アメリカ南部

 現在、入院中なので、普段と違い、蔵書などを参照できない環境で書いている。それで、持ち込んだ本を読むしかない状況で、たまたま持ってきたピンカーの「人間の本性を考える 心は空白の石板か」(NHKブックス 2004年)を読んでいる。
以前読んだ時にはそれほど感じなかったのだが、いかにもインテリさんが書いた本である。この本は「人間の心は、遺伝的に決定される部分と文化的に決定される部分の複合である」ということを啓蒙しようとするものである。
 「そんなことは当たり前ではないか」と思うひとも多いかもしれないが、たとえば「男女の違いはもっぱら文化的に形成される」という考えは広く流布していて、親が子供の性別によって男の子はかくあるべし、女の子はかくあるべし、という思いで育てるから(女の子にはお人形さんを、男の子には玩具の機関車を!)現在普通にみられる男女の差が生まれるので、男女差といわれるものはもっぱら文化的な産物で、後天的に形成されるのであるという考えは広く流布しているのではないかと思う。
 あるいはこれは日本ではあまり受け入れないかもしれないが、「人間が今のようであるのは神様がそのように造ったからである」という考えは西欧ではまだまだ根強いのかもしれない。(アメリカでは「聖書の創世記を信じているものが76%いるそうである。」
 ピンカーさんはそれには明確に反対の立場なので、それで啓蒙のために本書を書いたのであろうが、何しろ最初からロック、ホッブス、ルソーである。あるいはデカルト、ライルである。
 本論の最初の10ページにそういう名前が次々に出てくるのだから、インテリさん以外はまず読み続ける意欲を失ってしまうだろうと思う。

 しかし、今回、考えてみたいのは、本書の最終第6章「種の声 五つの文学作品から」でとりあげられているマーク・トウェインの「ハックルベリ・フィンの冒険」についていわれる「『名誉の文化』が暴力を引き起こす」という部分である。ピンカーはこのトウェインの小説が「南北戦争前の南部の欠点と人間本性の欠点」を示しているのだという。
 特に「名誉の文化のなかに生まれる暴力」。それは名誉の心理から生じるもので、血縁者への忠誠、復讐の渇望、タフで勇敢だという評判を維持しようとする動因がひとまとめになった感情であり、これが増幅されやすい地域の一つがアメリカ南部である、という。
 昔、三島由紀夫の「第一の性」を読んでいたときに、《男は負けるものか、負けるものか》という原理で動いているということが動いているということが書いてあって、伊丹十三もまったく同じようなことを書いていた(「男たちよ! 女たちよ! 子供たちよ!」?)
 これをよく覚えているのは、「本当かなあ?」と思ったからで、自分はどうしてもそう思っているとは思えからである。谷沢永一「人間通」を読んだときにも同じことを感じた。「隣の蔵建ちゃ、儂腹が立つ」とか「隣の貧乏、密の味」とか、あの「紙つぶて」を書いた谷沢さんがこんなことを考えていたのかと驚いた。人間ってもう少し崇高なものではないかな、というような感じである。
 もっともわたくしは男性性が相当に乏しい人間だと思っているので、普通並みの男性度であれば、「負けるものか! 負けるものか!」というのが当然なのだろうか?
 ピンカーはこういう心理はヤノマモ族にもみられると書いているし、ゴリラなど様々な動物にもみられるとされている。しかし、アメリカ南部にも色濃くみられるという。

 今、こんなことを書いているのは、トランプ大統領の言動の背後に、また熱狂的なトランプ支持者の行動の背後に、この心理がみられるのではないかと思うからである。
 今、未読の「ハックルベリ―・・・」を取り寄せているので、読んだらまた感想を書くかもしれない。

人間通 (新潮選書)

人間通 (新潮選書)

岡田 暁生「音楽の危機 《第九》が歌えなくなった日」

 本書の大部分は昨年の4月から5月にかけて、新型コロナウイルスの感染拡大を受けてコンサートなどが次々に中止になっていった時期に書かれたということである。(最終章のみは6月後半)
 著者はいわゆるクラシックの分野での評論に長年たずさわってきたかたである。
 副題に「《第九》が歌えなくなった日」とあるが、これは本書の執筆時期での感想であって、昨年末にはÑ饗の「第九」の演奏会もおこなわれていた(ただし、かなり規模を縮小したオーケストラと従前の半分以下のコーラスというかなり中途半端な編成であった)。また今年のウィーンフィルのニュウ・イヤー・コンサートは聴衆なしで行われていた。これは世界中への放映があらかじめ契約されていたであろうと思われるので、ホールに聴衆がいようといまいと、確実にその演奏を映像を通じてリアルタイムに(あるいは録画で)聴く(見る)ひとが何万・何十万といるということがわかっていたということがあってやった、あるいはやらざるをえないということだったのかもしれない。東京オリンピックを無観客でもやるというようなものかもしれない。聴衆からの拍手がないラデッキー行進曲というのも奇妙なものであった。
 本書のかなりは《第九》(あるいは第五「運命」)をめぐる考察で占められている。岡田氏は「実はわたし自身も昔から《第九》は苦手だった」と書いている。ここでの「自身も」の《も》は、「《第九》に押しつけがましさを感じる人も少なくはないだろう」というその直前のセンテンスを受けてのものである。
 第九交響曲は当初構想されていた二つの交響曲を一つにしたものといわれている。現在の第三楽章までにオケのみの第四楽章がつくものと、合唱をふくむ別の構想の交響曲を一つにしたらしい。当初構想されたオケのみ交響曲の第4楽章のテーマは他の弦楽四重奏曲に転用されている。
 第九交響曲というのは第一から第三までの楽章が実によくできているとわたくしは思うので(たとえば冒頭の空虚5度、第三楽章の二つのテーマによる変奏曲・・)、第四楽章になって、とってつけたように、それまでの楽章を否定していくというやりからは、そこまでの音楽を聴いていた聴衆に対して礼儀に悖るのではないかと思う(その点、ははるかに「運命」のほうが構成が純一である)。

