2002-01-01から1ヶ月間の記事一覧

ミラン・クンデラ「小説の精神」)(2)

第7部 エルサレム講演 小説とヨーロッパ 以下,引用。 『フローベールによりますと、小説家とはその作品の背後に身を隠したいと思っている者のことです。作品の背後に身を隠すとは、公的人間の役を放棄するということです。(中略)つまり、小説家は公的人間…

ミラン・クンデラ「小説の精神」(1)

[法政大学出版局 1990年4月27日初版] 第一部「セルバンテスの不評を買った遺産」 三浦雅士の「青春の終焉」における、ヨーロッパ近代と小説の関係についての議論を読んでいて、クンデラの「小説の精神」を読み返してみたくなった。 第一部の「セルバ…

K.A.Applegate "Animorphs 1 The Invasion"

[ Scholastic 1996 ] これも向山淳子「ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本」巻末の推薦図書の一冊。 英米の小学生の人気シリーズの第一作。5人の子供たちが、動物に変身して、地球に侵入した宇宙人と闘う話。最初から、いきなり何の説明もな…

矢野 暢「20世紀の音楽 意味空間の政治学」

[音楽之友社 1985年4月10日初版] 政治学者の矢野暢氏が書いた20世紀音楽論である。昭和60年刊行の本であるが、音楽と政治というようなことを「丸山真男 音楽の対話」を読んで考えているうち、読みかえしてみたくなった。 本の半分がショスタコー…

カール・ポパー 「果てしなき探求 知的自伝」の<音楽論>

[岩波同時代ライブラリー 1995年12月15日初版 1978年岩波現代選書] 丸山真男の音楽論は、本人の自負にもかかわらず、存外、常識的で新味のないものであるように思われた。それを読んでいるうちに、久しぶりにポパーの音楽論を読み返してみたくな…

中野雄「丸山真男 音楽の対話」

[文春新書 1999年1月20日初版] 音楽愛好家としての丸山真男を語った本。 たしかに半端ではない音楽好きである。なにしろ「指輪」全曲のスコアに対訳をつけ、詳細な書き込みをしていたというのだから、そこに費やされた時間は膨大なものであったに違い…

竹内洋「大学という病 東大紛擾と教授群像」

[中公叢書 2001年10月10日初版] 東大紛擾といっても、主として昭和十四年の東京帝国大学経済学部のいわゆる平賀粛学問題をめぐる紛擾をあつかったものである。だが、昭和四十三年の東大全共闘による丸山真男研究室封鎖などもでてくる。昭和十年代と…

高田里恵子「文学部をめぐる病い 教養主義・ナチス・旧制高校」

[松らい社 2001年6月18日初版] 副題からも見てとれるように、日本のドイツ文学者何人かの戦前から戦後にかけての言動を論じて,、教養主義の問題に言及した本であるが、著者によれば、本書の一番の主題は《「二流ということ」と、その悲哀についての研…

野田宣雄「ドイツ教養市民層の歴史」

[講談社学術文庫 1997年1月10日 初版] 三浦雅士「青春の終焉」で紹介されていた本。 ドイツの「教養市民層」についてイギリスの場合と比較しながら論じたもの。 マックス・ウエーバーのイギリス・コンプレックスなど面白い指摘がいくつもある。著者も…

Robert Arthur"The Three Investigators The Secret of Skelton Island"

[Random House 1966 ] 向山淳子「ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本」巻末の推薦図書の一冊。 むこうの小学校高学年あたりを対象にした子供むけミステリ。英語の勉強として読んだのだが、とてもよくできた少年探偵ものである。大人向けのミ…

向山淳子+向山貴彦「ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本」

[冬幻社 2001年12月20日初版] わたしはいったいこの手の本を何冊読んだら気がすむのだろう。著者もいうとおり「地道な方法以外に言語を覚える方法はない」のだから、ただ解説を読んでも語学ができるようになるわけはないのに。 著者によれば、上達す…

三浦雅士「青春の終焉」(3)

「文学界」の最新号での、鹿島茂と関川夏央の対談での巻頭で、「青春の終焉」が論じられている。三浦の言うとおり、70年代で確かに小説は終ったのであり、同時代のものとして小説があったのは、大江健三郎の「万延元年のフットボール」をもって最後とする…

三浦雅士「青春の終焉」(2)

三浦氏によれば、「青春」とはヨーロッパ近代の産物である。社会への参入を猶予された若者たちが一定程度の大きさの集団として産生されることによって、それは生まれるのだが、その集団があまりに大きくなると、もはやそれは終焉するしかなくなる。したがっ…

三浦雅士「青春の終焉」(1)

[講談社 2001年9月27日初版] 「一九六〇年代試論」の副題をもつ。 ある一つの熱気が一九六〇年代に高揚し、七〇年代に入り急速に醒めていったのはなぜかを考察したものである。その熱気を著者は「青春」と呼ぶ。 考察の範囲はきわめて多岐にわたって…