戦記念日」として、各地で行われる様々な式典が報道されている(今年はウイルス感染拡大防止のため大分、規模が相当縮小されたらしいが)。しかし、「終戦記念日」というのはまことに奇妙な呼称であって、それだけみれば、単に戦争が終わったことを記念する、あるいは忘れないようにしようというだけのことである。
 本来であれば8月15日は、「終戦」ではなく「敗戦記念日」でなければいけないはずであるが、「敗戦記念日」というのも、これもまた変で、「戦争に敗れたことを記念する」ということになれば、そこには臥薪嘗胆、今度こそは負けないぞというニュアンスだって含まれてこないとは言えない。
 8月15日は「玉音放送」が流された日であり、ポツダム宣言受諾は8月14日、降伏文書調印式は9月2日であるから、本当の「終戦の日」ではないわけであるが、それでも8月15日を「終戦記念日」とすることに多くの日本人が異を唱えない、あるいはおかしく感じないということは、「玉音放送」が当時の日本人にいかに強いインパクトを与えたかということであり、また天皇という存在が昭和20年8月15日の時点においていかに大きなものであったかということでもある。だからこそ日本国憲法でも天皇制は残ることになった。
 つまり「終戦記念日」というものには、新しい日本が始まることとなった日、そのことを寿ぐ日というニュアンスが根底に色濃くあることを感じる。戦前の日本と戦後の日本、それを分かつ日が8月15日であるという意識がわれわれにはあって、この日が新しい日本の出発の日となったという思いが、ことさらこの日を大きなものとしている。
 「終戦記念日」に語られるのは、戦地の悲惨であり、銃後の生活の苦労である(もっと言えば飢餓、そこまでいかなくても空腹)。そしてまた、戦後の時間の経過とともにそれらの悲惨を経験したひとが高齢化していくことにより、その体験が語りつがれなくなっていくことへの危惧も語られる。
 しかし戦争の悲惨というのが75年以上も前にわれわれがおこなった戦争の体験から言われているのであれば、それからもう3/4世紀の時間が過ぎて、戦争の形態というものが当時とは大きく様変わりしている現在においては、ただ当時の悲惨を強調することの説得力はこれから急速に失われていくことは避けられないものと思われる。
 「終戦記念日」がわれわれに教えてくれていることは、われわれは自分の力では戦争を終結させることができず、終結のためには、天皇の言葉という力を必要としたということである。それゆえに「日本国憲法」でも天皇制を排することができなかった。
 そしてもう一つ、われわれが曲がりなりにも戦争を終結させることができたのは、広島と長崎への原爆の投下という事実があり、それによる筆舌につくせない惨禍をわれわれが経験したということの帰結でもある。
 もしも、この原爆投下ということがなかったとしたら、われわれははたして戦争を終結させることが出来たであろうか? というのは考えても詮無い歴史上のイフであるが、われわれのこころの奥底のどこかに、戦争を終わらせるためのきっかけをあたえてくれた《アメリカ軍による原爆投下》に感謝するというような心情がいささかでもないものか、それは難しい問題であるように思う。
 原爆忌での報道をみると、それは愚かな戦争をはじめたわれわれを懲罰するために、天上から降ってきた神の下した鉄槌のような扱いのように感じることが時々ある。よくいわれることであるが、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」というのもとても奇妙な文で、「安らかに眠ってください。」と呼び掛けるのはわれわれ日本人であろうが、そうであれば「過ちは繰り返しませぬから」もまた日本人の言葉であるはずで、原爆投下もまた、われわれが犯した過ちということになる。どういう過ちか? 愚かな戦争をはじめて、いくら配色農濃厚になっても、それをいつまでも止めることが出来なかったという過ち。
 加藤典洋氏の「敗戦後論」によれば、連合軍当局から日本憲法草案が提示されたとき、日本の憲法草案検討作業の場の日本の閣僚たちに検討のためにあたえられた時間はわずか十五分であったという。これは原子爆弾という当時存在した最大の権力によって日本に有無をいわせず押し付けられたもので、「国際紛争解決の手段として武力を行使することはしないと宣言する憲法が、原子爆弾という当時最大の「武力による威嚇」によって押しつけられた」ということになる。当時、たとえば美濃部達吉氏の考えた憲法改正案第一条というのは以下のようなものであったという。「日本帝国ハ連合国ノ指揮ヲ受ケテ 天皇之ヲ統治ス」
 いうまでもなく、加藤氏は押し付けられた憲法だから反対、自主憲法をつくれという方向のひとではなく、この憲法は素晴らしいものである。だから、もう一度、われわれの手で選び直せというきわめてまっとうな主張をしたわけであるが、右からも左からも文字通りボコボコに叩かれた。