 ベートーベンはかなり若いときから「シラーの歓喜によせて」に曲をつけることを構想していたらしい。もしも弦楽四重奏に転用されたテーマによる終楽章による第九番目の交響曲というものができていたら、これはどちらからというと晩年のピアノ・ソナタ弦楽四重奏の方向の交響曲になっていたのではないかと思う。
 しかしベートーベンには晩年の沈思黙考路線とは別に、人々をアジテートして説教したいという欲求もあり、それが若年時の「悲愴」ソナタから英雄交響曲、さらに運命へと結実したわけであるが、晩年までその欲求が消えることがなかったことが、「第九」交響曲(4楽章)や「荘厳ミサ」などにつながったのだろうと思う。

 わたくしはもしも西洋の歴史上、後世に一番大きな影響を与えた人物というのを選ぶとしたらベートーベンではないかと思っている。もしもベートーベンがいなかったら、いわゆるクラシック音楽というのは、現在ではすでに古典芸能となっていたのではないかと思う。
 そしてベートーベンによってかろうじて生き延びてきたクラシック音楽も現在、古典芸能化する危機の瀬戸際にきているのではないかと思う。
 おそらく現在、クラシック分野の評論家といわれるようなひとで、西洋古典音楽は現在、存亡の危機に立たされているのではないかという意識を持っていないひとはまずいないるはずで、岡田氏の音楽批評の根底にもつねにそれがあるはずである。
そのクラシック音楽の危機を白日のもとにさらすことになったのが、今回の新型コロナウイルス感染であったわけで、本書の執筆の動機もそこにあるものと思われる。
 要するに現在においても西洋古典音楽を聴くことはわれわれにとってまだリアルなものであり続けているかという問いである。

 ベートーベンが後世に残した最大のものはロマン主義という問題であって(ブラームスシューマンシューベルトマーラーブルックナー・・・)、もっと広くいえばフランス革命後の西洋(とそこにおける個人)という問題である。
一人一人の人間にかけがえのない価値があるという考え方はフランス革命後に広まったものであり、(少なくとも若い時の)ベートーベンはその最大の扇動者の一人であったわけである。
 そしてわれわれは音楽以外にもう一つ、個人が有する価値の発見の形式として小説というものをもっている。これまた西欧由来のものであるが、少なからぬひとがまた小説という形式もまたその役割を終えつつあると感じているのではないかと思う。

 現在、西欧クラシック音楽が直面している問題の根にあるのは上記のようなものであると思うが、それに対する岡田氏の回答はかなり混乱しているように見える。
 そもそも西洋古典音楽を愛好するのでなければ、氏が音楽評論という立ち位置をえらずぶはずがない。氏はその愛するものが滅びることがあってほしくないと思っているが、現在クラシック音楽のコンサートに通っているひとのほとんどはそのような危機意識は抱いていないわけで、その点で氏はクラシック音楽愛好家のなかでもすでに少数派である。
 コンサートに通うひとの大部分は単にクラシック音楽が好きなだけなのだが、岡田氏はもちろんクラシック音楽が好きであるとしても、(それ以上に?)クラシック音楽とその運命について考えるのが好きなのである。

 本書に縷々説かれるように、クラシック音楽のコンサートは西欧近代市民社会の成立と不可分なものである。
 それで、今回のコロナ禍のように人が密に集まることが忌避されて、コンサートを開くこと自体が自明のものとはいえなくなると、それが直ちに西欧の黄昏という方向の話と結びついてくることになる。

 今われわれはここ何十年か(何百年か?)信じてきた(西欧近代由来の)価値観を根底から揺さぶられる事態に直面している(これを書いている時点で、アメリカ議会に群衆が乱入しているという報道がなされている)。
それはコロナ禍によって促進されているものではあると思うが、イギリスのEU離脱などはそれ以前から進行しいたわけで、明らかに“西欧民主主義”への何度目かの懐疑にわれわれは直面しててる。おそらく両次世界大戦で経験した幻滅がようやく癒えてきたと思われる時期がどこかにあったはずなのに、現在は明らかにそれがまた失われようとしている。

 だから第九を能天気に演奏する、歌うなどということが、何か空々しく感じられるようになってきているということがある。

 しかし人間には「祭り」への志向あって、別に本気で信じていないものでも神輿に担いで騒ぎたいということもあるので「、第九」を歌っているひとが、あるいは演奏しているひとが必ずしもシラーの「喜びによせて」の歌詞の意味内容に共感しているというわけではないはずである。要するにみんなで集って騒ぎたいという本能?の発散である。 

 もちろん、そういうことは岡田氏も百も承知なのであるが、 なにしろ沢山のことを知っている人であるから、アドルノの第九批判とか、流浪の民としての音楽家とか様々な議論が動く。

