2007-05-01から1ヶ月間の記事一覧
R・ドーキンス「神は妄想である 宗教との訣別」 早川書房 2007年5月 D・デイヴィッドソン「主観的、間主観的、客観的」 春秋社 2007年4月
ローティの「偶然性・アイロニー・連帯」を少しづつ読んでいるが、あまりにこちらの知識が乏しいため、いささか息が切れてきた。それでしばしの息抜きとして(などというと著者の本上氏に失礼だが)、本書を読んでみた。偶然、本屋で見つけた本で、著者につ…
この章では、ニーチェ、ハイデガー、プルーストがとりあげられるのだが、困ったことにというか、情けないことにというか、わたくしはそれらの人の著作をほとんで読んでいない。ニーチェは「悲劇の誕生」と「ツアラツストラ」、それに最近刊行の超訳?「キリ…
本上まもる「<ポストモダン>とは何だったのか」 PHP新書 2007年5月 福岡伸一「生物と無生物の間」 講談社現代新書 2007年5月 茂木健一郎 江村哲二「音楽を「考える」」 ちくまプリマー新書 2007年5月
正直いって、この章は何をいいたいのかよくわからなかった。ハーバーマスへの反論なのかもとも思うが、ローティの《公共性と私を統括する共通原理はない》とする主張の弱点があらわになった章であるかもしれない。ローティはニ方面を防御しなければならない…
真理の存在を否定するものは、相対主義者、非合理主義者と非難される。 客観的な道徳律の存在を疑うものは、非道徳の嫌疑をうける。 そのような非難にまともに反論することは、実は真理と道徳律の側の土俵で議論してしまうことになる。なぜなら、そういう議…
この章は哲学と詩の対立という問題をあつかう。 自分を自分以外の人間から区別するものは何か?とローティは問う。 その回答として、もしも自分が他と異なる何かを見出せるとすれば、自分は他の人間のコピーあるいはレプリカではないことになる、という方向…
池内紀「作家の生きかた」 集英社文庫 2007年3月 ブッツァーティ「神を見た犬」 光文社古典新訳文庫 2007年4月
NTT出版 2006年4月 稲葉氏には、以前、わたくしが庄司薫について論じた文をとりあげていただいたことがあり http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070101、その後しばらくは、わたくしのブログもいささかにぎわうことになった。遅まきながら、記…
東浩紀「存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて」 新潮社1998年
東浩紀「郵便的不安たち」 朝日新聞社 1999年 丹生谷貴志「三島由紀夫とフーコー 不在の思考」 青土社 2004年
稲葉振一郎「モダンのクールダウン」 NTT出版 2006年4月
この章の骨子は、 世界は話さない。ただ私たちのみが話す。 である。言語をもっているのは私たちだけなのだから、これは当たり前なのであるが、これが、 文のないところに真理はない。 というところにつながってくる。 これまた、真理というのは言葉であるの…
岩波書店 2000年 この本は東浩紀氏の「文学環境論集L」の「新しい批評のための20冊」の中の一冊として紹介されているので知った。東氏によれば、ポストモダンの本質である「自分が信じていることをひとに伝えるときに、それを皆が信じるべきだと言えな…
NHKbooks 2006年12月 東浩紀氏のポストモダン論を読んでいるうち、何だかポストモダンのイメージがもやもやしてきた。それで別の人のポストモダン論を読んでみることにした。 仲正氏は例によってマルクス主義から話をはじめる。氏は、《西欧近…
今回はp205〜209の「動物化と情報化」。 ここで東氏は、「動物化するポストモダン」での「動物化」というのは、「複雑な人間関係や社会関係抜きで、身体的な欲求を即座に求める傾向」のことを言ったのだとしている。人間回避=動物化なのであるともし…