 「敗戦後論」の冒頭は1991年におきた湾岸戦争において出された文学者たちの《戦後憲法の「戦争放棄」の条文》を根拠とする反戦著名声明への違和感から始まっている。「そうかそうか、では平和憲法がなかったら反対しないわけか。」
 村上春樹湾岸戦争のときにアメリカにいて、ずいぶんときつかったことを回想している。「日本人の世界の理屈と、日本以外の理屈は、まったくかみ合っていないというのがひしひしとわかるんですね。・・・自衛隊は軍隊ですよね。それが現実にそこに存在するのに、平和憲法でわれわれは戦争放棄をしているから兵隊は送れないんだと、これはまったくの自己矛盾で、そんなのどう転んだって説明できないです。・・・これはやはり日本にいたら気付けなかったことだと思うのです、理屈ではわかっても、ひしひしと肌身には迫ってこなかったんじゃないか・・・それと同時に、いまの日本の社会が、戦争が終わって、いろいろとつくり直されても、本質的には何も変わっていない、ということに気がついてくる・・・近代の日本を戦争に導いたものというのも、そういうずるさ、あいまいさではないですか」 これは河合隼雄との対談での発言であり、河合氏はそのずるさは必ずしも否定すべきではないと対応するのであるが・・。
 昭和16年12月の開戦は、明治以来、日本が国是としてきた「西欧世界の利権に自分達も参加させてくれ!」という方向を放棄して、「西欧世界は西欧世界で勝手にやってくれ! もう西欧世界との付き合いにはとことん疲れた。われわれはアジアのほうでやっていくから、それを認めてくれ!」というはなはだ後ろ向きのものであったのではないかと思う。開戦の時に多くの国民が感じたという解放感、頭上に重くのしかかっていたものが消えて、霧が晴れたような清々しい感じというのは、西欧というわけのわからない魑魅魍魎の世界との付き合いからもう解放されるのだという思いに由来するのではないだろうか。そして、8月15日の敗戦において、今度は、もう世界の基準から降りる。日本は世界に参加するだけの成熟をまだしていない国だったのだから、戦争というような世界の標準からは降りる、大人の世界のことは、他の国々にまかせる。ただ今は子供の世界の甘い夢想のように思えるだろうことが、どこか遠い未来においては、やはり人類の理想だったのだと理解される日が、ひょっとすると来るかもしれない。それに希望をつないで、もう少しわれわれの生き方、行き方を黙認して見ていてほしいというようなそういう気持ちで来た。
 しかし戦後75年がたったが、いまだに世界は変わっていない。それどころか、漠然と世界がその方向に進んでいるように思ってきた西欧啓蒙の方向がいたるとことで否定され、露骨な力の誇示が前面にでた世の中へと世界が逆行していることを感じさせる事象が目立ってきているというのが、今われわれが感じていることではないかと思う。
 だから、終戦記念日というのもますます内向きになり、後ろ向きになってきて、積極的な方向の見えないものとなってきているように感じる。わたくしの父は軍医として南方の島に送られ何とか生き残って帰ってきた。晩年の父は日本社会党の党員だったのではないかと思う。様々なニュースをみて、戦争のへ匂いを感じる、きな臭いものを感じるというのが口癖だった。多分それは自分の筆舌に尽くしがたい経験がそうさせたのだろうと思う。
 おそらく父の戦友であったのであろう矢数道明という方が書いた「ブーゲンビル島 兵站病院の記録」という本には、父は第二次編成第七六兵站病院将校名簿に内科医の一員として名前があがっている。戦後、父は小児科医であったが、戦地において小児科医などはなんの役にも立たないわけで、それで内科医なのであろう。この本によれば、第七六兵站病院は南方第十七軍司令部直属の部隊として、つねに軍司令部と共に第一線から離れた後方勤務に従事したとあり、比較的平穏な後方兵站病院の記録とあるから、第一線の野戦病院などと比べれば苦労はまだ少ない状況であったのであろうが、それでも、やはりそれは父としては人生最大の筆舌に尽くしがたい経験であったのであろう。しかし、父はその経験についてはわたくしには何も語らなかった。
 後10年もすれば、自分自身の体験としての戦争経験を語れるひとはほとんどいなくなるであろう。今の若い方に終戦記念日などといっても、わたくしが若いころにきいた明治維新という言葉に感じた感覚に近いものなのかもしれない。われわれの世代にとって、明治以前は過去あるいは歴史であって、明治以降が現在につながる。とすれば、今の若いかたにとっては、戦前までの日本はすでに過去あるいは歴史に属するのであり、戦後の日本こそが現在につながるのかもしれない。
 かりにコロナ騒動が収束の方向にむかっていたとしても、来年以降の終戦記念日の式の規模が縮小していくことは避けられないのではないかと思う。