 さらに音楽の専門家であるから、上部倍音の話とか、カタストロフの予言の曲として「春の祭典」とか、ヘリコプター弦楽四重奏とか一部好事家にか通じないような話が延々と続く。
わたくしにはヘリコプター弦楽四重奏などというのは「思いつき一発」というだけのもので、それ自体で価値があるものとは思えないのだが・・。

 後のほうにでてくるミニマル・ミュージックなどについての議論も、そもそもそれを好んで聴くひとがどれだけいるだろうと思う。一部のマニアックな人間だけではないかと思う。

 つまり「第九」という非常にポピュラーな音楽の議論がいつの間にかごくわずかの好事家しか知らない聴かない曲の話へと移ってしまうわけで、教養が邪魔をするというか、あまりに沢山のことを知りすぎていて、それがかえって骨太の議論をできなくさせているように思う。

 第一章 「社会にとって音楽とは何かー「聖と俗」の共生関係」。
 何だか「言語にとって美とは何か」を思わせるタイトルである。大袈裟すぎないだろうか? 
 近代市民社会は「文化」と「非文化」を峻別してきたが、本来、芸術と芸能は地続きであって、人々が肩をよせあて集うという「三密空間」での人々の営みをその基盤としているのであり、コロナ騒ぎは、その根底を問うものとなったということが論じられる。しかし、西洋古典音楽はその一方で、孤独な音楽という方向も育んできたはずで、すでに晩年のベートーベンの音楽にその明らかな萌芽がみられる。
 そして西洋音楽マニアというのはマニアになればなるほど、「非文化」に根をもつ「3密」の傾向の音楽より、孤独な音楽のほうへと向かう傾向があり(人々の音楽から自分個人の音楽へ)、そのことが一人で自分でピアノを弾く、あるいは仲間と合奏をする、あるいは部屋で一人録音された音楽をきくという音楽享受の方向をすすめてきた。それがグレン・グールドのような音楽家を生み出したのであろうと思う。
 ライブの音楽と放送されたものあるいは録音されたものを一人で聞くという二方向化の問題である。

 小説を読むという行為は一人でやるものである。みんなで集まって本を読むなどというのは本道からはずれている。今度のコロナ禍でも、小説や詩を読む行為はほとんど影響されていないはずであり、岡田氏が本書を執筆し出版し、わたくしがそれを読むことを阻害するものは何もない。

 第二章「音楽家の役割についてー聞こえない音を聴くということ」
 音楽とは世界の気配をいちはやく察知する「予感」に最大の機能があるということがいわれる。(炭鉱のカナリア
たとえばストラビンスキーの「春の祭典」が第一次世界大戦のカタストロフを予感したものであったといったことがいわれる。そういうことであれば、まず中期までのベートーベンの音楽は西欧市民社会の勃興を誰にでもわかるように明示したものである。
ここではウェーベルンの作品が示す第一次世界大戦の予感といったことが論じられるが、そもそも今日、ウェーベルンの音楽がどのくらい演奏され、どのくらいのひとに聴かれるのだろうか? これはクラシック音楽好事家のための音楽である。こういう話題が一般書にでてくるところが知識人としての岡田氏の持つ問題を示しているのだろうと思う。

 第三章 音楽の「適正距離」 メディアの発達と「録楽」
 音楽には「ライブ音楽」と「録楽」という全く違う別々の二種類の音楽がある。録音された音楽は音楽ではないという主張が紹介される。そしてジャズの即興演奏などが論じられのだが、ジャズの即興演奏もまた録音されるので、いまひとつ論旨がはっきりしない。

 《間奏》 非常時下の音楽 ― 第一次世界大戦の場合
 第一次大戦勃発当初、闘いにはなんの役にもたたないものと音楽はみなされたが、戦争が長引くにつれ、戦意高揚、あるいは単にひとびとを慰めるものとしても不可欠なものとされるようになっていたことが述べられる。
これは今後、コロナ禍が長期化したときに予想される事態ではないかと岡田氏はしている(但し、3密を避けるという問題はある。

 第4章 《第九》のリミット ― 凱歌の時間図式
第九(あるいは第五)の音楽様式は暗がりから光の世界へという近代市民社会のヴィジョンそのものである。それがコロナ禍によって自明のものではなくなってきている。とすれば、われわれは近代とはなんであったかを再検討することがせまられていることになる。われわれの世界が右肩上がりでよくなっていくというヴィジョンそこが第九(第五)が示しているものである。今、その自明性に再検討が迫られている。実はベートーベンは晩年のピアノ・ソナタなどですでに自分でそれをおこなっているのだが・・。
 ここで岡田氏の話はショスタコーヴィッチにうつる。
 わたくしはショスタコーヴィッチについて、スターリン体制下で生きたことは彼自身にとっては大変な不幸であったと思うが、もしその体制の強制がなく自由に音楽をつくれたとしたら非常に才気煥発な前衛音楽家でおわったのではないかと思っている。体制との軋轢があったからこそ、今のわれわれが知るショスタコーヴィッチの音楽が残ったのであり、作曲家が何をしているかについて権力の側がまったく関心をもたなかったであろう状況下で生きた西側の作曲家より(それで結局ある時期の西側の作曲家は今日のわれわれが聴くに値する作品をほとんど残していない。
 単に作曲家としての才能がベートーベンより劣るとしてもショスタコーヴィッチは同時代の作曲家よりも十全に自分の才能を発揮することができたのではないかと思う。
 ここで岡田氏はフルトヴェングラーの第九演奏に言及して特にその第3楽章を賞賛し、第九は公共圏に訴える要素ばかりではなく親密圏にもまた訴える要素をもっているからこそ傑作なのだという。(ショスタコーヴィッチの音楽は一見公共圏に訴えるものでありながら、実際にはほとんど親密圏への訴えでできているように思うのはわたしだけなのだろうか? だからこそ今でも演奏され聴かれるのではないだろうか?

 第5章 音楽が終わるとき ― 時間モデルの諸類系
 われわれがいまだに右肩上がりの時間モデルから縁を切れないのは《音楽》に一つの原因があるのではないかと岡田氏はいう。
 それほど音楽に力があるのだろうかとわたくしは思う。

 第6章 新たな音楽を求めて ― 「ズレ」と向き合う
 ここで論じたれるのは、ラ・モンテ・ヤングとかリゲティとかアンドリーセンとかライリーとかほとんどリゲティ以外ほとんど聞いたことのない作曲家の話で、ベートーベンと対比させるのは根本的に無理があるのではないかと感じた。

 終章 場の更新 ― 音楽の原点を探して
 今のコンサートホールは教室の空間であるのでそれを更新しなければならないということがいわれる。しかしホールをもっとも必要としているのは19世紀につくられたクラシック音楽である。なかでもオケと合唱。

 岡田氏はあまりにたくさんのことを知りすぎているのだと思う。それで議論がどんどんと拡散していく。

 つまりいくら「第九」を批判してもフルトヴェングラー「第九」には感動してしまう人である。
 一方で西欧近代のいきづまりということも身をもって感じているわけで、大きな方向として今時、能天気に「第九」にナイーブに感動しているひとには違和感と禁じえない。しかし、本当の本物の音楽を近代批判の文脈の中で捨て去ってしなうのもしのびない。それで議論が揺れるのだろうと思う。
 第二次大戦後、前衛音楽といわれる大量の無機的音楽が作曲されたのは、大戦で音楽が戦意高揚に使われたことへの反省からであるといわれている。絶対にひとを感動させない音楽、その大部分はもうまったく残っていない。
 ある作曲科の学生がいっていた。「ブーレーズの曲は、楽譜をみたら本当に美しいんですよ。」 でも演奏したら? たぶんああいう音楽というのは頭できく音楽なのである。
 昔、昔、どこかでブーレーズの「主のない槌」の演奏をきいたことがある。みんな神妙な顔をしてきいていた。

公衆衛生 魔法の弾丸 新型コロナ

 今年は新型コロナウイルスで明け暮れた一年だったけれども、これは公衆衛生の果たす役割を改めて見直すことになった一年でもあったのではないかと思う。
 医療関係者には周知のことである1848年のゼンメルワイスによる手洗いの励行が産褥熱を劇的に減らしたという事実は、これがまだ病原菌も知られておらず、もちろん抗生物質もなかった時代における最善の感染症対策を示したわけである。
 しかし1928年のペニシリンという魔法の弾丸の発見(実用化はそれからさらに15年くらいしてからであるが)は病気の直接の原因を叩くというきわめてわかりやすい疾患への対応のやりかたをわれわれに示したわけで、またわれわれが抱く科学のイメージにもよく合致するものであったため、それ以来、病気になれば薬をのめばいいというかたちでの医療のイメージが、医療者の側にも患者さんの側にも浸透していくことになったのだろうと思う。
 特に江戸時代には医師は薬師と呼ばれていた日本では、もともと薬信仰が強かったため一層それが強かったかもしれない。
今回、新型コロナウイルス感染拡大により、マスク・手洗いなどという近年ではあまり重視されていなかった前近代的とも思えるやりかたがあらためて提案されて多くのひとが面食らっているのだと思う。
 わたくしのように医療の側にいる人間にとっても、今年、手足口病の流行がきわめて少なかったこと、現在すでに12月末であるのにインフルエンザの症例がまだほとんど見られていないことなど、面食らう事態がおきている。
 それがもしもマスク手洗いといったことの励行の結果であるとすれば、魔法の弾丸をわれわれが手にして以来のわれわれが抱く医療のイメージに大きな転換をせまる事態がおきていることになるのかもしれない。
 しかし、どこかで研究が進んでいるはずの新薬がもしも新型コロナウイルス自体の増殖を劇的に抑える効果があることが明らかになれば、マスクや手洗いなどはまたどこかに忘れて、かりにコロナウイルスに感染しても薬をのんでなおせばいいや、という方向にまたもどっていくのではないかと思う。
 われわれは何か問題がおきれば、それへの対策がどこかにあるはずであると考えることにすっかり慣れている。もしも洪水がおきればそれに備えるダムをつくらなかった人間が非難される。しかしあらゆる大雨にも大雪にもすべて可能な対策があるはずであるというのは人知に対する明らかな過信であるはずである。
 だから今は地球温暖化が諸悪の根源であるといった方向に議論がいき、温室効果ガスの排出を抑制するにはどうしたらいいかという対策でいろいろな提案がされている。最近のレジ袋の廃止というのも風がふけば桶屋が儲かるといった論理のつながりで、それを目的にして施工された施策らしい。
 今年のはじめにアフリカのほうでバッタだったかの大量発生で大変なことになっているという報道があったが、その後、どうなったのだろう。ブラジルやアメリかの山火事も。
 どこかで、われわれの周囲から昆虫がへりつつあるという報道を聞いたことがある。もちろん、昆虫がいなくなれば植物の受粉もなくなり、われわれも生きていけなくなる。
 どこかで今われわれが想像もしていないことがおきて、われわれの生活に根源的な変化を迫るという事態はいつ何時おきるかわからない。
 今回の新型コロナウイルスの流行は、そのことへの警鐘を鳴らしているのかもしれない。