敗戦後論 (ちくま学芸文庫)

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天皇の戦争責任

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ブーゲンビル島 兵站病院の記録(オンデマンド版)

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  • 作者:矢数道明
  • 発売日: 2001/09/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

Yiğidim Aslanım

 実は、このタイトルをどう読むのか知らない。You tube でピアニストのファジル・サイを見ていて、偶然いきあたった曲のタイトルである。最初は作曲家でもあるサイ氏が作曲した曲なのかとも思ったのだが、オーケストラは全員休んでいて、サイさん一人のピアノ伴奏で、オーケストラ後方のコーラスが物悲しい旋律を斉唱していくというだけの曲である。サイさんはトルコのひとなので、おそらくそちらの言葉なのだろうと思うがWikipediaで調べても、日本語はおろか英語の解説もでてこないので、曲についてはよくわからない。
 いろいろみていくと、どうやらサイ氏が作曲した(のではないかと思う)Nazım Oratoryosu という曲(これはオーケストラ、ピアノ、合唱、独唱と語り・・・これが極めて重要な役割・・・わたくしがみた You tube ではGenco Erkal という名の老優の大熱演・・からなる大曲で、タイトルをみれば、そらく オラトリオの一種ということなのであろう)の後に、アンコールとして演奏されたものなのではないかと思う。多分、聴衆もみな知っている旋律のようである。トルコ独立を指導したケマル・アタテュルクと関係があるのではないかという気もするが何しろ、一句も解せずのトルコの言葉であるから、全然違っているかもしれない。
 まったく偶然目にした(耳にした?)大人数がただただ斉唱する歌がもつある種の祝祭性というか祭儀性が気になって書いてみた。たまたま数日前に「第九」の持つ音楽の祝祭性というかロマンへの傾きについて書いたばかりなので、この曲の調子が気になったのかもしれない。
 小林秀雄の「モツアルト」は、そういうタイトルではあるが、いいたいことはベートーベンが音楽に導入したロマン主義の全否定で、自分が若いときにどっぷりとつかりきったランボー経由のロマン主義の路線の懺悔の書である。しかし、さすがにハイドンまではもどれず、モツアルトの悲しみの疾走までは許容するのであるが・・。しかも、ゲーテの若き日の疾風怒涛の時代の否定を借りて、自分をゲーテになぞらえるというなかなか芸の細かいところもみせている。
 音楽は宗教的儀式にその起源をもつことは間違いないわけであるが、ロマン派の音楽はその方向を全面解放してしまったので、後世のひとはその毒を消すのに大変な苦労をさせられることになった。
 しかし、多くの人数で一つの旋律を斉唱するというただそれだけのことで、そこから何等かの祭儀性がいやおうなく立ち現れてくるのだとすると、音楽がその根に持つ祭儀性の問題はきわめて根が深いことになるのだろうと思う。