Books&Apps

 先月のはじめごろ、ティネクト株式会社の安達さんという方からメールがあり、その会社のBooks&Apps というメディアに何か書きませんか、という話だった。
 寡聞にして、そのメディアについてはまったく知らなかったが、何回かやりとりの後、ためしにこんなものでいいですか?と,、短い文を提出したところ、
そういうのでいいです、ということになったので、これからしばらく月に1~2回なにか、そこにも書いていくことになると思う。

 このBooks&Apps というメディアは主に働いている方をターゲットにしているようで、仕事をしていく上で生じてくる様々な問題や悩みなどについて意見を交換するような場になっているようである。わたくしのようにもう半分現役を降りている人間の話が何かの役に立つのかはなはな心もとないが、比較的公的な文はそこに、書物についての私的な感想などはここに書くという住み分けで、しばらくやっていくことになるかと思う。
 最近、ただでさえ書く頻度が減ってきているので、書き分けるとなるとさらにアップする頻度が減るかもしれないが、とりあえずの報告です。

三島由紀夫 没後50年

 最近、書店にゆくと三島由紀夫関係の本が目立つなと思っていたら、今年は没後50年ということらしい。
 もっとも多いといってもやや目立つ程度であるから、三島もかなり忘れられた作家になりつつあるということでもあるのかもしれない。
 没後50年に敬意を表して「中央公論特別編集 彼女たちの三島由紀夫」という本(雑誌?)を買ってきた。「執筆者 対談相手は女性に限る(除く中村勘三郎)。三島の発言も「婦人公論」から採録」、という方針で作られたものである。まだパラパラと見ただけであるが、湯浅あつ子氏(「鏡子の家」の鏡子のモデルとされる方であるらしい)の「三島由紀夫の青春時代」という文章が哀切であった。
 三島が死んだ日のことはよく覚えている。医学部1年生で、例によって午前の講義はさぼって、午後からの実習にでるために昼頃、学食に入ったら、そこのテレビに「「盾の会」隊員自衛隊に乱入。三島由紀夫自殺」というテロップが流れていた。最初に思ったのは、自衛隊に乱入したのは「盾の会」の一部会員で、三島はその報をきいて、自宅で自殺したのだろうというようなことであった。しかしテレビをみていると、どうも「自衛隊に乱入した人間の中に三島もいるようである。それで思ったのが、三島が世間をからかう遊びとして作った「盾の会」の隊員が「先生、立ちましょう!」などと真顔で蜂起をせまってくる。「どうも、困ったものだ。しかし、自分が作った以上、責任がある」ということでつきあったというようなことであった。
 わたくしが三島を読んでいることを知っていた同じクラスの民青の活動家が「キミ、三島の気持ちわかる?」などときいてきた。「どうも、命と暮らしを守る、などといっている人間には、人が責任をとって死を選ぶ場合もあるということがわからないのかな?」などといささか優越した気分になった。
 いずれにしても、わたくしも三島が本気で死んだとはまったく思っていないわけである。おそらくその当時のひとのほとんどがそう思っていただろうように、わたくしも「知性の人三島由紀夫が、反=知性の極北のような「天皇陛下万歳」などということを真剣に信じている」とはいささかも思ってはいなかったわけである。(今でも、そう思うところが残っていないわけではない。)
 しかし、家にかえって夕刊を見てみるとどうも変である。事件の当日朝、新潮社のひとに「新潮」に連載していた「豊穣の海」最終巻の「天人五衰」の結尾の原稿を渡していたと書いてある。「女々しいじゃないか! 三島は最後まで文学を捨てられなかったのだ!」そう思った。それに「天人五衰」はその年の4月から「新潮」に連載がはじまったばかりである。半年で結末にいたるというのも信じがたい。
 実は「天人五衰」の連載がはじまったその年の4月の「新潮」を本屋で立ち読みして、「何か変だな?」とは思っていた。まず題名が予告されていた「月蝕」とは違っていた。また最終巻は「豊穣の海」の狂言回しである本多繁邦が4人目の転生者を探す話であったはずなのに、いきなり転生者とおぼしき人間が出てくる。しかもそれが何とも安っぽい人間で、安永透というなんとも作者の愛情が感じられない名前になっている。変だ、変だ、とは思ったが、作者が構想を変えるというのはよくあることなので、それ以上は深く考えなかった。(「豊穣の海」は第三巻「暁の寺」から変調をきたしていて、転生者で主人公であるはずの「月光姫」にはほとんど存在感がなく、狂言回しであるはずの本多繁邦が主人公になってしまい、その本多さんは覗きなどをはじめ、観察者への嫌悪、行動しない人間への軽蔑という主題が前面にでてきて「春の雪」「奔馬」とのバランスを大きく欠くことになっていた。)
 後から考えると、70年安保がほとんど何事もなく、平穏に終わってしまったことが、すべてを狂わせてしまったのであろう。1970年の東京が大騒乱になり、左翼勢力から天皇制(といっても日本国憲法に規定された天皇制ではなく(などてすめろぎはひととなりたまひし)、日本の文化の精髄を体現する存在としての天皇)を守るために「盾の会」を率いて斬り死にする、という計画が崩れ、死に場所がなくなってしまった。それであのようなわざとらしい大袈裟な舞台装置をしつらえるしかなくなった、ということなのだと思っている。晩年の三島は文学にすっかり愛想をつかして、「実」への志向に急傾斜していったのであろう。
 そうなってしまったのは、三島が東大法学部を出たのがいけない、というのがわたくしの抱いている仮説である。文学部を出ればああいうことにはならなかったと思う。東大法学部卒業生は日本の官僚制度の中心にいて日本を動かしている(三島も短期間、大蔵省勤務)。しかし自分は東大法学部を出ているのに結局、文学などという「虚業」に携わっているという劣等感にずっとさいなまれていたのではないかと思う。
 それと、有田八郎との「宴のあと」裁判に負けたというのも大きいのではないだろうか? 東大法学部を出ているのに三島は裁判に負けたといって世間は自分を笑っているのではないかといういわれのない思いからも逃れられなかったのではないだろうか?
 湯浅あつ子氏の文「三島由紀夫の青春時代」で、湯浅氏は三島のことを「運動神経皆無」と評している(そして、からっきし喧嘩ができない、とも)。同類であるわたくしとしては大変うれしいが、ボディビルなど無駄な抵抗をせずに、運命を甘受すればよかったのである。わたくしはスクワットなどを一所懸命にやっている老人をみると、「ケッツ」と思うのであるが、そんなことをいっているわたくしは万一もっと長生きしたら寝たきり老人になること必定である。
 三島はもしも長生きしたら、谷崎潤一郎ではなく永井荷風のようになることを非常におそれていたのだそうである。長生きした三島由紀夫という仮定で書かれた松浦寿輝の「不可能」という素敵に面白い小説がある(2011年講談社)。「三島由紀夫吉田健一になる」というのがこの本への三浦雅士氏の評であるが、三島はある時期まで藤原定家を主人公にした小説を書くというプランをもっていたそうである。「紅旗征戎吾事に非ず」という方向への傾斜もまたずっと持っていたのであろう。それを断念したころから、切死にという方向へ一直線に傾斜していったのであろう。
 上野千鶴子小倉千加子富岡多恵子の鼎談「男流文学論」では、三島もとりあげられている。そこで富岡多恵子が「三島は結婚がいやだから死んだ」という説を開陳している。「要するに、たかをくくっていたわけよ。結婚ぐらいできる、と。・・結婚はやっぱり、そんななめたものじゃない。彼はなめてかかっていたのとちがいますか。なめてかかった。ところがそれがなめてかかって済むことではなかった。かれにとってなかなかたいしたものだった。」 上野千鶴子は口をとがらせて反論しているが、これを見ると上野千鶴子は完全な女・三島由紀夫である。というか、完全に男である。人生を自分の知性で完全にコントロール下におけると思っている人である。
 橋本治の「「三島由紀夫」とは何ものだったのか」は、三島を「塔のなかの王子様」と評している。自分は塔のなかに閉じこもっているから安全であり、誰にも自分の内面に踏み込むことはさせない。自分は自分をわかっている。しかし他人が自分の内面に踏み込んでくることだけは絶対にさせない。橋本治は、これは日本の近代知識人のもつ共通の病弊であると思っていて、その典型を三島にみているわけである。自分は奥さんを完全に理解している。しかし、奥さんには自分の内面には絶対に立ち入らせない。三島はそれができると思って結婚した。しかしそうは問屋がおろさなかったというのが富岡説である。
 まったく偶然であるが、わたくしは三島夫人の瑤子さんと面識を持ったことある。たまたま父君の杉山寧氏を看取ることになったという縁による。杉山家のかたがたを見て、芸術一家というのもなかなか大変なものだと思った。(三島の死後もう20年以上たった時点で、受け持ち医として短期間かかわっただけの縁に過ぎないが、)少なくともその時の瑤子氏はオカルトのひとという印象であった。三島があのような死に方をしたことによって、そういう方向にいったのだろうか? 杉山氏は、生没が同一の日になっているが、これは死亡宣告をいつの時点とするかは医者の特権であることにもよる。杉山家、なかでも瑤子氏の希望によるものだったように記憶している。わずか数日の接触ではあったが、三島由紀夫もなかなか大変だったろうなあ、と思った。
 ということもあって、わたくしは富岡説に強く共感するのであろう。
 飯島耕一の「川と河」という詩に、「彼(三島由紀夫)は 正月の元旦のような気分が 一年中 ほしかったのだろう あわれな男。」という一節がある。  
 「彼女たちの三島由紀夫」にも収載されている倉橋由美子の「英雄の死」という文章に、「三島氏が楯の会の青年たちと風呂にはいっているときその他の、要するに文学以外のことをしているときの顔は、四十代の男の顔とは思えぬ晴朗さで輝いていて、曇りのない眼というような形容はこの三島氏の眼に使わなければならない」とあるのもこのことを言っているのであろう。
 三島氏が、時々、珠玉の短編を書くだけで生きていけるマイナー・ポエットの立ち位置でいられたら、あのような死はなかったであろう。しかし「鏡子の家」の不評の後、ふたたび文芸誌連載へと戻らなければいけなかった氏にはそれは叶わないことであったのだろう。
「永すぎた春」とか「美徳のよろめき」とか「美しい星」とかいった小説を書くことで生きていければよかったのに・・。
 小説の衰微がいわれて久しい。小説は小人の説であり、市井の渺たる個人にもその内面には神話の英雄にも比すべきドラマがあるという信念がそれを支えている。しかし、集団と集団が対立し、「あいつはアカだ!」というような粗雑な言葉がまかり通るようになれば、小説の命脈が断たれるのも時間の問題であるのかもしれない。あと20年もすれば三島由紀夫の名も忘れられ、小説という形式さえ過去のものということになっているかもしれない。
 

不可能

不可能

「お人好し時代のアメリカ」

 「お人好しの時代のアメリカ」というのは、ドラッカーの自伝?である「Adventures of A Bystander 」の最後の章のタイトルである。(本書の邦訳の題名は「ドラッカー わが軌跡」(上田惇生訳) 「傍観者の時代」(同じく上田氏訳) 「傍観者の時代 ―わが二〇世紀の光と影―」(風間禎三郎訳)といった様に様々なタイトルとなっているけれど、単純に直訳して「傍観者の冒険」とするのがいいのではないかと思う。冒険などするはずのない傍観者の冒険、というのが意表をつくし、傍観者、冒険と、Bの音が頭韻を踏むのもしゃれているし・・・。
 1938年にドラッカーが六週間のヨーロッパ取材旅行に際し提出した所得証明の書類を見て移民局の係官が、あなたの履歴ならもっと稼ぎがいい職があるよと親切に世話をしてくれそうになるエピソードからこの章は始まっている。その時代のアメリカは不況であったが、アメリカ人には特有の人の好さと行動力あったとドラッカーはいう。嫉妬や羨望とは無縁の社会で、誰かの成功は皆の成功だったのだ、と。そしてアメリカではまだコミュニティが健在だった、と。
 あるスウェーデン訛りのある年配の牧師がルーテル派教会の日曜礼拝でした説教をドラッカーは紹介している。
 「私たちは大変な時代に生きています。しかし、皆さんのご先祖は、ヨーロッパの絶え間ない戦争、憎しみ、虚栄から逃れて、この地にやってきました。国の名誉という不正と愚行、軍の栄光という政府の専横には与しない自由の人として生きるために、冬のみぞれと夏の砂嵐のなかで荒野を耕してこられました。皆さんのご先祖は、人に従うのではなく、法に従う新しい国をつくるためにこの国に来ました。私たちが、今日のこの苦しみを乗り越え、最後にして最良の希望の地であり続け、空しい帝国のリストの末席に加わることのないように、祈りましょう」
 ドラッカーはこの話に感動したが、しかし、よき意図だけでは、もはや間に合わないことも感じていた、という。国際主義者と孤立主義者の対立が、すでにアメリカの夢を引き裂いていたのだから。そして、この説教をきいてすぐに日本の真珠湾攻撃のニュースをきいた、と記す。それによりお人好しの時代は終わり、アメリカは大国になる道を選ばざるをえなくなったのだ、と。

 このドラッカーの「わが軌跡」は本当に面白い本で、あまり面白いので、ちょっと出来すぎではないかと感じるところも多々ある。事実、栗本慎一郎氏は「ブダペスト物語」の一章で「傍観者の時代」(「わが軌跡」)の第6章「ポランニー一家と「社会の時代」の終焉」を論じ、はなはだロマンティックなその記載について多くの修正の必要を指摘している。
 どうもドラッカーはサービス精神旺盛というか話を面白くしすぎる人のようである。とはいっても、ドラッカーも末席に参加していたある雑誌の編集会議で、カール・ポランニーが次の雑誌のテーマとして、1)張作霖などの中国軍閥間の内戦、2)世界市場での農作物価格の下落が世界恐慌の引き金になるかもしれないことについて、3)スターリン治下のソ連は独裁農奴制の復活であるという話、4)同時まだ無名であったのケインズという経済学者の書いた「平和の経済的帰結」について、の4本のテーマを提案したが、他の編集委員に反対され、それでドラッカーにでは何かほかにいいテーマはあるかときいたので、ドラッカーは、「では、ヒトラーの政権奪取というテーマはどうでしょう」と提案したが、選挙で大敗したばかりのヒトラーについて(ポランニーとポランニー以外の)編集委員はもはや再起不能と思っていて、そんな話題はとりあげる価値なしとして反対したことなどが書かれている部分だけをみても、素敵に面白い。世に具眼の士はいるものである。(もしもここが創作でなければ)やはりカール・ポランニーというのは大した人であるし、ドラッカーもまた。
 だから牧師さんの説教のすぐあとに真珠湾攻撃のニュースというのはいささか出来すぎで、潤色があるのではないかと思うのだが、日本の真珠湾攻撃アメリカに孤立主義を捨てさせる最後の一押しとなったことは確かである。
 今のアメリカの混乱の一つの要因が国際主義と孤立主義の対立にあるのかもしれないが(片方は、なにしろ国境に壁を作ろうというひとである)、「私はアメリカ合衆国の国旗、並びにその国旗が表すところの共和国、全ての民のために自由と正義を備え、神の下に唯一分割すべからざる一国家であるこの共和国に忠誠を誓います」という宣誓、これは、合衆国国旗に顔を向け、起立し、帽子を取り、右手を左胸に当てて暗唱しなくてはならないのだそうであるが、これはまだ今もおこなわれているのだろうか?
 今晩には、アメリカで投票がはじまるらしい。
 いずれにしても、「お人好しの時代のアメリカ」などというのが、はるか遠い昔のお伽噺としか思えなくなってきていることは確かである。ドラッカーが描いたのは80年ほど前のアメリカなのであるが・・。

ドラッカー わが軌跡

ドラッカー わが軌跡

アメリカ

 田村隆一に「リバーマン帰る」という詩がある(「新年の手紙」昭和48年刊所収)。「雨男のリバーマン、アメリカは中西部/ トーモロコシの空間に帰って行くよ。」と始まる。 「横浜の波止場から/ おお 船に乗って!」/ 二人の娘と、一人の息子を/ 両脇にかかえて、白熊のような奥さんに、/ Support されて、イリノイ大学へ帰って行くよ。/ 早く帰らないと、/ ウーマン・リブの女教師に、Professor の Position を/ とられてしまうぞ、・・・」 
 そのお別れパーティで「ぼく」は演説する。「原稿料が入ったから、雨男は料理屋へ行ったよ、/・・そこで、板前がたずねたものだ、「お客さん、ご職業は?」/ 雨男は、鼻をヒクヒクさせて、マイルドな日本語で答えたものさ、/ 「わたしは、シュジンです」/ 「へえ、主人?」/ 「シジンです」/ 「なーんだ、詩人ですかい」/ そこで、ぼくは演説したよ、ヒョロヒョロ、立ち上がって、演説したんだ、「日本じゃ、/ 大学の先生と、云ったほうがいいね、詩人といったら、乞食のことだ、中西部とはちがうんだ、あの燃える、/ 夕日がギラギラ落ちて行く、トーモロコシ畠のまん中で、/ ほんとうの詩人とは、腕ぷしの強い農夫のことさ、日本じゃ、進歩的なヘナチョコ百姓ばかり、アメリカといったら、ベトナム戦争と人種差別のオウム返しさ、・・・」
 今のアメリカについての報道をみていると、わたくしなどにはもうまったく理解できないことばかりである。それはおそらく「中西部の」「燃える夕日がギラギラ落ちて行くトーモロコシ畠」とそこにいる「腕ぷしの強い農夫」がわたくしのまったくの理解の外にあるからなのであろう。
 わたくしは二十歳からの人生を結局、吉田健一信者として過ごしてきたと思うけれど、その吉田健一について「鼎談書評」(昭和54年刊)で山崎正和氏がこんなことを言っている。「吉田健一のヨーロッパ的ものさしでは、日本酒こそ最高の位置に来る、その矛盾から出て来るのが「「反米」なんです。アメリカ文明というのは浅薄で、日本に何の影響も及ぼさなかったというところだけ、吉田さんに似合わず少し激してるんですよね。イギリスと日本という、どちらも何かトロトロと溶けたような、不可思議なとこで育った人が、一箇所明快にいえるのは、「アメリカ人はバカだなあ」ということなんだと思う。」 それに応えて、丸谷才一氏が、「吉田さんんが亡くなったあと、中村光夫さんと故人を偲ぶ話をしたんです。そうしらた中村さんが、「アメリカって国が存在することを、黙認してやるっていった調子だったねえ(笑)」 ぼくはとてもうまい表現だと思った。・・・」
 吉田健一は都会の人であった。「トーモロコシ畠」とか、そこにいる「腕ぷしの強い農夫」とかには縁もゆかりもないひとであった。
 そもそも文明というのは都会が生み出すものであるというのが吉田氏の信念であったはずである。そしてもう一つ氏にとって文明化というのはキリスト教の持つ野蛮の克服をも意味していた。(「我々にとつて重要なのはギボンにキリスト教といふものが一種の狂気にしか見えなかつたことである。・・古代に属する人間にとつてキリスト教は明らかに狂気の沙汰である他なかつたのであり、その狂気が十数世紀も続いたならばヨオロツパがヨオロツパであるには古代の理性が再び働いて均衡の回復を図らなければならなかつた。」(「ヨオロツパの世紀末」)
 リチャード・ドーキンスに「悪魔に使える牧師」とか「神は妄想である」とかいった変な本があって、わたくしの印象ではまずもって野蛮な本なのであるが、ドーキンスさん今のアメリカの状態をみていたら悲憤慷慨、ほとんど憤死しかねないのではないかと思う。そのドーキンスの論敵のS・J・グールドはその本を読むかぎり文明的ではあるのだが、その論旨を曇らせているのもキリスト教である。つくづくと宗教というのは困ったものだと思う。
 もう後数日でアメリカ大統領選挙である。トランプさんという人はわたくしにはほとんど理解の外のひとであるが、ではバイデンさんはいえば、これまた何だかなあなのである。どうも別種のアメリカ的野蛮の系列の人にしか思えない。
 吉田健一信者の一人として、わたくしもまた「アメリカ人はバカだなあ」と思っている。しかし、「トーモロコシ畠のまん中にいる、腕ぷしの強い農夫」から見れば、わたくしのごときひ弱な都会育ちなどは相手にするにも値しない口舌だけの徒ということになるのだろうと思う。
 ソヴィエトが崩壊し、東西冷戦が終結した時、われわれはもう少し別な未来を思い描いていたのではないかと思う。「ポスト・モダン論」という今から思えば明後日の方向の議論があったこともなつかしく思い出される。未来は誰にも予想できない、未来は開かれているのだとしても、わたくしが漠然と思い描いてきた啓蒙思想が普及して文明化していく未来というのはどうも期待薄なようで、少なくとも今しばらくは、力が前面にでる野蛮の方向に停滞するのではないかと思う。
 

鼎談書評 (1979年)

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神は妄想である―宗教との決別

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